書き記す習慣/纏めるを取り戻す

大学生だった2000年代中頃はブログブームがあった。
新卒で入社した会社の新人としての最初の仕事(だった様に思うが)も、ブログ開設と一ヶ月の更新だった。

それから時は経ち、SNSプラットフォームが普及して、音声、映像などの発信も容易になり、ブログプラットフォームというものは多少後退したように感じるが、それでも根強く発信の場所としては残されている気がしている。

そんなわけで色々ブログを書いてみて、結局纏まらず放置して、を繰り返しているうちに自分の文章力の衰えと、継続力の衰えを感じてしまっているので、特にとりあえず書き記していく習慣をまた取り戻したいと思っているところ。

日々の日記みたいなものは、コロナ禍に入ったあたりから毎日手書きで続けていて、そっちはなんとなく習慣化できた。しかしそちらは3行ぐらいで、とりとめもなくただ書いているだけで、内容を纏めたりすることが少ない。

ブログやSNSにおける発信において衰えたと感じるのがこの纏める力で、発信したいことが漠然と頭にあったとしてもそれが纏まらないため、結局発信を諦めてしまうということが何度も続いた。何かを発信する時、相手がいて、相手にしっかり届けるためには内容が分かりやすくないといけないし、それに必要なのが纏める力であり、それは第三者に見られる場所にないと、力としては付き辛いという事もわかった。衰えた力を取り戻すのはまた時間がかかるし、積み上げていくより他ないと思う。そしてそれには途方もない時間が恐らくかかっていく。こんなことを書いておいて意気込んでまた近々更新が途絶える事もあるかもしれないし、意外にマイペースで続くかもしれないし、正直なところその辺は自分でも不透明なところが多いが、どちらにせよ今の自分に足りていないのが纏めていく力で、それをまた取り戻していきたいと思うなら書き記していくしかない。

世界の青木真也のnoteを時折記事単位で購入している。先日のRIZIN44での金原正徳もそうだったけど、1つの何かに対して長い時間向き合い、積み上げてきた人間しか出せない矜持というものは間違いなく存在すると思うし、青木真也に関してはそれがnoteの記事の中に割と多く出てきている様な気がする。そういうものが欲しい。でもそのためには近道はなく、日々書き記していくしかなさそう。果たして自分の積み上げる場所はどこにあるのか。
なんてことを今年40歳になる中年が今更考えること自体遅いのかもしれないが、何事も遅いということはないので、淡々とキーボードを叩くしかなさそうである。

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