2021年5月 館林チャリ散歩
初めて館林の街を歩いた。駅前のホテルで無料のレンタサイクルを借りられる。ぽんチャリ、と言うらしい。500円の保証料を預けてスタート。駅前には館林の象徴タヌキとともに不思議な碑が立っていた。巨人軍栄光の初V、不屈のG魂誕生の地、分福球場、とある。へえ、知らなかった。ま、興味ないけど。
さて、まずは茂林寺へ向かう。チャリはフツーのママチャリ。一帯は真っ平らの平野なので、問題なし。快走。門前の土産物屋にはずらり、これでもかとタヌキ。さすが分福茶釜のふるさと。
茅葺きの山門前の参道両脇にも当然、タヌキ。しかし、タヌキ像はなぜ首をちょこっとかしげているのかなあ。不思議。
ひときわ大きなタヌキは東武鉄道の昭和35年寄贈のもの。
本堂前には樹齢550年以上と書かれたラカンマキ。5月に花が咲くとあるが、早々に終わったみたい。
寺の裏手には茂林寺沼が広がっている。館林では、里山ならぬ里沼と称して、ここ以外にも城沼、多々良沼など、豊かな自然環境がそれぞれの歴史文化とともに守り伝えられており、日本遺産に認定されている。渡良瀬川と利根川に挟まれた土地ならでは。茂林寺沼は大半を葦が覆っていた。
水面が見える部分も残っているが、一時は乾燥の危機にもさらされたそうだが、地下水をポンプ給水することで環境を維持してきたという。
このような環境なので、貴重な水生・湿原植物や水辺の昆虫など多いようだが、簡単に目に付くのは鳥。水面を飛んできて木に止まったのはアオサギかな。
いや、しかし今日は暑い。30℃近い感じ。自転車だからまだ助かっている。歩いてたらへばるなあ。さて、北へ向かい、城沼へ。文字通り、館林城を囲む濠の役割を果たしていた沼。
一帯は公園となっていて、ツツジの名所だが、もう花は大半が終わっていた。歴代城主がツツジを大事にしてきたという。
沼にはハスがたくさん。花が咲くと、遊覧船なども出るらしい。
尾曳橋を渡ると一帯はかつての城跡。様々な施設が並んでいる。入らなかったけど、向井千秋記念こども科学館もあった。ここのご出身なんだね。
その向かいには田山花袋記念文学館。こちらは220円を払って見学した。
道路をはさんで、旧上毛モスリン館という洋館が立っている。明治時代、人々の洋装化にともない、毛織物生産が盛んに行われるようになったが、その先駆けとなったのが上毛モスリン。
当時、こんなハイカラな建物は人目を惹いただろうが、建物にはレンガもいろいろ使われている。昔のレンガを蒐集しているマニアもいて、貴重なレンガは高値で取引されると聞くが、さしずめこれらは凄いんだろうな。
館内には、モスリンと並んで館林の近代化を牽引した製粉業の創始者正田貞一郎、そう日清製粉創業者であり、美智子様の祖父にあたるが、その愛用馬車なども展示されていた。
同じ敷地内には、移築された田山花袋の旧居もある。玄関脇の小部屋が花袋の勉強部屋だったとか。
実は、道路を挟んで田山花袋記念文学館を見ると、その奥の高い木の上にサギがたくさんいるのが見える。巣が木の上にあるのだ。よくよく見ると、ヒナもいた。
自転車で町中を回る。お城跡はわずかに門と土塁が残るだけ。
鷹匠町の武家屋敷通りへ行くと、田中正造記念館があった。生まれは栃木県のはずだが、このあたりも渡良瀬川が近く、鉱毒で苦しんだ人もいたのかも。
NPOが管理していて、入場無料。手書きっぽい資料がたくさん貼られていた。カンパをお願いしますとあったので、200円入れたら、これ持って行って下さいとクリアファイルをくれた。
すぐ近くには武鷹館という屋敷もあるが、土日のみ公開。
お腹も空いたので、館林うどんの本店、うどん花丸でランチ。表の看板には日本の銘麺館林うどん、とある。頼んだのは、なまずセット1090円。ざるうどんとなまず天ぷら。なまず天ぷらは、テーブル上の正田醤油をかけて食べて下さいと言われた。ホクホクの白身は美味しい。うどんも讃岐風の固い麺ではなく、もっちり系で旨い。ビールを吞みたいが、飲酒運転は御法度、ぐっと我慢。
駅へ向かって進むと、飲み屋街。あら、いい雰囲気のラーメン屋。ここでもよかったなあ。
その先には、旧館林二業検番組合の建物。ここは国登録有形文化財。
駅の近くまで行くと、こちらも国登録有形文化財の分福酒造店舗、現在は毛塚記念館。休館日は月曜のはずだが、コロナの影響か、閉まっていて見学できず。残念。
最後は駅前近く、竜の井。かつてはここにお寺があり、その境内の井戸だったという。
で、館林駅に着いた。自転車をホテルに返却し、500円返してもらった。
最寄り駅から東武線を乗り継いできたが、使用したのは株主優待券。すでに東武の株は売却したので、使用するのは最後の機会。このあと、野田線某駅で人身事故があったとのことで、途中駅で待機しつつ帰宅した。