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【栗原政史おすすめ】森山大道のライバル・中平卓馬

こんにちは、めっきりと寒くなりましたね⛄️

来週は、1日だけ暖かくそれ以降は寒い日が続くようです!

そんな本日は、伝説的な写真集団「プロヴォーグ」にも所属していた中平卓馬さんについてご紹介します。

プロフィール

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1938年生まれ。東京外国語大学スペイン科卒業後、総合雑誌『現代の眼』編集者を経て、60年代半ばから写真を撮りはじめ、同時期よりさまざまな雑誌に写真や映画に関する執筆を開始する。68~70年には多木浩二、高梨豊、岡田隆彦、森山大道とともに「思想のための挑発的資料」と銘打った写真同人誌『プロヴォーク』を刊行。70年に写真集『来たるべき言葉のために』を上梓した後、73年には映像論集『なぜ、植物図鑑か』で、それまでの自作を批判的に検証。77年に篠山紀信との共著『決闘写真論』を刊行直後、病に倒れて生死の境をさまよい、記憶の大半を失うが、以後も写真家としての活動を継続。2003年には横浜美術館で初期から2003年にいたる800点におよぶ作品群による「中平卓馬展 原点復帰-横浜」を開催し、その図録を兼ねた写真集『原点復帰-横浜』刊行。以降も新作による個展開催、また内外のグループ展にも参加。2011年には大阪Sixにて、大規模な新作展「キリカエ」を開催。

「プロヴォーク」にも参加された写真家さんなんですね。
中平さんの写真は挑発的というか論理的に読み取る力が試される、そんな作品を生み出しているような気がします。

代表作① 「Documentary」

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80年代には従来の創作スタイルという束縛から脱して、新たに「図鑑」のようなストレート写真に挑んでいくのです。本書は、2000年代に撮影されたカラー作品で構成された、篠山紀信のドキュメンタリー「晴れた日」ならぬ、中平なりのドキュメンタリー

『Documentary』は見る者を試す写真集と言えるかもしれない。写真を見慣れてない人は戸惑うかもしれません。

トップは銀鼠瓦を載せた破風屋根。そのとなりは燃え盛る竹の幹。次のページはうずくまるアヒルで、対向ページは観葉植物の葉のアップ。写真と写真のあいだにつながりはなく、支離滅裂な感じを受けました。繰り返し撮られているものがある一方で、一度も撮られていないものあるのも気になります。しかも写真集をいくらひっくり返してもそれらの答えは得られません。

この辺が見るものを試す挑発的写真集と言える要因だと思います。

代表作② 「なぜ、植物図鑑なのか」

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写真にとって表現とは何か、記録とは何か。1960年代後半から70年代にかけて、ラディカルな思考と実践を貫きながら激動の時代を駆け抜けた写真家が、自身の作品と方法の徹底的な総括を通して、来るべき時代の表現を模索する写真+映像論集。写真は「事物が事物であることを明確化することだけで成立する」ものでなければならないとし、“ブレ・ボケ”との訣別を宣言する表題作「なぜ、植物図鑑か」ほか、メディア社会における“芸術と政治”への先験的考察は、今も伝説的に語り継がれる。原著刊行から30年余を経て待望の文庫化。

写真集ではないのですが、写真評論家としても活動していた中平さんも写真・映像論集です。

当時流行していた、アレ・ブレ・ボケを決別し、写真の定義を広げることに成功した評論集です。

代表作③ 「来たるべき言葉のために」

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何が写っているのか解らない程のザラッザラに荒れ、更にブレているは、ボケているはのドスの効いた真っ黒の写真たちは誰もが目を疑い、当時の社会に意を唱えました。本書は、そんな世間に意を唱えた中平さんの初期の写真たちでまとまっており、この写真たちを含めた「プロヴォーク」は現在でも国内外問わず人々を魅了し続けています。

プロヴォーグが発刊された当時の完成形と言われる写真集です。
アレ・ブレ・ボケが集結させた。

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