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西武線のごちゃごちゃしたところを全部乗る

西武鉄道と言えば所沢で交わる池袋線と新宿線の主要路線がやっぱり目立つけれど、路線図の左下にごちゃごちゃしたところがあるのに目を背けていないだろうか。西武国分寺線、多摩湖線、西武園線、山口線、狭山線、拝島線、多摩川線と細かい路線が入り組んでいる部分になる。

ここです。

この辺りの細かい路線も含め、西武鉄道の路線網は戦前・戦後にかけていくつかの会社線が吸収合併された結果。ざっくりした理解として、旧武蔵野鉄道(池袋線、狭山線、豊島線)と、旧川越鉄道=旧西武鉄道(新宿線、国分寺線、拝島線、西武園線、多摩川線)の二つの鉄道会社を、不動産会社である箱根土地株式会社を介して合併して、ついでに箱根土地の作った多摩湖線もくっつけて戦後に新生「西武鉄道」となり、ユニークな鉄道網のまま今に至っているという感じ。

ちなみに2012年頃に西武グループへ出資し敵対的買収を仕掛けてきたアメリカの投資ファンドのサーベラスが多摩川線・山口線・国分寺線・多摩湖線(と西武秩父線)の5路線の廃止を提案してきたことでも一躍有名になったり。西武グループは巨大企業の超大手私鉄だけど、意外と祖業でもある不動産とか流通事業でも経営下手が目立つ会社でもある。

なお多摩地区民からすると南北移動ができるので意外と乗ることもあるし、西武ドーム(ベルーナドーム)へ野球観戦やコンサートや、西武園ゆうえんちに行く際に使ったことがあるかもしれない。

西武と言えば長らく?今も?黄色い電車のイメージだったけど、最近はもっぱら青と緑が基調でこの2タイプが増えてきている。このように、主力の新宿線と池袋線では新型が徐々に導入されている一方、今回乗った各線はまだまだ古い車両が生き残っている。しかしこの度東急の中古車両の導入が決定。西武内の主力路線であふれてきた古い車両よりも、東急の中古車両の方がエコだし、短編成にも対応しやすく、大手私鉄間で初めて他社中古車両の導入となる。

今回は多摩川線は除いたこの辺の路線をすべて乗ってきました。というよりも多摩川線と池袋線(秩父線)、新宿線はすべて乗ったことがあるので。西武線で残すは豊島線のみとなりました。

狭山線

池袋線の西所沢駅から南方面へ分岐し、下山口駅、西武球場前駅の3駅、4.2kmの路線。名前の通り狭山湖と村山貯水池(多摩湖)エリアへの観光アクセス路線として、当時の武蔵野鉄道(現在の西武池袋線に当たる部分を開業させた会社)によって1929年に開業。池袋線の前身となる路線は1915年には池袋駅と飯能駅の間で開業している。

これは1970年代東上の101系、塗装は同じ西武グループで同型車両を使用している滋賀県の近江鉄道コラボ。

終点の西武球場前駅は1978年にプロ野球西武ライオンズの本拠地として西武球場が置かれたことで狭山湖駅から改名している。今でも西武ドームことベルーナドームとして変わらず埼玉西武ライオンズの本拠地になっていて、ライブ・コンサート会場にもなっている。試合やイベントへの輸送のため10両対応6番線まである巨大駅で終了時間に合わせて臨時列車が待機できるようになっている。

西所沢駅。右2線が池袋線本線、左2線が狭山線方面。
西武球場前。
西武球場駅は6番線まであることがわかる信号。イベント輸送に対応するため。

普段は15分に1本程度とローカル線で、ほとんどが西所沢駅と西武球場前駅の間で折り返し運転。臨時列車は池袋方面から直通する列車も設定される。池袋線自体が無料で最速達となる急行は1時間に3本、地下鉄直通のFライナーは西所沢駅を通過するので、池袋駅から西武球場前駅へ臨時列車ではない方法で向かうと、乗り継ぎがかみ合わず意外と待たされることになります。

山口線

西武球場前駅、西武ゆうえんち駅、多摩湖駅を結ぶ2.8kmの西武山口線。西武の路線で唯一普通の鉄道ではない路線で、案内軌条鉄道という方式の新交通システムで、ゴムタイヤのついた車両が車体横のレールにそって走る。レオライナーという愛称で呼ばれることも。西武球場前駅では狭山線、多摩湖駅では多摩湖線とそれぞれ接続していて、乗り継ぎも5分程度で接続できるように考えられている。本数は基本的に20分に1本で、試合やイベント時には増発される。

