FATE

運命なんてのは

後付けの概念に過ぎない


何もしなかった過去

ひたすら努力した過去

それらの過去から

同じ未来が導かれるとは

到底思えない


未来をどう描いていても

今をどう積み重ねるかで

過去や未来が

めまぐるしく変わる

そこに運命を

感じたとしても

見いだしたとしても

それは間違いなく

自らが繰り返し選び続けた

結果に導かれし

一つの辿り着いた場所

仮に

運命というものが

存在するとして

あらゆる結果が

もう決まっているとしても

今の自分には

それが見えてるわけじゃない

ただひたすら

一つ一つ積み重ね

取捨選択しながら

今を生きること以外

やるべきことはない

今も未来も

自分の手で

創り上げていくもの


今が変われば

未来が変わり

未来が変われば

運命も変わる


運命とは

自分次第

自分の手で

変えていける

創っていける

そんなものなのかも知れない

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今日も昔の詩を紐解いていきます。

この詩を読んで、ターミネーター2をなぜか思い出しました。

運命の日が訪れることを過去の自分が知っていたとしたら、その運命の日で人生が終わることを知っていたとしたら、どうするんだろうと。

何気ない普段通りの日々を過ごすのか、運命を受け入れ好きなように過ごすのか、運命に抗い変えようとするのか。

未来は見えないものだから、人は今を生きていける。

何が起こるかわかっていたら、その恐怖と闘うことになる。

迫り来る恐怖で何もできなくなるだろう。

変えられない未来を運命と呼ぶとして、定められた運命がこの先の未来にあるとして、まだ訪れていない未来であり、現実になる前に選択肢はいつだって見いだせるのだから、やっぱり運命は後付けの概念になるのだろう。

未来が見えているならば、それは単なる過去から導き出された虚像に過ぎないのではないか。

過去の物事に理由を見つけるとき、初めて運命という概念が当てはめられるのではないか。

ターミネーター2の中でNO FATE(運命ではない)と机に彫られた言葉通り、未来は何色にも塗り替えていけるものではないか。

そんなことをグルグル考えているうちに、寝落ちしちゃいました(*^^*)笑

最後まで読んで頂き、ありがとうございました☆

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