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近畿の乗ったことがない路線 忍者と狸と信楽高原鐡道

信楽高原鐡道信楽線は滋賀県の貴生川駅から信楽駅までの14.7km、たぬきの焼物で有名な信楽の町への唯一の鉄道路線。現在は全線が滋賀県甲賀市内にある。

この緩い狸気に入りました。
信楽高原鐡道の貴生川駅はJRの改札を共有していて、京都方面とは向い合わせ。

信楽線について

国鉄の廃線候補から第三セクター化し、現在は甲賀市が線路を管理し、信楽高原鐡道株式会社は列車の運行する形式。貴生川駅は甲賀市の中心の水口町地区に隣接し、JR草津線と近江鉄道本線が乗り入れるターミナル駅。終点の信楽駅は旧信楽町の中心地域。

信楽高原へ山を登る
ちなみに帰りもある
信楽駅
信楽駅には車庫と本社がある。信楽高原鐡道の保有車両は3両。
信楽駅前の巨大狸もハロウィン仕様

貴生川駅と信楽駅を合わせて6駅、片道24分と短い路線。14.7kmの路線長のうち貴生川駅と紫香楽宮跡駅の間が9.6kmと路線の約3分の2とかなり歪なのは、会社名の通り信楽高原へ登る山越え区間となるため。現在1時間に1本の運行、1両編成のディーゼル車が途中駅ですれ違うことはなく、単純に折り返している。

貴生川駅から紫香楽宮跡駅に向けて山を登る。目の前の坂は33‰と日本有数の勾配。
忍者と信楽焼きの狸全振り
甲賀忍者つり革
狸だらけ
駅長テツコ
途中駅の雲井駅は開業時からある駅の1つ。
国鉄から信楽高原鐡道になった際に設置された駅の1つ。この駅と紫香楽宮跡駅が信楽高原鐡道になってから設置された駅。この駅はNHKの朝ドラ「スカーレット」の時代をモチーフに昭和30年代風にリニューアルした駅らしい。

歴史と延伸計画

開業は1933年。草津線の貴生川駅と関西本線の加茂駅を接続するように計画された路線で、計画の半分の貴生川駅から信楽駅までを先行開業。結局その後の延伸計画は実らず、結果として全長が短い盲腸線(片側の終点が他の路線に接続していない)、しかも京都・大阪方面から遠回りという立地の悪さも相まってモータリゼーションの時代に逆らえずに利用者は激減、廃線候補になってしまう。1987年に国鉄からJR西日本が発足に合わせて信楽町と水口町(現甲賀市へ合併)が出資する第三セクター化、それでも経営は改善できず、その後2013年に甲賀市が線路を管理する形として存続している。

せめて加茂駅側から信楽駅に来てたら可能性もワンチャンあった
貴生川駅を出てすぐのこの写真で渡っている杣川橋梁は2013年の水害で流出し再建されたもの。
上を通るのは新名神東名高速。自動車社会の象徴。

衝突事故について

この路線に乗る上でどうしても避けられないのが1991年に発生した死者42人・負傷者614人に上る鉄道史に残る衝突事故。事故を風化させないために信楽駅には当時の車両の一部や写真、記事などが展示され、貴生川駅から紫香楽宮跡駅間の当該事故現場には慰霊碑も残されている。

信楽駅の展示

この事故発生当日は信楽で国際陶芸祭セラミックワールドが開催されており信楽線は連日満員でテンパっていた状況。遅れを取り戻そうと赤信号を無視して発車した貴生川駅行き列車と、JRから直通してきた臨時列車が本来列車が来ているのに不具合で青になっていた信号を信じて進行した結果、見通しの悪いカーブで正面衝突してしまったというもの。

この辺りが事故現場
目の前に見えるが慰霊碑。

直接原因は信号トラブルであるものの、そのトラブルの原因はJR西日本と信楽高原鐡道の信号システムの無断改造。信号トラブル時に両社の意思疎通が不十分なまま各社で現場判断で解決するような状況が常態化していたため、起きるべくして起きた事故と批判されている。

この事故によりセラミックワールドも当日で中断。信楽線は半年超の運休ののち直接原因の信号は廃止され使われることは無くなった。遺族への補償金においてはJR西日本と信楽高原鐡道の過失割合の決着は2011年までかかっている。しかし弱小鉄道会社の信楽高原鐡道には保証金を支払うことはできず、滋賀県が肩代わりし、経営的にも厳しい状況から上下分離化で公営化が一段と進むこととなった。

運転席左側にある輪っかが通票。この輪っかを持った車両しかこの区間に入ってはいけないというルールにすることで信号機と同じ働きをする仕組み。事故以降すれ違い設備が無くなり1両が単純往復しているだけなので信楽高原鐡道では理論上信号機は必要なくなったともいえる。1両しか運行しないなら事故は起きない、ある意味究極の安全策。

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