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3.山上の説教の中心

教皇フランシスコ、2019年1月2日一般謁見演説、「主の祈り」に関する連続講話からです。

以下、必要と思われる個所を引用して参ります。

それまでは歴史の片隅に追いやられていた、すべての愛することのできる人、平和を実現できる人が、神の国を築く人となります。イエスはこう言っているかのようです。「愛とゆるしのうちにご自分の全能性を示される神の神秘を心に宿した皆さん、前に進んでください」。

2019年1月2日一般謁見演説より

「天の父の子になりなさい」。これこそが、山上の説教全体の基盤となる偉大な神秘です。マタイによる福音書のこの章は、一見、道徳論のようです。とても実行できないような難しい倫理を説いているように思われるからです。しかしそうではなく、この章はまさに神学的な教えであることが分かります。キリスト者は他の人々より優れた者となろうとする人ではなく、皆と同じように自分は罪びとであることを自覚する人です。キリスト者は、新たな燃える柴、神の啓示の前で、立ちどまる人にほかなりません。神はご自分のことを、口に出せない謎めいた名前ではなく、「父」と呼ぶよう、ご自身の子どもたちに求めておられます。それにより、神はキリスト者をご自分の力によって新しくし、彼らがこの世界に、ご自身の善の光を映し出せるようにします。この世界は善に飢え渇き、よい知らせを待ち望んでいるのです。

2019年1月2日一般謁見演説より

人は心から、心の奥底から祈ります。祈るときには――イエスが言うように――、願う前から子どもたちに必要なものを知っている父親に向かう子どものように(マタイ6・8参照)、神に向かってください。「主の祈り」は、沈黙のうちにささげることもできます。神のまなざしのもとに自分自身を置き、御父の愛を思い起こすだけで、本質的には十分です。それだけで聞き届けられるのです。

2019年1月2日一般謁見演説より

次回は「4.門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」からです。


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