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迷う気持ちよりも理解しようとする姿勢。

ただ、あなたを守りたかった。

そんな一言が添えられた映画『カランコエの花』を7月17日に観に行った。
映画はLGBTについて当事者以外の視点で描かれた作品となっている。

私は今のところストレートで、「女の子らしさ」に苦しむことはあっても、自分の(自認している)性について思い悩むことはなかった。それでもこの映画を観に行ったのにはLGBT当事者の知り合いがいたからだ。

大学生時代に同じゼミの子に「手伝って欲しい」と言われたイベントに参加した。それはNPO法人Rebitが行うLGBT成人式だった。RebitはLGBTを含めた全ての子どもが、ありのままの自分で大人になれる社会を目指している。私は2年連続で成人式の手伝いをし、そこでゲイやレズビアンの方だけでなく、アセクシャル(無性愛)の方や体は女性・自認は男性・好きになるのは男性という方にも出会った。自分が思っているよりももっと多様な性があることに驚いた。

そして私は「Ally(アライ)」という言葉に出会った。
Allyは同盟を結ぶ、味方、といった意味があり、『LGBTの理解者、支援者であることを明確にした人』と言われることが多い。この言葉を知っても、私は自分で積極的にAllyだと発信していなかった。なんとなく、とどまっていた。

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カランコエの花ではLGBT当事者が誰なのかは後半になってからわかる。それまでは当事者探しをする人、それを止めようとする人、友達同士の会話など、ひたすら当事者以外の視点を描いている。それが私にはすごくリアルに見えた。

この日は上映後に中川監督と一般社団法人fair松岡宗嗣くんのトークショーが行われた。宗嗣くんはオープンリーゲイであり、Rebitで活動していたこともあった。現在はLGBT関連の情報を発信している。

トークショーでは映画の感想や監督が映画を作るにあたって悩んだこと、なぜこの映画が評価されているのかなど、映画についてのことと、カミングアウトされた人が周りとどう連携していくのか、無意識の中の差別の話などLGBTを取り巻く話をしていた。

▼トークショーのメモ。日付が間違ってます。。。


そこで1つ私の心に残った言葉があった。
「○○はLGBTなんかじゃない!」というセリフ。終盤にクラスメイトがLGBT当事者であることを知り、咄嗟に友人が言った言葉だ。「否定することで当事者のことを傷つけるが、友人は悩んだ結果で出てきた言葉」だと宗嗣くんは話していた。

私もそうだと思った。
『ただ、あなたを守りたかった。』
その一文が強く響く。LGBT当事者である前に友人であるから、守りたかった。でも、守り方がわからず、「否定」することでしか守り方がわからなかったのだと思った。

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トークショー終了後、宗嗣くんと少しだけ話した。
自分だったらどうか、「LGBTなんかじゃない!」という言葉のもどかしさ。当事者以外の人がどんな行動をした方が良いのか。映画が非当事者目線だからこそ、自分と重ねて話すのも熱くなってしまった。

「くりのさんはAllyだもんね」
宗嗣くんの口から自然にでたその言葉に驚いた自分がいた。誘われたら手伝うし、知り合いにもLGBTの人がいるから、関連する記事は読む。でも、自分はLGBTに関する活動をかなり積極的にやっている訳ではない。Activistじゃなければ、強く発信していなければ、Allyと言うことが許されない気がしていた。でも、そんなことないのかもしれない。

トークショーで「Allyという考え方が広まってほしい」という話を宗嗣くんはしていた。Allyという考え方が広まること、「仲間だよ」と発信すること。確かに自分が何かのマイノリティの立場だったときに、それだけでなんとなくホッとする気持ちになる。イベントを開催したり、文章を書いたりしなくても、ただAllyだと表明するだけで、いいのかもしれない。 

その日からこっそりtwitterのプロフィールを変えた。
「分からないからAllyであること」
全てを知らなくても、小さくてもできることはやろう。そう思った。

#LGBT #カランコエの花 #Ally #アライ #映画

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