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2022年8月 隠岐3 島前・中ノ島

西ノ島からの内航船が中ノ島の菱浦港へ入港する直前、岸辺にお洒落なホテルが見える。
最近開業した高級ホテル、Ento。高いので予約する気になれなかった。

菱浦港に着いて、ターミナル内の観光協会でレンタカーを借りる。明日の昼まで、24時間扱いで8000円。ひやー、高いなあ。よそで安い所なら3、4日間借りられる。しかも軽でなく普通車が。まあしょうがない。ここはガソリン始め物価は高いのだから。しかし、ここの車は整備状態も良くよく走る軽だった。
まず向かったのは、島の北部にある宇受賀命(うつかみこと)神社。田んぼの中に立っている。島前の他の島には見られない水田が中ノ島にはある。島前全体の米を供給しているようだ。

続日本紀にすでに名前が出てくる古社という。
田んぼの稲はもう穂が実っていて、間もなく新米となりそうな感じだった。

細い道を海士町役場のある中ノ島中心部に戻る。村上家資料館。古くから当地の有力者で、配流された後鳥羽上皇の世話もした。チケットを求めると、後鳥羽院資料館も行く予定ならば共通券がいいですよと勧められ、共通券を買った。名門の旧家らしい立派な屋敷。

村上家資料館の庭に大きな百日紅の木。
皇太子殿下休憩の間。皇族の皆さんは隠岐には結構来ているようです。
村上家資料館の隣に立つのは、現在の村上家当主の自宅とのこと。レストランかと思った。

さあ、今夜の宿はすぐ近く。お泊まり処なかむら。

なかむら。

旅館のはずだが、玄関先には脱ぎ散らかした靴が散乱。呼び鈴を何度押しても誰も出てこない。ありゃ。女の子がいたので、お家の人を呼んできて、と頼んだら、やっと出てきた。しかもすぐ近くの部屋から。案内されたのは2階の6畳間。風呂トイレ洗面所は共同。食事は併設の居酒屋で。とりあえず、家庭用バスの風呂に入る。風呂上がり、小さな缶ビール、ひとり1本自由に吞んで下さいとのこと。これは嬉しいね。

違う銘柄だったら、もっと嬉しかったな。

18時半から夕食。居酒屋のカウンター。店には家族連れの宿泊客や、居酒屋として利用するお客もいて、賑わっている。

夕食膳。ぼくはアワビコース。カミさんはスタンダード。

こちらは頻繁にライブをやっている。店の奥はステージで楽器やアンプ類が置いてある。大勢で演奏するのは難しそうだが、これまでに出ている人の名前を見れば、フォーク系の単独シンガーが多いようだ。

当代のダンナ(47歳)が音楽好きだったからこうなったみたい。

働いているのは若い男の子達。日本酒を頼むといわゆる全国各地の有名銘柄を勧めようとするみたいなので、島の酒を、と注文。隠岐誉しかないことは分かっているが、蔵ではそれなりの種類の酒を出しているはず。瓶の写真を撮りたいと言うと、これしかなくて、と紙パックを出してきてビックリ。
料理は、その後、イサキ姿煮、なぜか冷めたボルシチ、そしてアワビステーキ、と言っても直径4センチほど。これまた驚いたな。スタンダードコースとの料金差は2000円。刺身が1種類2切れ多かったのと、タイのグリル(味見したけど美味しかった)が小さなアワビになっただけ。他のお皿は全く同じ。こりゃ失敗したわ。
その後、酒はレモンサワー、島根県の酒ならあるというので王禄を。これは旨いに決まってる。

王禄、久しぶりに吞んだ。
小さな小さなアワビステーキ。トッピングの揚げ物は冷たい。
翌々日のライブのフライヤー。僕らの世代で、中山と言えばラビだけど、とカウンター内
にいたお嬢さんに話したら、そんな人知らないと素っ気なく言われた。

ダンナがカウンターの目の前に来たので、少し音楽話を。高校生の時、71年の中津川フォークジャンボリーで岡林やタクロー、三上寛のデビューや馬鹿者達のステージ占拠などを見たと話したら、実際にあれを見たと言う人に初めて会ったと喜ばれた。バンドやってると話すと、何かやりませんかと誘われたが、吞みに来てるお客さんもいる中でそんなことしたくないので強く遠慮しておいた。玄関脇のスペースでBBQをやってる家族連れもいた。合宿とか、そういう使われ方の宿だな、ここは。
しかし、この宿は酷かった。掃除を全然していない。部屋の窓や雨戸はほこりだらけ。浴室手前の更衣スペースは冷房がなくて暑く、扇風機のネットは埃まみれ。トイレも同様。部屋のテーブルも持参した除菌シートで拭いてから使用したほど。民宿でももっとマシだよ。

