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自分が育ってきた「ふつう」と子どもたちが生きる「ふつう」

先日某セミナーのQAで「活きいきとした文章の要素はなんですか?」という質問が上がっていたので「活きいきとした文章」の実例を探していたのだが、鈴さんの『この割れ切った世界の片隅で』は「ああ、これが瑞々しくて活きいきとしている文章だ」と一気に読んだ。

しかし、この文章を書いている時点で彼女は高校生。すごい。
読んだ人に自分の「ふつう」を考えさせる文章だ。

私が自分の生きている環境が「ふつう」じゃないと気づいたのは大学進学後。

教職の授業で大学進学率を知って驚いた。鈴さんのnoteには

大学進学率、大学進学率、58.8%。2人に1人。

とあるが、私が教員免許を取得したのは約10年前なので、その時は50%切っていた。

当時の自身の「感覚」でいうと進学率は80%くらいだと思っていた。
「感覚」の根拠は進学校寄りだった母校だと思う。

私の当時は校長は日野田先生ではなかったが、「地域の4番手高」は4番手なりに、周りは関関同立・産近甲龍*あたりに進学し、一部国立受験組と国際科からの外国語大学受験組(←私はここ)、専門学校に進む人がちらほらといった顔ぶれだった。一人だけ自衛隊にいった子はいた。

*関関同立・・・関西学院大学、関西大学、同志社大学、立命館大学
産近甲龍・・・京都産業大学、近畿大学、甲南大学、龍谷大学
関東圏でいうと早慶&MARCH、日東駒専?になるとは思うけど関東の序列感覚は怪しいし、関西の勢力図も変化がある。

大学は(いちおう)大阪の名のついた国立大学なので、「地方の優等生タイプ」と「地元の国立狙いタイプ(←)」がいた。当然外国人も多いけど。地元民は猿共存の大学生活だってことを承知して進学しているけど、「大阪」と言われてキラキラ地方からでてきて、梅田に出るのに2時間近くかかるあんな山の中での生活を強いられたら鬱になるんじゃないか?と心配になるが、実際一時期自殺率全国No2だったとかなかったとか。写真を撮ったら変な光が入ったり、ラップ音とかが不意に聞こえたりする、そんなキャンパス。

柴咲コウと妻夫木聡のドラマ「オレンジデイズ」のキャンパスライフ憧れていた私は、「芝生が!ない!山しか!ない!」と文句を言いながらも6年通いあげた。

この大学では留年留学が「ふつう」なので、4年卒業組は「早いね」と言われ、基本5年卒業、6年組もめずらしはなく、7年8年になると崇め称えられる。ついでに、私たちの代は在学中に大学が吸収されるというおまけイベントもあった。

そんな環境なので、そもそもが「ふつうの大学生」とは違うというのはわかっていたけれども、それでも「みんなふつうに大学生になるもの」だとは思っていた。

教職の授業で「大学進学率は50%を切っている(当時)」と知ったときも、驚きはしたものの、自分の周りに進学していない人はほとんどいなかったし、「高校を卒業して働く」なんてイメージはまったく持てなかった。

しかし、大学外の活動で出会ったS県の子から「同じクラスで大学に進学する子は3人くらい」という話を聞いた時は心底驚いた。

電車で30分〜1時間以内でいける場所にいくらでも大学あるのに?国公立も私立もいくらでもあるのに?高校を卒業して、大学に行かなくて、何をするの高卒って働けるの

と疑問が次々とあたまに浮かんだが、流石に失礼かなと思って聞かなかった。

このとき大学4回3年(大学に通って4年目で3年生の過程、つまり1年留学ないし留年しているという意味)。やっと自分の環境が「ふつう」じゃないと気づく。

世間から少し変わったふうに見られる大学に入ったのも、4回3年で特に就職活動らしい就職活動をしていないのも、自分で選んだ「ふつうじゃない」だったけど、大学に行くことは「ふつう」だと思っていた。

大学を選べる場所に実家があって、本はたくさん家にあって、進学や勉強に対して経済的な心配はしなくていい。留学にも反対されない。

そう、私が大学に進んでいるのは私の努力の成果ではなく、恵まれた環境にいたからこそできたこと。

私の人生軸でいうと、その後東京の大学院に通うことになり、そこでは更に恵まれまくっている人々に囲まれることになるが。

目下の心配事は、蝶よ花よと育てられている自分の子どもたちに「あんたらどちらかというと恵まれてるねんで」ということをどのように伝えたらいいのかということ。

0歳の時から自分の本棚には絵本が溢れていて、3歳になった今はiPadの知育ゲームで勝手に遊んでる。周りの大人は普段のコミュニケーションの中で自然に計算や読み書きを教えてくれる。東京住み、実家は大阪なのでいわゆる都市圏で幼少期を過ごす可能性が高く、「大学進学」は当たり前だと私も夫も(たぶん祖父母も)思っていて、留学や海外、院への進学という選択肢になったとしても、心情的にも経済的にも反対はされない。

上を見たらキリはないけど、どちらかというと恵まれている。子どもたちはそんな「ふつう」の中で育っていく。

夫は「小さい時は成功体験だけ重ねて自信つけとけばええねん」というけど、私みたいに大学まで世間知らずなのも困る気もする。

子どもたちが大人になるころにはこの世界はどうなっているんだろう。

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