2019年3月9日 前橋、足利

画像1 赤城駅から上毛電気鉄道に乗り換えた。それまでの東武鉄道区間とは違ってスイカは使用できない。やってきた列車は派手なペイントが施されていた。
画像2 列車に乗り込むと、中もドアから天井から窓までペイントで描き埋められていた。はしる水族館、という列車。確かに水族館の中にいるような気分。
画像3 上毛電鉄の車窓には赤城山がずっと見えていた。この日はポカポカ陽気だったけど、冬はいかにも木枯らしが吹きすさびそうな景色。
画像4 上毛電鉄は自転車ごと乗車可能。ヨーロッパあたりではよく見かける光景。お客が少ないことを逆手に取ったサービスだな。
画像5 終点、中央前橋駅で下車して、横断歩道橋を渡れば、町の中を流れる広瀬川が目に飛び込んでくる。川幅はさほど広くはないが、たっぷりの水が結構勢いよく流れている。
画像6 広瀬川畔の柳の木はうっすら緑色の芽が出ていた。河畔の遊歩道沿いには前橋ゆかりの文人達の詩碑や歌碑などが点々と立っている。
画像7 その名も「さくたろうはし」という橋のたもとには痩身の萩原朔太郎像が立っている。その後ろには、前橋文学館。そこでも一番のスターは、もちろん朔太郎だ。
画像8 文学館内に展示された朔太郎のポートレート。いかにもお金持ちのぼんぼん、という雰囲気を放っている。
画像9 ギターやマンドリンも得意にしていた朔太郎。愛用のギターはつばめの意匠が埋め込まれたイタリア製の高級ギター。
画像10 広瀬川の水流の激しさがよく分かる箇所。江戸時代に灌漑用水などのために利根川からひきこんだのが始まり。
画像11 前橋市内で見かけたマンホール。市の花がバラであることからこのようなデザインにしているようだ。
画像12 道路脇を見たら、くぼ地に遊具があれこれあって、子供達が順番待ちの行列を作っていた。1954年に誕生した、るなぱあく、という遊園地。日本一安い遊園地らしい。入場無料、遊具は1回10円か50円だそう。
画像13 明治時代に迎賓館として建設された臨江閣は往時の姿で今も保存されている。庭には、平井晩村の落葉の詩碑が立つ。
画像14 県庁の隣にある前橋公園には、八重咲きの梅が咲き誇っていた。石垣の上からは雪を被った浅間山が見えた。
画像15 アーツ前橋という展覧会や各種公演を行う大きなビルの隣に、白銀屋という古き良き昭和を彷彿とさせる昔ながらの薬局というか化粧品店というか、お店があった。
画像16 前橋台地の巨大岩石。数十万年前の赤城山系の溶岩が2万年前に前橋泥流と流されたものと、説明板に書いてある。
画像17 旧大竹酒造煉瓦蔵。大正時代に立てられた酒蔵で、昭和47年までは醸造を行っていたという。今はイベントなどに使われている。
画像18 足利市、足利学校そばの珈琲処晴れ晴れ。1階は自家焙煎のコーヒー豆を販売、2階で焙煎したてのコーヒーを飲むことが出来る。大変レベルが高い。
画像19 足利市、鑁阿寺(ばんなじ)の周囲は土塁と濠で囲われている。ほぼ正方形の敷地は約4万平米。足利氏一門の氏寺。
画像20 鑁阿寺山門前には濠を渡る太鼓橋が架かっている。濠には大きな鯉がたくさんいて、橋の上から餌をやっていた。
画像21 鑁阿寺本堂の右脇のガラス戸を開けると、おびんずる様が祀られていた。具合の悪い部分を撫でさすってお祈りすると良くなるとのことで、膝などはつるつるになっている。
画像22 鑁阿寺から少し西に歩くと、古い銭湯があった。花の湯。この右の通りを入るとすぐ、大谷石の蔵をもつシブイ建物の質屋があった。
画像23 こういう歴史を感じさせる洋館風の写真館がここだけでなく、近くにもう1軒あった。昔から足利の人は写真好きだったのだろうか。
画像24 日本で最も古い学校、足利学校。大正時代に国の史跡にされたが、近年、さらに日本遺産にも認定された。
画像25 足利はなかなか面白い町だと、このポスターからも分かるだろう。素通り禁止、なんて洒落てるなあ。
画像26 勉強亭本店のアジフライ。普通のアジフライのように開きにしないで、頭とワタを抜いたままフライにしてある。
画像27 緑色のライトが灯る中橋。渡良瀬川に架かるこの橋を渡ると、東武鉄道の足利市駅。

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