2022年1月 富津岬~内裏塚古墳群
いつもは山を歩く仲間、年明け企画はこれまでも三浦半島を歩いたり、銚子方面を歩いたりもしてきた。今年は富津岬へ行こうということになった。内房線五堀駅で下車。
駅前に周辺の古墳MAPが掲げられていた。こんなにたくさんあるのか。へえ、関東周辺で古墳と言えば、埼玉県ぐらいしか思い当たらなかったな。
簡単な待合所みたいな施設、古墳の里ふれあい館。写真や簡単な説明などが展示してあった。それによれば、南関東最大規模の前方後円墳があるそうだ。5世紀頃の古墳。ここには、観光シーズンにはひょっとしたらボランティアガイドが詰めたりしているのかな。
駅前から富津公園行きのバスに乗車。終点まで乗ったのは我々4名のみだった。公園に隣接してジャンボプールがある。室内プールもあるが休園中だった。岬へ向かってまっすぐに道路が伸びていて、多くの高校や大学の陸上部が合宿トレーニング中だった。
しだいに両側の松林が狭まってきて、30分ほど歩いて先端。海は陽の光を受けて輝いている。まるで、春の海みたい。前日は猛烈に冷たい風が激しく吹きまくっていたから、こんな風にウォーキングも楽しめず、海も険しい表情だったろう。ラッキー。
ピラミッド状に組み上げられた展望台へ上る。おお、今日は山登りはないと思っていたのに。けっこうきついよ。さすがに最上部からの眺望は素晴らしい。ここから浜金谷の先ぐらいまでが三浦半島と房総半島の間が一番狭くなっている部分。横須賀との間に第一海堡と第二海堡が浮かんでいて、その向こうに富士山! 手前右が第一、左奥が第二。
三浦半島の観音崎方面、蜃気楼みたいにも見えるぞ。
さっき歩いてきた松林の方面。
横浜のランドマーク。
海の中に浅い瀬が伸びている。
下へ降りると、先ほど見た海の下の砂州が干潮時には顔を出すのか、こんな注意書き。歩く人がいるんだろうな。それで帰れなくなる。
帰りは砂浜を歩く。と、さっきから飛んでいたモーターハンググライダーの基地があった。体験コースでもあるのか初心者を抱えて飛んでいる人もいる。
さらに砂浜を歩く。
と、計画立案者のN君がGoogleMAPで見つけたという、戦跡があった。監視所、通称ボウズ、試射の際に赤旗を揚げ周囲に危険を知らせた、と案内板に書かれていた。富津公園付近一帯はかつて日本陸軍の射場として使用されていたため、当時の遺構が一部残っているのだ。
他にも数ヵ所、トーチカや防弾壁、砲台跡などの遺構が点在している。
バスの時間を気にしつつ、バス停まで戻った。帰りは青堀駅のひとつ手前で下車。菊寿しという店でセットにぎり上を食べた。カウンターでは酒を吞みながら大声でわめき散らすオバさんたちがいて閉口した。
食後、すぐ近くにある海苔屋さんでお土産を買う。千葉県内に住んでいながら近所のスーパーでは国産の海苔は有明産しか見たことがない。こちらでも直売以外は小売りしてないとのこと。
そして、いよいよ古墳めぐり。まずは最も規模の大きい内裏塚古墳。国指定史跡。墳丘の主軸長144m、墳丘の高さ後円13m、前円11.5mの規模は片方の看板には南関東最大、もう片方の看板には県下最大の前方後円墳とある。墳丘の上まで登れる。
先へ進むと、お、白梅が咲いている。
次も前方後円墳、九条塚。こちらは富津市指定史跡。上部には内裏塚と同様に碑が祀られている。
さらに、方墳の森山塚古墳。
そして同じく方墳、亀塚古墳。木々が刈り払われていて形がよく分かる。
で、すぐ近くには日本三陣屋のひとつという飯野陣屋跡。ほかのふたつ、長州徳山と越前敦賀は現存しないので、唯一の三陣屋だそうな。濠は今でも残っている。
そして陣屋内に設けられた飯野陣屋も健在。
神社の裏手は三条塚古墳、一部は削られているが、石室の天井石の一部が露出していた。
いやあ、なかなか、数十年前から千数百年前、数百年前へとめまぐるしく歴史を行ったり来たりするスケールの大きな時空旅行をさせてもらった。五堀駅から君津駅乗り換えで帰路についた。
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