2019年1月23~25日 沖永良部島

画像1 初めての沖永良部島。那覇から日本エアコミューターのATR-42機で1時間弱。48席、乗降口は後部から、最前列のシートは後ろ向き。
画像2 ホテルは和泊港近くのシーワールド。港にはマルエーラインのフェリーが入港していた。
画像3 島での話題は何といっても放映が終わったばかりのNHK大河ドラマ西郷どん。西郷どん村にはロケで使われたセットの数々が展示されていた。
画像4 南洲神社には西郷隆盛の犬連れの銅像が立っていた。丸々した風貌の西郷どん。最近塗装し直したのかもしれない。
画像5 和泊の集落を歩いていると種子島の表札があった。島の住人の名字は3種類と教えられた。元々の住民は漢字一文字、薩摩支配下の住民、そして琉球王朝時代の住民。ここのお宅はもちろん薩摩時代だな。
画像6 島にはネコが多いが沖永良部島でも至る所で見かけた。白っぽいネコが多かったような気がする。
画像7 笠石海浜公園には屋根付きの土俵があった。これは琉球というより奄美も含めた薩摩流かなあ。
画像8 笠石海浜公園展望台からの眺め。島を取り巻く海はサンゴ礁が豊かな美しい海だった。
画像9 国頭小学校の校庭にある日本一のガジュマル。1年あまり前の行幸の際、両陛下もご覧になったそうだ。
画像10 島の北部、石灰岩の険しい海岸にはフーチャと呼ばれる石灰岩が波で浸食されてできた潮吹き洞窟がいくつかある。暴風激しいときはその穴から潮が吹き上げるという。手すりがないから怖い。
画像11 島にいくつかあるトイレやシャワー施設が整備されたビーチのひとつ、ワンジョビーチ。浅瀬の美しいビーチ。
画像12 2~6月には海藻を食べにやってくるウミガメを見られるというビューポイント。
画像13 草原が広がる半崎。男はつらいよ最終回48作でロケ地となった。舞台は加計呂麻島なのに何ヵ所か沖永良部島で撮影されたようだ。
画像14 歴史民俗資料館の庭には9本柱の高倉が立っていた。掃除をしていたおじさんが他にはない珍しいものがあると教えてくれた。高倉の四隅に置いた丸石でイナダマというらしい。縄文時代の石だそうな。
画像15 15世紀の島の王、世之主の墓。サンゴ礁の石灰岩を積んだ琉球式の墓。
画像16 墓の近くの高台には世之主神社がある。ピカピカの建物で驚いた。おばさんが掃除をしていた。この反対側の鳥居からは東シナ海が見渡せる。
画像17 沖永良部酒造は島内4軒の蔵元の共同瓶詰め会社。代表銘柄は稲乃露。海洋深層水を使って現代風に仕上げた、はなとりというシリーズもある。
画像18 水道が整備される前は貴重な水源だったジッキョヌホ-。澄んだ水が湧いていて、水底の石には稚貝が付いていた。
画像19 昇竜洞駐車場で見かけたスミレの花。1月にスミレが開花するとは驚き。タチツボスミレのように見えるが。
画像20 沖永良部島には鍾乳洞がいくつかある。ガイドなしで入れるのは昇竜洞。天井が高く、鍾乳石の種類や大きさも見事で驚いた。
画像21 受付にいたおじさんから、ナイアガラの滝を過ぎてすぐ振り返ると、観音様が見えるからと教えられた。確かにそう見える。急いで願い事を。
画像22 またまた島ネコ。これは大山の自衛隊基地近くで見かけた。毛並みがきれい。
画像23 大山植物公園展望台からは360度の眺望が楽しめる。すぐ近くの自衛隊基地のパラボラアンテナ。
画像24 大山植物公園展望台を下りてすぐ、ヒカンザクラが咲いていた。
画像25 沖泊海浜公園の海岸は他とは少し様子が違っていた。
画像26 沖泊海岸には、大型有孔虫化石密集層という看板が立っていた。化石が見えるのかと思って探したが分からずじまい。
画像27 田皆岬に立つヤゴニャ埼灯台。昭和49年設置、15000カンデラ、光は22海里に届く。
画像28 住吉暗川(クラゴー)はかつての水源。洞窟の中に下りていって水を汲むのは女性の仕事だった。さぞかし辛かっただろうに。
画像29 折しもサトウキビの収穫時期。島内の道路にはキビを一杯積んだトラックが走り回っていて、1年ほど前に訪れた南北大東島を思い出した。
画像30 3日目の朝、日の出を見ようとウジジ浜に出かけた。大海原から昇る朝陽は神々しいものだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?