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チョンキンマンションとアスリートと日本社会

コテンラジオの派生企画(?)で
文化人類学を専門にしている室越さんから教えてもらう「コテンセミネール」という勉強会に参加しています。
今回は、「チョンキンマンションのボスは知っている」という書籍を扱ったので、自分の備忘もかねて感想を簡単に言語化します。

チョンキンマンションというのは香港にある安宿で、アフリカのタンザニアからの出稼ぎ商人たちの根城になっている場所です。文化人類学者である著者が、彼らの生態を具体的なエピソードを交えながら考察していくのがこの書籍の内容です。

書籍の中では、タンザニアからの商人たちのユニークな(*)生態が明らかにされています。
(*あくまで、日本人の我々から見た時に、ですが)
例えば、

お金を稼いで貧乏から脱しても、貯金はしない。すぐにお金を使ってしまったり、仲間に投資したり、おごったりしてしまって、使い切ってしまう

出稼ぎにきた同胞の間で、相互扶助的な「組合」のような組織を持っている。送金などのビジネス上の機能もかねているけれども、特にそこに明確な義務や規則は無い。従って、裏切りも発生するし、誰もお互いを信用してはい。ない。でも一方で、この組合をみんな活用しているし、組合の「仲間」が困窮している時にはお互いに助け合うようなやさしさもある

他人を信用しない。人間は、置かれている状況次第で誠実にもなれば、裏切りもすると思っている

他人に期待しない。だから、裏切りに対しても比較的寛容だし、「貸し」「借り」という意識も低い。「ダメもと」だと思っている。

・また、他人の人生にも干渉しない。社会の規範に照らし合わせて相手を評価したり、断罪したりもしない

しかし、目指す「成果」を獲得するためには、協力もするし、その時はあたかも信頼しているかのようにふるまう

更には、他人を喜ばせるのは好きだし、困っている時には助けの手を差し伸べる。しかも、共感もする

「人生は旅だ」と考えている。だから、行動に計画性が無いし、刹那的(なように見える)

などなど。

私もこうした彼らの生態に対して様々な感想を持ちました。
その中でも最大のものは

「彼らの思考様式は、『不安定で変化が激しい社会』を前提にデザインされている」

というものでした。そうすると全部整合するように見えます。
対比するとわかりやすいですが、彼らの思考様式は、日本のような、安定して先行きが見通しやすい(*)社会では、育ちにくいでしょう。
(*あくまでも、タンザニアに比べれば、相対的に、ということです)

しかし他方で、本を読んでいる中でどこかに既視感というか、「何かに似ている」という感覚を覚えていました。
タンザニアに行ったことは無いし…なんだろう、と考えていたのですが…

「ああ、これはプロのアスリート、特にサッカーやバスケットボールの選手の思考様式に似ているのではないか。」

というのが、自分が行き付いた結論でした。

例えば、サッカーやバスケットボールのような集団競技の場合は、味方がボールを持っていたとしても、常に彼(彼女)がボールを失ってしまう可能性があるし、その可能性を認識していなければ、実際に失敗した時に対応することができなくなってしまいます。
一方で、味方を「信じて」動かなければ、有効な攻撃を実現することが出来ずに、点数を取れなくなり、試合に勝てません。
従って、信じ切ってはいないけれど、獲得したい成果のために信じているように振る舞い、協働する、という姿勢が必要になります。

また、プロのアスリートは数ヶ月〜数年単位で、シビアな評価が下されて、処遇が大きく変わります。
こういった時、
「ああ、あいつは結果残せなかったから仕方ないよね。だけど、いい奴だったから、人間的には好きだよ。次もどこかで契約できるといいね。」
といったように、ビジネス上の評価・処遇と、人間性に対する評価・感情が大きく乖離する、といった整理の仕方も起こりがちです。

両者の思考様式が近いのは、競技特性やアスリートのキャリアも短いスパンでの「変化」を前提としている、という環境的な近さがあるからではないかと考えました。

他方で
アスリートのセカンドキャリア問題というのが取り沙汰されてもう何年にもなります。
そして、この問題の解決策が「一般のビジネス界への転身」と捉えられることも多いようです。

それを実現する過程では、異なる社会の常識のGAPに苦労し、努力して考え方や行動の仕方を「矯正」する元アスリートも多い様子ですし、「真面目」なアスリートの中には、現役時代から「予習」に熱心な方も増えているように思います。
しかし…

今の日本の社会というのは、既に「不安定で変化が激しい社会」に片足を突っ込んでいます。
そう考えれば、実はアスリートが鍛え上げてきたその独特の思考様式・行動様式こそ、現代の日本の企業に求められるもののように思われます。

そうだとすれば、引退後のアスリートというのは、そこまで苦しまずに、自分の強みを活かして活躍できるのではないでしょうか。
こういうことは、もしかして既に語られているのかもしれませんが、私自身があまり整理して考えたことが無かったので、今回の気づきでした。

タンザニアの話から思わぬところに飛びましたが、それもまた面白く、次回が楽しみです。

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