山口線は新交通システムで、遊園地へ行く人で結構混雑していた。
狭山線より1段高いところに山口線のホームがある。
途中1か所で行き違いができる。
車両は狭い。
西武ゆうえんちは昭和をイメージしてリニューアル。
8500系
車両基地はベルーナドームの横。今日は西武カラーの編成は待機。

元々は村山貯水池(多摩湖)の観光のた1950年に開業させたアトラクションのおとぎ線というものがベースに、1952年に鉄道路線として一般交通機関に転換された。その後西武球場への輸送力増強のために1985年に今のような新交通システムに転換されて今に至る。2021年に西武ゆうえんちのリニューアルに伴い山口線の遊園地西駅をメインエントランスとして整備し西武ゆうえんち駅と改称、多摩湖線の西武遊園地駅は現在の多摩湖駅に改称されている。

多摩湖線

JR中央線の国分寺駅と多摩湖駅の7駅、9.2kmの路線。全線単線で途中の萩山駅では拝島線とクロスしていて同一方向同士で乗り継げる。萩山駅から多摩湖から武蔵境浄水場につながる水道に沿って走り、武蔵大和駅、多摩湖駅へ至る。

山口線とは平面上にホームがある。
9000系。京急が黄色い電車を走らせた際のアンサーとして西武で赤い塗装に白いラインのコラボを行った。その後リニューアルしてラインが無くなり真っ赤で生き残った奴がこちら。

現在の西武グループの元親会社で源流ともいえる堤康次郎の箱根土地株式会社が当時の小平村や東村山村に分譲地を開発しており、分譲地から国鉄中央線へのアクセスのために建設された路線。箱根土地は後のコクドで、不動産やリゾート開発会社で西武鉄道だけでなくプリンスホテルなどに出資していた。なので西武鉄道というよりは西武グループの原点の一つともいえる。1928年に国分寺駅から萩山駅まで、1936年に現多摩湖駅となる村山貯水池駅まで延伸開業している。そのほか萩山駅から小平駅の支線があり、これは後の拝島線に引き継がれることになる。箱根土地は武蔵野鉄道(現 池袋線)へも出資していたため、武蔵野鉄道が多摩湖線も吸収し、戦後に西武鉄道として合併するまで武蔵野鉄道の飛び地路線だった。

多摩湖線国分寺駅は独立。

基本的に全線各駅停車で10分おき、昼間は国分寺駅と多摩湖駅の通し列車と、国分寺駅と萩山駅の折り返しが交互に10分ずつくる。多摩湖線の国分寺駅は国分寺線とは少し離れていて、これは両線の始まりが別会社だった名残。国分寺線はJR中央線と並行して隣接しているのに対して、多摩湖線は北側に少し離れている。

一部区間では複線。
多摩湖駅から萩山駅の区間にかけては水道が並走していて、水道の上の道路はサイクリングロードとして整備されている。
八坂駅手前で国分寺線をオーバークロスするけど乗り換えはできない。もと別会社の名残。
萩山駅は駅構内から国分寺方向に分岐する珍しい構造。左の2線は拝島線の本線。拝島線の小平方面と多摩湖線の国分寺方面は同一ホームで接続となる。
使われることのない複線用地。
青梅街道駅は文字通り都道5号青梅街道が横切っている。このクラスの道路に踏切があるのは都内では中々レア。
国分寺駅は1990年までは現在の国分寺駅北口ロータリーに突っ込んでいた。移設後も単線構造で行き違いは隣の一橋学園駅でするので、すぐ折り返し。左側の道路は西武バス専用道、一般車が入らないように警備員が建っている。

沿線は小平市の主要エリアを南北に移動しいて、一橋学園駅は文字通り東京商科大学時代に神田一ツ橋からキャンパスが国立と小平に移転してきたことから。青梅街道駅前には小平市役所がある。

国分寺線

国分寺駅から東村山駅に至るほとんどの区間が単線の7.8kmの小規模な路線。途中の小川駅では拝島線とクロス、東村山駅では西武新宿線と西武園線に接続する。JR中央線の国分寺駅の北側に並列して1面1線のホームがあり、開業当初は線路も繋がっていて直通運転を想定した構造になっていた様子。

