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【栗原政史おすすめ】記号的に物事をとらえる写真家 青山裕企

こんにはちは✌️

今週は続けて投稿です!!
なぜか写真大好き週間になっています✨

気分がいいからですからね!笑

そんな本日は、ソラリーマンや、スクールガールズ・コンプレックスで有名な写真家、青山裕企さんをご紹介します。2009年に写真新世紀の優秀賞受賞の経歴もお持ちです。

プロフィール

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1978年、愛知県名古屋市生まれ。2002年、自転車で日本縦断と世界二周の旅の道中で、写真家になることを決意。筑波大学人間学類心理学専攻卒業後、2005年、上京して写真家として独立。2007年、キヤノン写真新世紀優秀賞受賞。ギャラリー・出版レーベル・オンラインコミュニティを運営。現在、東京都在住。
『schoolgirl complex』『ソラリーマン』『少女礼讃』など、“日本社会における記号的な存在”をモチーフにしながら、自分自身の思春期観や父親・少女像などを反映させた作品を制作。2009年より写真集などの著書を刊行、現在90冊を超える(翻訳版も多数)。台湾・香港・中国・シンガポール・スペイン・ニューヨークなど、海外で個展やアートフェアなどに多数参加。

日本社会におけるを記号的な存在をモチーフにしながら自分を投影されて作品を制作されています。
代表作としては、『schoolgirl complex』『ソラリーマン』『少女礼讃』。
『女子高生』、『サラリーマン』、『少女』でしょうか?
確かに、この3つは日本社会における記号的に存在しているものになりますね。良くも悪くもレッテルというものが貼られやすい気がします。
それぞれどんな作品か見ていきましょう

代表作① ソラリーマン

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“画一的に見えるサラリーマンも、きっと誰かにとってのヒーローであり、おかしみのある個性的な存在である。”
サラリーマン一筋で生きてきた父親のことを、私は亡くなってから強く尊敬するようになりました。
サラリーマン経験のない私は、会社を背負って汗水流して働く父親たちが、空を跳ぶヒーローに変身する一瞬を見つけることに、強い感動と希望を抱きます。
記号的なスーツ姿のサラリーマンを日常の世界から跳ばせることで、彼らは輝きを放ち、個性をみせてくれます。
その姿を私は、亡き父親の理想像に重ねながら作品を制作しています。

こちらは「サラリーマン」という記号をモチーフにして作品制作されています。
「サラリーマン」はスーツという戦闘服を着て、毎日仕事へ奮闘するというイメージがありますね。
青山さんは「サラリーマン」にジャンプをしてしまい少しおかしな、でもかっこいい存在へと昇華させています。中にはクスッと笑ってしまう写真も。記号的に見える「サラリーマン」をジャンプさせることで各々の個性が見えてくる。そんな作品に見えます。
きっと親御さんのかっこいい姿を重ねられたのでしょう。

代表作② schoolgirl complex

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“記号的な存在である女子高校生をモチーフに、(思春期に抱くコンプレックスによる)凝視から
生まれるさまざまな妄想やフェティシズムを、淡い憧憬としてパッケージした作品”
透けるシャツ・ソックス・チェックのスカートからのびる足・膝裏・ほくろ・かさぶたなど、画一的な制服を身にまとっていても、彼女たちの個性の痕跡はたしかに存在していて、思春期の頃の私は、それらに対して強い妄想と欲望を抱いていました。それと同時に、まだ女性経験がなかった私は、女性に対して強い恐怖心(コンプレックス)も抱いていました。
そんな複雑な感情・妄想・欲望を、徹底的に洗練された形で表現して、記号化することにより、私は思春期の儚さや危うさを多面的に表現したいと考えています。

この作品は2009年に写真新世紀で優秀賞を受賞されています。
顔が写っていない「女子高校生」という記号の写真群。
思春期の頃、男子高校生(もしかしてそれ以外の方も)は、様々な感情を持っていると思います。感情というか欲と言ってもいいかもしれません。
それを大人になって写真家となった青山さんがイメージとして浮かび上がらせています。それも人が見ていて嫌な気持ちではなく。

顔がないと個性がないように思えてしまうかもしれませんが、ポーズや仕草でどの写真もこの人はどんな人なのか妄想できてしまうそんな作品になっているのではないでしょうか。

代表作③ 少女礼賛

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もっと、青臭く、泥臭く、青二才な頃の、僕の心が顔を出して、
超下手だけど、超エモく撮れていたはずの自分が、うらやましくなる。
これから私は、“少女”を礼讃(らいさん)の気持ちで、撮りたい。
私は、1998年(二十歳の時)に写真をはじめて、
昨年(2018年)に、不惑の年を迎えた。
「ソラリーマン」と「スクールガール・コンプレックス」というふたつの作品において、“記号と個性”をテーマとして、人を撮り続けている。
どちらも、撮り集めてゆくことによって、個性を表出させたり、記号性を抽出したり、おおよそマクロ的な視点でもって、人をとらえようとしてきた。
昨年の夏、ひとりの女性に出会った。
名のあるモデルでもなければ、撮影経験もないという。
はじめて撮影したときに、
「この子を、“少女”として撮り続けたい」
そう、直感的に思った。
撮りながら、気づき、考え続けることになるのだけれど、
この子には、“少女らしさ”が、眩いほどに詰まっている。
それらは、私たちが押しつける“理想の少女”だけでなく、
剥き出しになった”少女自身”の姿でもあるのだ。
どこまでも、ひとりの“少女”を撮り続けてゆく、撮り深めてゆくなかで、
私は、人を撮ることの深淵に、飛び込んでいきたい。

この作品は、青山さんが40歳(不惑の歳)から制作された作品です。こちらは「少女」を記号として捉え作品としておられます。
ですが、写真とステイトメントを見て何かこれまでとは違うような作品のような気もします。単なる「少女」という記号的な存在ではないような感じが受けられます。

様々な表情、様々なポーズ、時にはヌードなど「少女」の奥の奥まで捉えようとしているのでしょうか。何か特別な感情があるような、ないような不思議な感じです。

また、この作品はweb上でこれまでかというほど公開されています。
消費されやすい「少女」という存在を、これまた消費されやすい「web」の中で消費させきらないぞ!という気概も感じられます。

ぜひ見てみてください!!

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