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祭の残り火 ~生駒祭を終えて~

2023年11月4日 19時。第75回近畿大学大学祭実行委員会本部。
ただ木の看板を扉前に立てかけただけの、ただの部室の中で、僕たちは天井を仰いだ。

学祭が、終わった。
僕たちの4年間は、幕を下ろした。

2020年。
東京オリンピックが開催されるはずだった年に、僕たちは大学へと入学した。
キラキラしていて、大人たちが口をそろえて「そら楽しかったよ」と言う、大学生活。

そんなものは、一瞬で、さも当然のように、吹き飛んでいった。
2年次に初めて「大学祭」を経験した。僕はこの当時大学祭の幹部を担っていた先輩に憧れた。楽しかったか?と聞かれたから「はい!」と答えておいた。
けれど、これはただの、僕の未熟さゆえだけれど、なんにも楽しくなんてなかった。あまりにも小さな世界で、苦しさばかりが先行していた気がする。
3年次には、ようやく制限はあるにせよ飲食屋台が復活し、企画も大きなものを催せるようになった。人もそれなりに多かった。心から楽しかった。
けれど、ほっこりしている中で、来場者とすれ違って。
「思ってたよりしょぼかったな」

腹が立った。落ち込んだ。こんなに先輩方が必死でまわしたものに、俺たちも協力させてもらったものに、なんてことを。
わかっていた。彼らに明確な悪意などなくて、純粋な感想であることも。
けれど、何より、「確かにそうかもな」と思ってしまったことに落ち込んだ。

だから、決めた。
度肝抜いてやるんだ。絶対に、最高だと、すごいと、楽しかったと、言わしめて帰らせるのだと。
と。教授も、職員も、OBOGも、来場者も、全員。

そのために、一年間奔走した。
去年の今日から、部長をスカウトしに、頼みに行った。
総務の人員も「希望は通したい」けれど「生駒祭がまわること」を優先した。
学生部、総務課、広報室、校友会、学外の企業、頼れる大人を去年から10倍以上にした。
僕はただ挨拶をしに行っただけだが、部長陣は僕以上に走ってくれた。

色んなことがあった。大変だった。
けれど、下馬評は最高だった。
去年から大規模になったオープニングパレード。
呼ぶアーティストは「WurtS」
屋台は驚異の100越え。
難波駅の柱に広告。
大阪万博からはミャクミャクさまが、自衛隊からも陸上まもるくんが。
FM大阪とも、FNM802とも、吉本とも、地元企業ともコラボ。
大学も全面バックアップ。広報室からも山ほどの取材。

始まってしまえば。
決起集会の直前で傷病者発生。とんでもなく悪態をつく出店者。度重なる西門デモ。
まったく、意味がわからない。


走った。何百回無線を飛ばし、頭を下げ、声を張り上げた。
その結果。
どうだ。企画はほぼすべてで例年比を大きく超える人を記録し。
パンフだって一冊も余っていない。
これが、成功と言わずして、何というのか。

ーーー以下、各12総務へ。
会計部 ややこしくて誰もやりたがらないことをしてくれて、ありがとう。
事務部 本部で全ての総務のトラブルをキャッチしてくれて、ありがとう。
企画制作部 素敵な企画で、生駒祭を彩ってくれて、ありがとう。
企画管理部 秩序を正してくれて、ありがとう。
広報部 人が来たのは広報のおかげ。ありがとう。
警備部 生駒の安全を守ってくれて、ありがとう。
屋台部 にぎやかに、そして運営をしてくれて、ありがとう。
渉外部 お祭りの顔でいてくれて、ありがとう。
環境部 提灯にゴミ箱、文字通り環境を整えてくれて、ありがとう。
物品部 お祭りに不可欠な道具をそろえてくれて、ありがとう。
厚生部 ムリが出来るのは君たちのおかげ。ありがとう。
放送部 情報を伝え、企画を支えてくれて、ありがとう。
(あと、スペシャルサンクス警備と会計。俺の拠り所でいてくれて、ありがとう。)

副実行委員長。俺よりも矢面に立って、すべての団体を引っ張ってくれて、ありがとう。

総勢1000人越え、学部祭•総務300名超の、実行委員会のみんな。
僕を実行委員長でいさせてくれて、ありがとう。

ありがとう。
このお祭りが、また次の風を運ぶ頃。
もっと、もっと、大きな灯火を揺らめかせていることを、心から期待して。

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