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「今日は学校に行こうかな」

「今日は学校に行こうかな」
娘のこの一言で私の1日の行動は変わる。

小学3年生の娘は、2年生の頃から不登校。

無理に行かせようとしてはダメらしい。期待してもダメらしい。
それなので私は心をなるべく穏やかに過ごせるように、
細心の注意を払わなければならない。
私のちょっとした「ミス」で、娘が学校に行けなくなってしまうかもしれないからだ。
今まで何度かそういうことがあった。
私のせいで娘は学校に行けなかった。そんな罪悪感で押しつぶされそうになる。

6時間目が終わるまで、娘が行きたくなるタイミングですぐに連れて行けるように待機。でも圧力をかけてはいけない。期待する様子も見せてはいけない。
娘の食べたいもの、飲みたいものもなるべく用意する。ちょっとした会話でも、娘の機嫌を損ねないように気を遣う。
まるで奴隷だ、と思う。

娘が学校に行かなくなったばかりの頃、なんとか手を引いて連れて行ったり、怒ったりしてしまった。そのせいで、娘は心が疲れてしまったようだ。
その償いの気持ちで、今は奴隷になってもいい、と思っている。

結局この日娘は、学校には行かなかった。

どっと疲れ、解放される私。
改めて、自分がまだ娘に学校に行って欲しいと思ってしまっていることに気付く。
私のピリピリした様子が伝わってしまったのだろうか。
いや、こういうことを考えてしまう時点で、期待してしまっている。
学校に行っても行かなくてもいいや、とおおらかに構えなければいけないのだ。

そう、それは理想の肝っ玉母ちゃん。

まだまだだめだなあと思い、反省。
肝っ玉母ちゃんを目指せ。私。

1週間後、また「学校行こうかな」が来た。
今度は、娘のために時間を空けることもせず、自由に買い物に出かけたりして、なるべくいつも通り過ごした。

6時間目があと30分ほどで終わる頃、「行く!」となり、何も用意していなかった私は慌てふためきバタバタと学校に連れて行った。

クラブ活動に少しだけ参加し、保健室で身体測定もしてもらった。

これで「達成感」を感じてしまっているから、まだまだ反省。




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コマリ
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