翌早朝、宿の近くを散歩。
隠岐神社の手水場には百日紅の花。
隠岐神社は昭和14年、後鳥羽天皇没後700年を記念して造営された。
すぐ脇に御在所跡、さらには火葬塚がある。
少し歩くと入江が入り込んでいる。明治頃までは隠岐神社参道あたりが海岸線だった。
海岸縁にダイサギがいた。
日が昇って、今日も暑くなりそうな気配。

宿を早々に出て、港へ。朝イチで海中展望船あまんぼうの予約をしてある。本当は2便にしたかったが、満席でやむなく8時40分発の船になったのだが、海が濁っていないから朝の方が海中はよく見えると昨夜教えてもらった。へええ。そんなもんかい。
乗船したのは、我々以外には子連れの夫婦だけ。案内役は若い女性。まず、三郎岩まで向かう間は甲板であれこれ説明を聞く。その昔、西ノ島と中ノ島の間に橋を架けようという計画があったことなど。その他、知夫里島に2000匹もタヌキがいると教えてくれたのもこの時だ。

これが三郎岩。左から、一郎、二郎、三郎。が、三郎の左に割れ目があって、
それは四郎と言う場合もあるとか。この周囲が海中の見所。

さて、下の展望室に下りて、海中散歩。春先はもっと海藻が密集していて見通しがきかないのだそうな。小さい魚がたくさん泳いでいる。スズメダイ。青い小さいのもいる。他にアジ類、ベラ類など。このあたりサンゴはできないそう。しばらくすると大きめの魚が現れた。クロダイ。餌をもらえると知っていて、あまんぼうが来ると寄ってくるそうだ。賢い魚らしい。

クロダイは、餌が投下されると素早く近づいてパクリと飲み込んでいる。
船の下部、展望室はこんな感じ。客が少なかったので、よく見える左側に座れと言われた。
港に戻る途中、海鵜が小さな島に止まっていた。
案内役は観光協会の女性。自己紹介で、東京の観光専攻の学生と分かった。
春先にインターンシップで来島し、期間終了後も残って観光協会で仕事中。
そういえば、大学の先生をしていて、ゼミの学生を隠岐に毎年送り込んでいると言ってた
元会社の後輩がいたなあ。教え子かしら。

港に戻り、車で島の南部の高台へ。ここでやっとカルデラを見渡すことができた。

左奥が知夫里島、右上奥が西ノ島、手前が中ノ島、3島がぐるり取り囲むようにしてカルデラ火口が存在し、そこが陥没し、現在の海となった。

そこから知々井集落を経て、名水、天川の水へ。冷たくて美味しい水が湧いていた。

冷たくて美味しい湧水。ここの右上には清水寺がある。

その後、後鳥羽院資料館へ。見るべきものはほとんどない。2階に神社に奉納された多くの日本刀が展示してあった。後で知ったが、後鳥羽天皇は刀が好きだったんだね。

後鳥羽院資料館。

明屋海岸へ最後に寄る。海はここも美しい。

明屋海岸。海の色が素晴らしい。
明屋のバス停、1日6本のバス。しゃもじの形をしているのは、海士町の民謡キンニャモニャに合わせて踊る時に、両手にしゃもじを持つから、町の象徴のようになっているため。

さて、港へ戻り、車を返却し、ガソリン代を精算。ターミナル前の隠岐牛の店へ行くと、本日予約で満席。あちゃ。しょうがない。ターミナルビル2階のレストランへ。がしかし、まださほど込んでいない12時前に入店でき、注文したのだが、なぜか後から入店した人の方に先に同じ料理が出てくる。しかも2組も。運ばれていたお箸セットも1組しかないし。どうなってるの、と係の人に聞くと、厨房に言ってきますというが、それでもなかなか出てこない。せっかく余裕をもって入店したのに、これじゃ出航時間が近づいてアセアセと掻き込まねばならない。もう要らないよ、と店を出た。若い人がたくさん働いていたが、機能していない。勘弁してよ。結局、売店でパンとコーヒーを買って昼にした。
ここから島後の西郷まではフェリー。高速船では30分だったが、1時間10分かかる。

塩パン、意外と美味しかった。
フェリー出航。海士町の印象は良くないなあ。朝のあまんぼうに乗船する前の観光協会職員の対応も、お客のために、という姿勢は全く感じられなかったし、全般におもてなし精神が全くと言っていいほどないね。


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