捨てる絞る揃える

とにかく物を捨てる。もしくは揃える。
30代後半ぐらいから出てきた習慣

10代後半~30代半ばぐらいまで、多分服やスニーカーに相当な金額を使った。そしてその頃から残っているものは恐らく今は皆無。
トレンドは廻る。つまり昔買って眠っている服やスニーカーも、ある程度経てばまた輝く場所に戻ってくる。しかしそれは保管しておく場所があったら、の話である。都市生活者にそんなスペースは無い。あるとするなら経済的に余裕がある人間だろう。コレクションというものには経済的な負担がつねに付きまとう。

そんなことを考えいくうちに、「着ないなら手離そう、使わないなら手離そう」が加速していった。そこから発展していって、モノをディスプレイすることにもそもそも興味が薄れて行ってしまった。だって埃掃除するの面倒だし。そんなことを考えていくと、今度はモノを置く場所があるからモノが増える、と、色んな収納スペースが部屋から消えて行った。多分、この5年ぐらいで所有物は半分とまではいかないものの3分の2ぐらいにまでは減ったと感じている。

これはヤフオクやフリマアプリの普及が1つの要因として存在している。要らないものを手軽に金銭化できる。これはかなり大きいと思う。それに加えて先述したように、都市部はそもそも生活スペースが小さいから無駄なものを置いておく余裕が少ない。もっと言えばゴミと暮らしている事になる。気にならなきゃそれはそれでいいのかもしれないが、思考が飛躍していったことで僕は少し気になってしまうようになった。ただ、都市部は生活スペースが小さいなりに、アウトソースできるものもかなり多い。だから自分で持たなくても生活が成り立ちやすい。

こういう所有における思考が変化していった事もあって、身に着けるものの基準も若干変化した。大きく括ればそれはノームコアになるのかもしれないが、着る物に迷うことに楽しみを見いだせなくなった、というか単純に面倒に感じるようになってしまった。別に意識高く思考プロセスを省きたい、とかではなく、なんとなくちょうど良い着地点が見えたのでそれで良いかぐらいの軽い気持ち。かといって同じ服ばっかり着ていても清潔感もないし、逆に言えば清潔感はとても大事にしたいので、同じような服を複数所有して、常にフレッシュな状態を保っていたいみたいなイメージ。それがいわゆるノームコアなのかもしれない。まぁノームコアなら、それはそれで良い。別に否定もしなきゃ誇ろうとも思っていないぐらいの感じで生きる。

こういう雑多な条件を纏めていくと、「ある程度いつでも替えが効いて」「それが経済的な負担にならなずに」「なんとなくトレンドも追った感じの服装になれて」という感じに集約されていく。そうなると選択肢はUNIQLOになる。自分たちのブランドをLIFEWEARと表現し始めてちょっと経ったぐらいだと思うが、そもそもファッションとしての服装というより、多分若干位置をずらした立ち位置で服を売っている。故にいわゆるハイブランド信仰の人間などからはバカにされたりするのだが、いわゆるアパレル業界の関係者ではなく、一般の消費者層としてのハイブランド信仰者がUNIQLOを揶揄している場合、なぜかその人間は自分のスタイリングをSNSにあげたがる(当然のように首から上はトリミングされ自分の顔は出さない)。そしてそのどれもが全くもって似合っていないという不思議な現象をたまに見かける。好きな物、価値観というのは人それぞれあるので、それらを否定することは基本的にはしたくないのだが、バカにするぐらいならその自慢のハイブランドしっかり着こなしてくれよ、と思わずにはいられなかったりする。そういう人間はなぜかBALENCIAGAが大好きなのも何か理由があるのだろうか。世の中は不思議に溢れている。

何の媒体だったか、何の特集だったかも覚えていないが、UNIQLOのタイアップだったのかもしれないが、サイジングさえしっかりとバランスを取ればUNIQLOでもUNIQLOっぽく見えないというか、それなりになるんだな、と思った記憶が少し蘇った。いわゆるファッション信仰者はそれなりより更に上の精度を目指したいのだろうし、それはまたそれとして理解ができる。ただ、そのそれなり、にすら自分も含め到達している人間というのはどれだけいるのだろうか、とも思う。ま、価値観なんて人それぞれなんですけど。

ということでこの1年ぐらい、いろんな服を捨てて(というかUNIQLOのリサイクルフォームとか色んな再利用スポットに渡して)、その中で残ったものは引き続き着用し、結果的には着る服がかなり絞られた、という強引なまとめで終わります。

とりあえずおっさんは黒ずくめになっときゃそれなり、かもしれない。



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