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結局、『ニューダンガンロンパV3』は何がしたかったのか?

「不朽の名作」よりも「賛否両論」と言われる作品の方が、案外心にグサッときちゃうものですよね?

というわけで、『ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期』をクリアしました。

今作、以前からストーリーで賛否が分かれていることだけは知っていました。場合によっては、ネガティブな感情でシリーズ最新作を終えてしまうかもしれない、なんて言われてて。

そう言われたら……確かめるしかねえよなあ!
こう聞くと息巻いているように見えますが、実のところ、この1ヶ月の余暇時間はほとんどダンガンロンパに費やしていたので、最後の最後に賛否両論作が待っていると思うと、あまりいい心地ではなかったですね。

ですが、終わってみればちゃんと面白かった!
少なくとも、私個人の満足度はとても高かったです。

個々のシナリオ・キャラクターは相変わらず高クオリティーでしたし、シリーズを重ねてきたからこそのビジュアル・演出面の強化も視覚的に楽しませてくれました。

もちろん、どんでん返しの連続で、さすがに食傷気味だという意見もわかります。私とて、「人を驚かせないと死ぬ病気なのか」とツッコミたくなる。

ただ、それこそがまさにダンガンロンパの持ち味(ケレン味)。
プレイ中は「ダンガンロンパやってるな~!」と思いながら楽しくプレイしていました。

さて、ここから下はシリーズのネタバレ全開です
今作の最終章で判明する事実に関して軽く考察してみたいと思うので、未プレイの方はくれぐれも読まないようにご注意ください。







結局何がしたかったんだよ問題

先にも話した通り、今作のストーリーは賛否が分かれています。
個別のストーリーが、というよりも、5章あたりから判明する作中世界の真実についてなのは言うまでもないでしょう。

私もその気持ちは半分くらい分かります。
実際、5章プレイ時は結構本気で落胆しましたもん。「またかよ~」と。
また江ノ島盾子かよと。
また希望ヶ峰学園かよと。

というのも、このゲームをプレイする前、アニメの『ダンガンロンパ3』を視聴していたんです。そこで希望ヶ峰学園のストーリーは綺麗に完結しただけに、V3で蒸し返したのは明らかに蛇足でした。

ていうか、今作は発売前に「新章開幕!」と触れ込んでいたんですよね?
それが蓋を開けてみれば、今までのシリーズと地続きですとか、こんなの新章でもなんでもない。軽い詐欺じゃない?
せっかく新規ファンを取り込むチャンスだったのに、それを自ら棒に振る。スパイク・チュンソフト、お前は何がしたいんだ?

……と、ここまでが5章を見終えた時の感想でした。

ところが! 最終章を見届けた今、私の中で今作の印象は大きく変わりつつあります。

なぜ、どう見ても蛇足なのに今までの世界観と地続きにしたのか。
なぜ、新規ファンを置いてけぼりにするシナリオを選んだのか。
そこに明確な「目的」があったと分かったからです。

もっとも、その目的こそが今作で一番賛否を分けているところなんですけどね。

フィクション内のフィクション

今作の最終章では、初代から3までの希望ヶ峰学園編が、フィクション内のフィクション、ゲーム内の言葉を借りるなら「リアルフィクション」であったことが判明します。

思うに、それこそがシリーズファンにとって最大の拒否反応ポイント。

無理もない話で、見方によっては、苗木たちの努力は全て無駄だったと解釈できてしまいますからね。
彼らの戦いによって希望が勝とうが絶望が勝とうが、ダンガンロンパもコロシアイ学園生活も、ずーっと続いていくと判明したわけですから。

そう、ダンガンロンパシリーズが続く限りは、です。

ダンガンロンパ(とそのファン)の自己批評?

今作のシナリオをぱっと読んだ時、「今作はダンガンロンパシリーズそのものを批評し、かつ批判しているのはないか?」と解釈した方は多いのではないでしょうか。

最終章のタイトルなのが「さよならダンガンロンパ」なのが、いかにもそれっぽいですよね。

シリーズだけならまだしも、今作はまるでダンガンロンパのファンを皮肉るような描写もあるんですよ。
作中に登場する現実世界の人物は、ダンガンロンパに参加することを望み、またキャラクターが悲劇に見舞われながらも希望を信じて戦う様子に熱狂してる様子が映し出されます。

つまり、
ファンがダンガンロンパを求める=コロシアイ学園生活を求める
という図式。

それって、かなり歪んでないかと。
キャラクターに愛着を持ちつつも、同時に彼らのコロシアイを求めているファンの歪んだ精神性を暴き出し、それを批判している。

……とまあ、そういう風にも解釈できちゃうんですよね。
こうなると、シリーズファンが怒るのもむべなるかな。

ただ、ここまで書いておいて言うのもなんですが、私は「ダンガンロンパ(とそのファン)の自己批評説」はほぼ完全に間違っていると思います。

わざわざ説明しなくても、ちょっと冷静になって『ダンガンロンパ』シリーズがヒットした経緯を考えればわかることです。

完全新規のアドベンチャーゲームが一大コンテンツに成長したのは、言うまでもなくファンによる熱心な応援があったからこそ。それを誰よりも知っている開発陣が、シリーズファンの存在を否定するはずがない

加えて、作中で描かれるダンガンロンパは、私たちが触れている形態とは異なる描写がされているのも理由の一つ。

私たちはダンガンロンパをゲームとして触れていますよね?
ですが、V3の世界におけるダンガンロンパは、どうも一般人参加型の映像コンテンツらしい。我々の世界で言うところの「リアリティーショー」に近いのかな?

