無敵のスリッパ

無敵のスリッパ

この街は戦場だ。
都会にあるこの街では仕事が始まる前から闘いが始まる。
そう、それは満員電車。
駅のホームに到着した時点で明らかに定員オーバーの車内。
社会人デビュー初戦。
飛んで火にいる夏の虫の如く、私も負けじと参戦だ。
あっっ!
無理やり乗り込もうとして引っかかった足から脱げる右足のパンプス。
ホームと車両の隙間に吸い込まれるように落ちてゆく。
しまった!このパンプスちょっと緩いんだった。
無情に閉まる電車のドア。
私は片足だけ裸足のまま電車に乗り込んでしまった。
こんな満員電車の中、いつ足を踏まれるか分からない。
とりあえずフラミンゴさながら片足立ちの私。

「…あの、良かったらひとまず、これ履いてください」

隣の中年サラリーマンが片足の靴を差し出す。

「へ?」
靴を落とした動揺からまだ立ち直れていない私は、戸惑いながらサラリーマンを見上げる。

「いや、あの変な意味じゃないんです。ただ素足でこの中にいるよりは安全かと思いまして。僕は靴下履いてるんで。…あ、それに私、水虫ではないですよ。一応」

「ふふっ、素敵な提案ね!でもこんな可愛いお嬢さんに、さすがにおじ様の脱ぎたての靴はハードル高いわよ」
と、中年サラリーマンのさらに隣に立つ、アラフォーキャリアウーマン風の女性が優しい声で加わってくる。

「あはははは。さすがに、そうですよね。失礼しました」
と恥ずかしそうに頭をかく中年サラリーマン。

「いや、そんな…」と私。

「でも、あなたの優しさは世界一よ。その優しさに触発されて、私からも提案させて。良かったら、スリッパ履かない?ここに入ってるから」
とキャリアウーマンが肩にかけているバッグをポンとたたく。
「次の駅で一瞬降りましょう」

「え、でも…」と躊躇する私。

「いいの、いいの!私、不動産の仕事でね、内見用にいつも持ち歩いてるの。素足よりは安全よ」とキャリアウーマン。

「それは良い!お嬢さん、それがいいですよ」と中年サラリーマン。

―――次は溝の口、溝の口。
車内アナウンスが流れる。

「じゃ、準備はいい?」とキャリアウーマン。

「はい」と私はしっかりうなずく。

目の前の扉が開くと同時に、キャリアウーマンと共に素早く駅ホームの脇に降り立つ。
すかさず、キャリアウーマンが自分のバッグからスリッパを取り出し、私の足元へ。
「さあ、急いで」
「はいっ」
無防備な右足をスリッパにそっと通す。
その瞬間、私は無敵になった気がした。

「よし!乗りましょ」
とキャリアウーマンと共に私は再び電車に乗り込む。

乗降者の波に流され、私たちはいつの間にかバラバラになってしまった。
首が動く限りキョロキョロするが2人の姿は見当たらない。
私はどんどん流れ込む。
誰かが私の足を踏む。
だけどもう、大丈夫。
スリッパが守ってくれるから。

―――次は、渋谷、渋谷。

よし!
片足スリッパの不格好な戦士は今、次の戦いに向けて電車を降りる。
人波に揉まれながら、降りた電車を振り返る。
扉が閉まり去り行く電車の窓にサラリーマンとキャリアウーマンを見つける。
二人ともGOOD LUCKと親指を立ててニコニコとこちらを見ている。

ありがとうございました―――

私は電車の後ろ姿に深々と頭を下げる。


戦場にもいるんだな、
こんな素敵な人たちが。
こんな素敵な人たちが、いっぱいたらいいのにな。
こんな素敵な人たちで、溢れる社会になったらいいな。


本気でシナリオライター目指して勉強中! 皆さまのお力をほんのちょっとで良いのでお貸しくださいませ。きっと後悔させません!