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「天気」の子 ~【櫻坂46】彼女が歌うとなぜ未来が明るく感じられるのか~

21日の放送で「五月雨よ」が初解禁されたのだが、23日の「レコメン」の中で、再びフルサイズVer.が流された。
radikoを使って、タイムフリーで聴く時、24時間で同じ番組が聴けなくなってしまうという仕様であるため、何度も聴きたいユーザーにとって、日にちを変えて放送してくれるというのは、本当にありがたい。

この曲を繰り返し聴いていて感じるのは、「雨」という楽曲のモチーフとは裏腹に、なぜか「明るい未来」が感じられるという点である。
これは、山﨑さんの声やキャラクターが影響しているのだろうか。
この疑問に対する答えを探るべく、山﨑さんがセンターをしている楽曲を、MVで見返してみた。

まず、「Buddies」である。
ドローンによる都会の映像から始まる。

山﨑さんをはじめとして、メンバーの皆さんが、ビルの間から、空を見上げるシーンが続く。
山﨑さんは、ビルの屋上にいて、街が一望できるところに立っている。
大空をバックにした彼女のシルエットが美しい。
そんな都会の風景の中で、天候や季節を描写した歌詞が流れていく。

ご覧よ こんな真っ青な空・・・
季節の風 花の香り・・・
緑の木々 漏れる日差し・・・
全てを奪った嵐は もう通り過ぎた・・・
この大地は穏やかだ・・・
悲しみの雨風は止み・・・
新しい夜が明ける(the sun is rising)・・・

櫻坂46「Buddies」より抜粋

「Buddies」も、「五月雨よ」と同様に、「Oh oh」という部分と、同じ歌詞(「We are buddies」「We are friends」)が繰り返される部分が多い。
MVでは、ここで、メンバー同士が見つめ合い、輪になって楽しそうにしている様子が続いている。
歌詞と映像が相まって、お互いが信頼し合い、支え合っていることを示すかのような光景だ。
どんなに離れていても、
見上げた先にある大空は、どこまでもつながっている。
一人じゃない。仲間がいるんだ。
というメッセージを、この曲から感じることができる。

このMVの影響があるからだろうか。
「五月雨よ」の中に出てくる「Wow Wow」の部分を聴くと、「Buddies」の「Oh oh oh oh」のところで、彼女たちが全力疾走をしているシーンを思い出してしまう。
「Buddies」の音源が解禁された時、この楽曲のMVは、草原などの自然豊かなシーンをイメージしたのだが、実際は、真逆の場所で撮影されている。
しかし、歌詞の根底に流れているメッセージを映像化する時、都会こそ相応しいロケ地であることがわかる。「Withコロナ」という世の中にあって、思い通りに外出できない状況にいる人々に、夢と希望を感じさせるものとなっているからだ。

次に、2枚目シングルのカップリング曲「思ったよりも寂しくない」を観てみよう。
こちらは、荒涼と広がる平原にある「滑走路」が舞台となっている。

ここで歌われている世界も、基本的には「Buddies」と同じである。

風が通り過ぎる時 花の香りするように・・・
陽だまりをいつも探したって・・・
そうあまり意味はないよ・・・
だって太陽は動いてるんだ・・・
まわりの風景に気を取られちゃ・・・
足下の花見逃すよ・・・
きっと通り過ぎてから
あれがそうかと思い出す季節・・・
昨日とは違う空見上げて・・・
人生は陽が照ったり翳ったり・・・
雲行きは変わって行く・・・
もっと光を・・・
もっと日差しを・・・
もっと木漏れ日・・・

櫻坂46「思ったよりも寂しくない」より抜粋

このように天気や自然を感じさせる部分を抜き出してみると、驚くほど「Buddies」と同じ風景を描写していることがわかるだろう。
MVやライブの演出では、メンバーの皆さんが、焚き火を囲んで、楽しそうに踊っているシーンがある。
不思議なもので、火を囲んで楽しそうにしている人たちを見ると、なぜか観ているこちらまで、ほっとする感覚に包まれる。
これは、もしかすると、DNAに刻まれた太古からの記憶なのかもしれない。
この「火のシーン」や「最後で踊るとき」に歌われているのは、しつこいくらいの「Oh oh」である。

彼女が歌ってきた楽曲のイメージがあるためだろうか。
「五月雨よ」の冒頭、山﨑さんが「五月雨よ 教えてくれ」と歌い始めただけで、何か「仲間」「平和」「世界」「幸せ」というイメージが広がっていく。
今までの山﨑さんセンター曲の中に、
 ・天候や季節の描写
 ・「Oh oh」の中での躍動
 ・仲間とのつながり
という3つが登場していたことが、聴く側の記憶に刷り込まれているせいだろうか。恋愛曲であるはずの「五月雨よ」に、何か「未来の展望」や「希望」を感じてしまう。
もしかすると、これは、秋元さんが「Buddies」の頃から周到に仕掛けた「三部作」の完結編として、「五月雨よ」が書かれたのではないかと思えるほどの見事な流れである。
そう考えると、楽曲自体の「爽快感」も納得できる。

MVが解禁されていない今、「五月雨よ」を聴いていると、なぜか新海監督の映画「天気の子」に出てくる、街並みが晴れていく風景が浮かんできてしまう。
この曲を、「天」という名前をもつ彼女が歌うのは、もう宿命だったのかもしれない。

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