国分寺線国分寺駅はホームが1つしかなく、折り返しの短時間で乗降することになるのでいち早くホームドアを設置。中央線と隣接している。
国分寺線のホーム東端、1976年まで貨物列車が乗り入れていて、入間基地やブリヂストン東京工場向けの貨物が来ていた。
国分寺線は国分寺駅からしばらく中央線と並走する。

国分寺線は現存する西武鉄道の路線で最も歴史が古い。開業は1894年と関東の私鉄においても最古。当時は現JR中央線にあたる甲武鉄道が東京都心方面と多摩地区を結んでおり、その支線である川越鉄道が設立され、国分寺駅から分岐して川越方面と東京を連絡する貨物路線として計画がスタート、1894年に国分寺駅と東村山駅付近の現国分寺線区間、翌年には現西武新宿線の本川越駅までに相当する全線で開業し、東京-川越間で最初の鉄道路線となった。ちなみに川越への鉄道では東武東上線は1914年、現JR川越線は1940年の開業。

中央部を国分寺線が、外側を拝島線が使用して、対面乗り継ぎができる構造。
小川駅の行き先表示。

その後、川越鉄道は川越と大宮を結ぶ路面電車(後の西武大宮線で廃線済み)を開業させた武蔵水電という電力会社へ吸収され、さらに新宿と荻窪の路面電車(現丸の内線の新宿駅と荻窪駅にあたる区間)を開業させた「西武軌道」を吸収。最終的には電力事業と鉄道事業が分社化して、鉄道事業の「西武鉄道」が誕生する。西武鉄道は東村山駅と高田馬場駅間の村山線を1927年に開業させ、現西武新宿線の原型が完成。国分寺線が分離するのは戦後になってからで、西武新宿駅と本川越駅が本線という扱いになった。ちなみに新宿駅と荻窪駅の区間は東京市電に買収され、後の都電、営団地下鉄丸ノ内線、東京メトロと引き継がれている。

6両編成で1時間に5~6本、ラッシュ時のみ最大8本走る。この辺りのごちゃごちゃ路線の中では一線を画す本数の多さ。比較的利用したことが多い感覚からすると、数少ない多摩地区を南北移動できる路線で、沿線に学校が多く、編成が短く本数が少なめなので平日・休日問わずどの時間も常に結構混んでいる印象。少し前までは本川越行き、新所沢行きなど西武新宿線へ直通する列車も一部あったけど、2023年10月時点では完全に消滅した。

中央線との乗り換え利用がかなり多く、西武鉄道の中では6番目の利用者を誇り、所沢駅よりも利用者が多い。
国分寺線は中央線に並んでいて、多摩湖線が離れているのがわかる。多摩湖線旧ホームが6番線を名乗っていたので、6番線が今は欠番。

拝島線

新宿線の小平駅から分岐し、萩山駅で多摩湖線、小川で国分寺線と接続し、東大和市の中心駅の一つ東大和市駅や、多摩モノレールとの乗換駅の玉川上水駅を経て拝島駅まで至る路線。西武のごちゃごちゃ路線群の中では唯一終日に渡って新宿線に直通していて実質新宿線の延長として機能している。

小川駅からは拝島線直通の急行。最新の40000系。
西武拝島線側の出口。橋上駅舎はJRと共用している。拝島駅は昭島市と福生市にまたがっている。
拝島線を跨ぐように横田基地への引き込み線があり、鶴見から貨物列車で米軍向けの航空燃料が週2回来るとのこと。英語があるのは米軍付属施設だから。
拝島駅。JRは青梅線と八高線、五日市線が乗り入れる結構主要な駅。西武のホームは東側にある。

路線としては西武の中ではかなり新しく、元々あった細切れの支線同士をつなげて最終的に拝島駅まで繋がったのは1968年。小平駅と萩山駅の区間は多摩湖線と新宿線を連絡する支線小平線として開業、小川駅から玉川上水駅の区間は元東京瓦斯電気工業株式会社(後の日立航空機株式会社立川工場→日興工業株式会社)への工場引き込み線を戦後1950年に上水線として先行開業、萩山駅と小川駅の区間は陸軍兵器補給廠(後の株式会社ブリヂストン東京工場)への引き込み線を1962年に萩山駅とつなげて、小平駅と玉川上水駅の区間が1つとなる。そして玉川上水駅から拝島駅まで延伸して現在の形に。