要するに、作中で批判されているのは、「現実世界のダンガンロンパファン」ではなく、「V3の現実世界のダンガンロンパファン」なのです。

うーん、なんだかややこしくなってきた……

フィクションに対する皮肉・否定?

もっと視点をマクロにして、今作はフィクションそのものに対する批評を行っているんだ……と解釈することもできそうです。

まず、ダンガンロンパはフィクションですよね。当たり前です。
作中に登場する世界もキャラクターもシナリオも、全て誰かが一から考え、創造しています。これも当たり前。

その「当たり前」に注目したのが、今作のシナリオだとしたらどうでしょう?

V3の最終章において、ダンガンロンパシリーズの1から3は、全て「フィクションの中のフィクション」だったと判明します。

確かにショッキングな事実です。
しかし、じゃあそれ以前はなんだったのかを考えると、結局のところは「フィクション」でしかないじゃないですか。

主人公が絶望のコロシアイゲームに巻き込まれるのも、学級裁判が行われるのも、おしおきも、最後は希望が絶望に打ち勝つのも……その全てがフィクションであり、作り物であり、誰かが考えた筋書きによって成り立っている。

そんなの分かりきったことじゃん。今さら何を言っているの? 
V3のシナリオは「私たちが自然と受け入れていた嘘を、ほじくり返しただけだよ」とでも言いたげです。

全部他者が考えた筋書き通りのシナリオ。それであなたたちは感動してきたのに、今さら何を怒っているのと。
うがった見方をすれば、フィクション、ひいてはそれを楽しむ人達を皮肉っていると解釈できなくもない。

まあ、これもまた間違った解釈でしょう。
それはシナリオを見れば明らかです。

作中のキャラクターは、最後の学級裁判で「投票の放棄」を選びますよね?
たとえ自分たちが誰かによって作られたキャラクターだったとしても、その行動が(V3の)現実世界の人たちの心を動かし、何かが変わるきっかけになるかもしれない。そう信じているからこそ、最原くんたちは放棄を選ぶわけです。

今作のシナリオは、フィクションへの熱狂を嘲るどころか、むしろ「フィクションには人を動かす力がある!」と力強く肯定しているんです。

そもそも、ゲーム会社に勤めている人たちが、フィクションが持つ力を否定するわけがないですよね。

シナリオライター・小高和剛さんなりのケジメ?

ダンガンロンパを否定していない。
ダンガンロンパを好きなファンのことも否定していない。
フィクションそのものも否定していない。
じゃあ結局何なんだよ!

私なりに考えて行き着いた答えは、「シリーズのシナリオ担当・小高和剛さんなりのケジメ」です。

設定資料集のインタビューにおいて、小高さんは次のように話しています。

『ダンガンロンパ』を生み出して、デスゲームを題材にする作品も増えてきました。確かにデスゲームものは刺激が強くて、採用されやすいのですが、オチがちゃんと突き詰められていなかったり、キャラクターがただ虐殺されるだけのシステムになっていたりすることがあって。
じゃあ、デスゲームから本当に脱出するエンディングは何だろうと突き詰めて考えたときに、キャラクターがデスゲーム自体をぶち壊すものではないかと考えました。

『ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期 超高校級の公式設定資料集』p.340より

まとめると、よくあるデスゲームものに対して、小高さんなりに誠実に向き合った結果が、あのシナリオなんだよと。

ただ、実際はそれだけでなく、今までのシリーズ、そして自分自身に対するケジメでもあったんじゃないかなあと考えています。

言うまでもなく、小高さんはダンガンロンパシリーズのヒットによって、その名が広く知られるようになったクリエイターです。
小高さんにとって、もはやダンガンロンパは名刺代わり。自身のキャリアを語る上で欠かせない存在と言ってもいいでしょう。

その一方で、このシリーズを続けるとなると、新しいゲームを作るチャレンジに恵まれなくなってしまう。
そして、メタ的に見れば、これからも『ダンガンロンパ』シリーズの中でコロシアイが延々と続くことになる。

だからこそ、「キャラクターがダンガンロンパを放棄する」という結末は、
生みの親が自身の手でコロシアイを終わらせた=自身のキャリアとダンガンロンパシリーズに一つの区切りをつけた
と解釈できるのはないでしょうか。



今作が発売された後、小高さんたちはスパイク・チュンソフトを退社し、トゥーキョーゲームスを立ち上げました。

そこで作っているゲームは、どれもダンガンロンパとは少し異なるアプローチの作品です。
例を挙げると、探偵を主役に置いた『超探偵事件簿 レインコード』や、敵が内部ではなく、外部から襲ってくる『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』などなど。

小高さんたちの独立、そしてその後に制作しているゲームこそが、『ニューダンガンロンパV3』のシナリオの答え合わせになっているような気がしてならないのは、私だけでしょうか。

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