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同じ『中庸』でも ~【櫻坂46】野生と理性の狭間で~

「摩擦係数」では、森田さん率いる『野生チーム」と、山﨑さん率いる『理性チーム』に分かれてパフォーマンスをしている場面シーンがある。
その間で揺れ動く「大きな振り子」。
これは、野生と理性の間を行ったり来たりする心情や気分を表しているのだろうか。
このような描写を見ていたら、つい、『中庸』の一節を思い出してしまった。

喜怒哀樂之未發、
(喜怒哀楽の未だ発せざる)
謂之中。
(これを中と謂う。)
發而皆中節、
(発して皆節にあたる。)
謂之和。
(これを和と謂う。)
中也者、天下之大本也。
(中は天下の大本なり。)
和也者、天下之達道也。
(和は天下の達道なり。)
致中和、天地位焉、萬物育焉。
(中和を致して、天地位し、万物育す。)

【現代語訳】
喜怒哀楽の感情が
まだ起こっていない精神状態は
どちらにも偏っていないので、
これを『中』と言っている。
喜怒哀楽の感情が起こっても
それがすべて節度に従っている時には、
これを『和』と言う。
『中』は天下の摂理を支えている大本である。
『和』は天下の正しい節度を支えている達道である。
『中和』を実践すれば、
天地も安定して天災など起こることもなく、
万物がすべて健全に生育するのである。

『中庸』

普通に生活していると、喜怒哀楽の感情が湧いてきてしまう。
それでも、正しい節度ある生活をしている時は「和」の状態であり、その時は、偏りの無い「中」の世界にいることになる。
しかし、「中」の世界からはみだしてしまうことを怖れて、萎縮した生活をしていたのでは、成長や進化がない。
特に若い時は、少々「中」の世界から大きく外れるくらいの方が、人間が大きくなる可能性が高い。
振り子の軌道の中心点を仮に「中」とした時、若い時は、振り子の振幅も大きく、勢いもあるため、「中」の状態である時間は、ほんの一瞬かもしれない。
しかし、それで良いのだ。
人生経験を積むことで、振り子の軌道にある「中」の幅が広くなってくる。
そうすると、多少揺れたとしても、「中」の中から出ることが無くなってくる。
最初は、「中」である時の方が圧倒的に少ないのだが、歳月を重ねるうちに、ほとんどが「中」となるようになる。
それこそが、「天下の達道」を進んでいる状態と言えるだろう。

欅坂46時代から、ライブやMVには、多くの謎や秘密が隠されていることが多い。
メンバーのブログやトークなどで、それが明かされることもあるが、大抵は、説明されることもなく、気づかず見過ごしてしまっているものも少なくないのだろう。
一期生だけの時は、特にその傾向が強かったので、ほとんどが謎のままであった。
しかし、二期生が入ってきたことで、振りの意味や楽曲の世界観を教えなければいけなくなり、その説明を受けた二期生経由で、ファンにも少しずつ意味などが伝わってくるようになってきた。
勝手に想像したり、思い込んだりしていたものに一つの答えが与えられると、安心する場合がほとんどであるが、意味がわかったことで、逆に謎が深まることもある。

彼女たちのパフォーマンスは、最初に目にした時は、その膨大な情報量から、ただただ圧倒されるだけであるが、その意味を探るために反芻することで、何度も味わうことが出来るところに魅力がある。
一度、このような鑑賞方法が成立することを知ってしまうと、もう沼の始まりである。
それを知った人は、必ず、誰かと語りたくなってくるからだ。

21日から始まる「W KEYAKI FES.2022」では、どのようなパフォーマンスを見せてくれるのだろうか。
いつものライブと比較すると、ファンとの交流の要素が多くなることが予想されるが、がっつりと彼女たちの世界観を見せつけてくれるパートも用意されていることは間違いない。




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