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栗城紡の最近読んだ本(2024年6月)

「ネタに困ったらとりあえずこれやっときゃいいか」でおなじみ。
栗城紡が最近読んだ本を紹介します。

ダンガンロンパ/ゼロ

超高校級の才能を持つ高校生たちが「コロシアイ学園生活」を行うぶっ飛んだ内容が話題になった『ダンガンロンパ』シリーズ。今作は初代『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生』の前日譚です。初代を最後まで遊んでいること前提で書かれているので、最初にこれを読むのは厳禁! ラスボスが普通に出てくるよ!

さて、今作は『ダンガンロンパ』シリーズのシナリオを担当した小高和剛さん自らが執筆しており、ケレン味溢れるシナリオは今作でも健在。怒涛の展開にどんでん返しの連続。上下巻とコンパクトにまとまっていながらもしっかり満足できる名作です。

小高さん、本当に鬼才ですよね。
読んでいて恐ろしいですよ。なんていうか、人を驚かせるためなら文字通りなんだってする人なんじゃ……と慄いてしまうくらい(笑)

正直、私が小高さんと同じアイデアを思いついたとしても、それをシナリオに取り入れる勇気はない気がします。そんなアイデアを容赦なくぶっこんで、なおかつ破綻なくまとめている小高さんの凄さは驚嘆に値します。

それでいて、随所に挟まれるキャラクターの会話劇は、小気味よくなおかつ強烈。もはや才能の領域、才能の塊。ムカつくとすら思えないよ!

つまり今ってこう……男性器と女性器がぴったしハマったみたいな状況なんだよ。トラブルに右往左往する人間と、トラブル解決ができる人間が出会った……とすれば、もう次の展開はわかりきってるはずだよ?  射精以上にわかりきってる展開のはずだよ?

小高和剛『ダンガンロンパ/ゼロ(上)』

ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論

就職したので買いました!
資本主義の限界が叫ばれて久しい昨今ですが、「そんなのもう聞き飽きたよ!」と言う人にも読んでみてほしいのがこの書籍。
脱成長の本? ESGの話? いいえ違います。今作のテーマは「ブルシット・ジョブ」。
クソ長い上にクソ高いのが欠点ですが、非常に考えさせられる内容です。

ブルシット・ジョブは、簡単に説明すると「働いている本人でさえ、完璧に無意味で無価値だと思っている仕事」のこと。著者曰く、資本主義はブルシット・ジョブを増やし続けることで雇用をまかなっているというのです。「いやいやまさか」と思うかもしれませんが、筆者のもとへ寄せられた様々な経験談が、暴論ではないことを裏付けます。

ですが、私がこの本に興味を持った理由は別にあります。実は、この本で扱っている職業がもう一つあるのです。
それこそが、社会に必要なのになぜか給料が低い仕事、いわゆる「シット・ジョブ」です。

例えば、学校の先生や保育士、介護職員、清掃員――彼らは社会に必要不可欠なはずなのに、なぜ低賃金で働かされ、あろうことか見下されているのか。不思議じゃないですか? 私もずっと不思議に思っていました。

この本では、労働にまつわるイデオロギーの歴史を紐解きつつ、現代社会に根付いた価値観について探っていきます。個人的に一番興味深かったのはこのパート。

なお、この本を読んだおかげで、今私が関わっている仕事の良いところに一つ気がつきました。
私の仕事は、間違いなく世の中の役に立っているし、それなりにお給料も出る。
ある意味、それが一番幸せなことなのかもしれないな、と思ったり。

1  ほとんどの人びとの尊厳や自尊心といった感覚は、生きるために働くということのうちに囚われている。
2  ほとんどの人びとはみずからの仕事を嫌っている。
ここではこれを、「近代的仕事の逆説」と名づけたい。

デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』

なぜ働いていると本が読めなくなるのか

このタイトル、なんだか面白いですよね。
だって、社会人がこの本を手にとって読んでいたら、「いやお前は働いていてなおかつ本を読めてるじゃねーか!」とツッコミが入ってしまいそうです。

冗談はさておき。
この本、タイトルだけ見た時は「現代人が本を読めなくなっている理由を多角的に分析していく本かしら?」と思っていました。

ところが読んでみると、そんな単純な話ではないことが分かります。
この本では、明治初期から現代に至るまでの「日本人と本の関わり」を掘り下げています。エリート向けの教養だった本が一般大衆へ開かれ、新自由主義と自己実現の台頭によって、情報重視の時代がやってくる――といった感じで、読み始めたときには予想もつかないような、壮大な話が展開されていくのです。

作者曰く、本で得られる「知識」とインターネット上に広がる「情報」の違いは、予想外の複雑さが含まれる「ノイズの有無」にあるといいます。
その点を考慮すると、この本はわざとノイズを入れていることになりますね。タイトルの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」に答えるために、めちゃめちゃ遠回りしていますから。

なので、この本を働いている人がちゃんと読めるかというと、やっぱり怪しい(笑)
逆に言えば、そういった「遠回り」や「世の中の複雑さ」を楽しめる人こそが、読書体験を楽しめると言えるのかもしれません。

教養とは、本質的には、自分から離れたところにあるものに触れることなのである。

三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』

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