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「未完成」こそが魅力 ~【櫻坂46】彼女たちの進化を目の当たりにして~

秋元さんがプロデュースしている大人数グループは、総じて、構成メンバーの成長・進化を愛でるという文化である。
櫻坂46も、その流れの中にあるものであるが、大人が興味を持ち、その沼にどっぷりと浸かってしまう要素はどこにあるのだろうか。
一つには、TAKAHIRO先生がダンス指導をし、振り付けをすることで、「パフォーマンスをする」ということの本質的な部分を叩き込んだことが大きく影響していることは間違いないだろう。
それは、「伝えたいことがあるから、その手段として歌い、踊る」ということが、パフォーマンスの本質であるということだ。
欅坂46として、2016年にデビューした当時、彼女たちのダンスや歌のスキルは、まだまだ発展途上であった。
当時のMVを観ても、それはすぐにわかるほどのものであり、当の本人たちも、以前から撮り直したいと言っているのを何度も耳にした。
今では、場所的にも、メンバー的にも、それは不可能である。
しかし、このMVは1億回を超えるほど、繰り返し再生されており、今でも、十分に人々に訴える力を持っている。

形がきれいで、見た目が美しい必要は、私の中で1番じゃなくて・・・
ぱっと見て汚くても、その生き様がぐっと刺さるような表現をしてほしいなと思う

『SONGS』NHKより

上のTAKAHIRO先生の言葉が、その全てである。
まだまだ未完成であった彼女たちのパフォーマンスが、世間の度肝を抜き、人々の心に刺さったのは、ダンスの美しさや歌声ではなく、彼女たちがパフォーマンスを通して伝えたかった「魂の叫び」がそこから感じられたからである。
彼女たちの「この流儀」については、以前から「KEYAKIイズム」として何回かに分けて話してきているが、その中心的な核とも呼べるものが、この「パフォーマンスの考え方」である。

欅坂46が誕生してから、彼女たちから刺激を受け、いろいろなグループが彼女たちの歌やダンスをカバーしているが、未だにオリジナルを超えるものは出てきていない。

欅坂46が改名して、現在のグループになっているわけだが、本質的な部分は、今もしっかりと息づいている。
彼女たちの努力がきちんと血肉となり、指先やつま先まで、研ぎ澄まされたパフォーマンスを堪能することができる。
同じ未完成でも、デビュー当時のそれとは違ったものである。
歌やダンスは格段に上達したことで、要素ごとに個別に見ていっても、それはプロのレベルと呼べるものになってきている。
グループコンセプトに、「女性らしい優美さ」が加わったため、一見すると以前ほどの迫力が無いように思えるのだが、仔細に見ていくと、ダンスの切れや声量、声の響きなどに、脈々と「KEYAKI」の息吹が感じられる。
彼女たち自身が、「まだまだ・・・」と思いながら、必死に努力してきたことが、客観的に見て、十分プロのレベルとなっていることは、昨今のライブや音楽番組を観ていてもわかるだろう。
常に「今の最高」「最善」を目指してきたことが、世間から見たら、「完成」と思えるようなものであっても、彼女たちは、その歩みを止めることはない。
「自分たちは未完成であり、もっと上まで行けるはずだ」という信念のもと、どんどんと成長している彼女たちの姿を、次のフェスやライブで確認できることが、今一番の楽しみである。


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