2020年2月 那覇市

画像1 泊港のかりゆしアーバンリゾートナハホテルに宿泊したら、部屋の窓からは泊港が一望できた。
画像2 ホテルで夕食を済ませた後、ひとり飲みに出かけた。栄町社交街はまだまだ宵の口ゆえ閑散としている。
画像3 栄町市場内、昨年初めて入った生活の柄に行きたかったが、満席。やむをえず、何度か来たことがあるボトルネックへ。
画像4 栄町ボトルネック、安いし、つまみも悪くないし、流れているBGMは好ましい。が、いつ行っても店員さんとの会話はゼロというのだけがちょっと寂しい。
画像5 翌朝、首里城に行ってみた。守礼門。いろいろな条件が重なり合って、閑散としている。
画像6 歓会門、漏刻門とくぐると、痛ましい焼け跡が目の前に現れた。訪れる人、みな、ああと嘆息する。
画像7 御庭を囲んで立っていた正殿やその他の建物はほとんど残っていない。
画像8 京の内展望台から那覇市街地を眺める。こうやって見渡せるということは、火災の時はあちらからも火の手がよく見えたということなんだなあと改めて痛感した。
画像9 新型コロナウィルスの罹患者は那覇周辺でも報告されていることもあり、首里城公園の民俗衣装姿の係員も皆さんマスク着用だった。瑞泉門を出ると左手の龍樋の所でお詣りしているご家族がいた。
画像10 首里城前の龍潭に浮かぶ弁財天堂の隅に白鷺が止まっていた。
画像11 首里城を出てゆいレールの首里駅に戻ってくると、途端に激しい雨が降り始めた。間一髪。
画像12 ゆいレールは昨年、2019年10月に延伸された。新しい終着駅まで乗ってみた。てだこ浦西駅。
画像13 この先、さらにまだ伸びるのかしら。簡単には延伸できないような行き止まり方であった。
画像14 真新しいてだこ浦西駅。駅前には立体駐車場とタクシー乗り場があるくらいで、何もなかった。
画像15 ゆいレールの車内。若い運転士さんが多く、指導教官が傍らに乗っていることもあった。
画像16 那覇市内中心部、国際通りへ戻り、ランチ。コザに本店があるチャーリー多幸寿。この日は店員さんが少なく、調理に時間がかかりますと断り書きが貼られていて、先払いのため、行列ができていた。
画像17 ビーフ、チキン、ツナの3種類セットを、生ビールをおともに。ここの皮はパリパリではなく柔らかいのが特徴。もっとアツアツのはずなんだけど。
画像18 プロ野球のキャンプが沖縄各地で始まっていた。オープン戦の告知も町中あちらこちらで。
画像19 おもろまちの沖縄県立博物館美術館へ。博物館の企画展、手わざ-琉球王国の文化-、がお目当て。
画像20 沖縄に古くから伝わる伝統工芸を現代の作り手達が再興復元する事業として国と沖縄県が予算化。これは御供飯(うくふぁん)と呼ばれる漆器に沈金を施したもの。再現品。
画像21 再現されているのは紅型染めの服飾をはじめ、木彫、石彫、三線など多岐にわたる。
画像22 黄金の輝き、見事な金細工。これは髪飾り。多くの展示は再現品と一緒に原型となった工芸品も展示されていて、その比較対象も見所。
画像23 2日目の晩は、数年ぶりに、うりずんで夕食を摂った。カウンターをあらかじめ予約しておいて正解だった。常時満席状態だった。
画像24 ニガナの白和え。美味しいのもさることながら、器もなかなかいい。
画像25 うりずん名物、ドゥル天。ドゥルワカシーと呼ばれる田芋を揚げたもの。ねっとりした旨味がいい。
画像26 からからで泡盛の12年古酒をいただく。この店が啓蒙するまで、沖縄では泡盛は安いだけの酒で労働者の飲み物だった。
画像27 泡盛の普及と沖縄料理を内地の人に広めた立役者、土屋さんは5年前に亡くなられた。肖像画がカウンターの中に飾られていた。
画像28 ホテルのロビーには、琉球舞踊を描いた大きな油絵作品が数点飾られていた。

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