このエリアは東京都と言えどかなりの田舎で土地も多かったので、軍事施設や大型工場が多数建設されていた。日立航空機は戦闘機のエンジンを作っていて、南側には立川陸軍飛行場や立川飛行機株式会社などがあり空襲が酷かった地域でもある。ブリヂストンも創業地福岡県久留米から出てきた2拠点目。

小平駅から玉川上水駅までは複線、その先はほぼ単線になる。玉川上水駅は多摩モノレールから乗り換え需要が多く、小平駅方面からの3分の1くらいが玉川上水駅で折り返し。拝島駅まで到達するのは急行と準急の新宿発・行がが中心。平日ラッシュ時でも拝島駅発は1時間に6本とかなり本数が少なめの路線。

玉川上水駅。駅上部には多摩モノレール線。
玉川上水駅。真ん中のホームは玉川上水折り返しの列車が使用するのがメイン。
東大和市駅。東大和市の市名を冠するものの、これといった商業的核ががあるわけでもなく東大和市では玉川上水駅の方が利用者が多い。開業時は玉川上水にかけられた青梅橋からとって青梅橋駅だった。東大和自体が、合併時に作られた縁もゆかりもない地名ですし。
小川駅から萩山駅方面への分岐。左の単線が国分寺線。
萩山駅。多摩湖線国分寺方面と同じホームを使う。
小平駅。小平市の中心駅かと思いきや利用者は隣の花小金井駅の方が多い。

拝島駅でみるとJR青梅線・中央線経由が都心方面へは競合となる。昼間は拝島駅と新宿駅(西武新宿駅)までは50分、通勤時間帯は55分くらいで料金は450円。JR青梅線・中央線経由でもほぼ時間は変わらず料金は480円、本数は倍くらい。西武新宿駅の立地が優位かどうか、高田馬場駅で山手線や東京メトロ東西線への乗り換え需要など、両線の使い分けはできる。拝島線の場合始発なので座れるというメリットもある。

西武園線

西武園線は東村山駅から分岐し西武園駅までの1駅2.4kmの路線。路線名でもあり駅名にもなっている西武園とは、現在の西武園ゆうえんち一帯の娯楽施設群から。ただ西武園ゆうえんちには多摩湖駅から山口線を利用するのが正門に近く、西武園駅からは徒歩で15分以上迂回しないといけないため、西武ゆうえんちの公式サイトを見ても西武園駅の名前はまったく出てこない。西武園駅はどちらかというと西武園競輪場の最寄駅、西武園ゴルフ場にはシャトルバス乗り換え拠点。プール利用なら多摩湖駅に行くのが遠回りだという人がいれば便利かなといったくらいで、基本は隣接した新興分譲地住民のための駅になっている。

車両は新2000系。
西武園行き。
東村山駅は工事中で、新宿線の所沢方面の向かい側に臨時ホームを設置。国分寺線と同じホームを分割して使っている。

この路線は現新宿線に当たる村山線が高田馬場駅から東村山駅で開業し、その先箱根ヶ崎方面への延伸計画の先行開業部分として現在の多摩湖線多摩湖駅付近の村山貯水池前駅まで1930年に開業させた区間となる。当時の村山貯水池(多摩湖)は観光地として注目されており、当時は競合だった武蔵野鉄道の狭山線(当時は山口線)が先行開業、多摩湖線も村山貯水池(多摩湖)を目指していて、観光客需要の奪い合いになっていた。その後、箱根ヶ崎への延伸計画は取り消され、戦争に突入しこの区間は営業停止となってしまい、戦後になって合併により西武鉄道となると村山貯水池(多摩湖)へのアクセスは多摩湖線に集約され、村山線は北に少し分岐したところに新駅として西武園駅を開業、村山貯水池前駅(当時は狭山公園駅)は廃止され、晴れて西武園線として現在に至ることとなった。

東村山駅から出てしばらく行くと左に分岐するのが西武園線。
西武園駅、イベント輸送を想定した3線もある広めの駅。駅出口は丘上に直結している。

現在西武園線は完全に1駅区間だけのピストン輸送で、ラッシュ時が最大1時間に5本、昼間は3~4本程度の東村山市内完結のローカル線。西武園駅は8両編成対応だけど、イベントに合わせた臨時列車なども現在は無くなっている。東村山駅の高架化工事で、西武園線もスロープを建設中。

東村山駅高架化に伴い右手に西武園線のスロープを建設中。


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