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アウグスティヌス

定例の、ヨセフ・ラッィンガー(教皇ベネディクト16世)による「一般謁見演説」より、今回は「アウグスティヌス」を取り上げます。

まずは、Wikiの情報、リンクから、ご紹介します。

そして「一般謁見演説」より、リンク先を、ご紹介させて頂きます。

アウグスチヌスの『告白』は、その内面性と心理への関心のゆえに、現代に至るまで、非宗教的文学を含めた西洋と西洋以外の文学の独自のモデルとなったといえます。霊的生活、自己の神秘、自己のうちに隠された神の神秘への注目は、前例を見ない特別なものであり、これからもずっと、いわば霊的な「頂点」であり続けます。

聖アウグスチヌス(一)より

しかし、アウグスチヌスはイエスなしに本当の意味で真理を見いだすことができないと確信していました。しかもこの魅力的な書物の中にイエスの名は書かれていませんでした。そこで彼はこの書物を読んだ後、すぐに聖書を読み始めました。ところがアウグスチヌスは失望しました。それは、聖書の翻訳のラテン語の文体が不十分だったからだけでなく、その内容そのものが満足できないものに思われたからです。戦争や他の人間的な出来事についての記述の中に、彼は哲学の崇高さや、哲学がもつ真理の探求の輝きを見いだすことができませんでした。

聖アウグスチヌス(一)より

アウグスチヌスはミラノで――初め、自らの修辞学の内容を豊かにすることを目的として――司教アンブロジオの美しい説教を聞くことを習慣とするようになりました。アンブロジオはかつて北イタリアにおける皇帝の代理人でした。アフリカの修辞学教師アウグスチヌスは、この偉大なミラノの司教のことばに引きつけられました。それは、その雄弁のためだけでなく、何よりもその内容がアウグスチヌスの心にますます触れるようになったからです。旧約に関する大きな問題――すなわち、旧約が修辞学的な美しさと、哲学の崇高さを欠いていること――は、アンブロジオの説教の中で、旧約の予型論的な解釈によって解決しました。アウグスチヌスは、旧約がイエス・キリストへと向かう旅路であることを理解したのです。こうしてアウグスチヌスは旧約の美しさと哲学的な深みを理解するための鍵を見いだしました。

聖アウグスチヌス(一)より

アウグスチヌスは哲学者の著作を読み続けるとともに、あらためて聖書、とくにパウロの手紙を読みました。それゆえ、386年8月15日のキリスト教への回心は、長く苦しい内的な旅路の頂点に位置づけられます。これについては、別の講話であらためて述べたいと思います。アフリカの人アウグスチヌスは、洗礼の準備を行うために、コモ湖に近い、ミラノ北部の郊外に、母モニカ、息子アデオダトゥスと小さな友人のグループとともに移りました。こうしてアウグスチヌスは32歳のとき、387年4月24日の復活徹夜祭に、ミラノの司教座聖堂でアンブロジオから洗礼を受けました。

聖アウグスチヌス(一)より

アウグスチヌスはこのアフリカの海岸の町ヒッポで、抵抗したものの、391年に司祭に叙階されました。そして、幾人かの仲間とともに彼が長年考えていた修道生活を始めました。アウグスチヌスは自分の時間を祈りと勉学と説教に分けました。彼は真理に奉仕することだけを望み、自分が司牧生活のために招かれているとは思っていませんでした。しかし、やがて彼は、神の召命は、自分が他の人々の司牧者となって、真理のたまものを人々に与えることであると悟りました。4年後の395年、アウグスチヌスはヒッポで司教に叙階されました。聖書とキリスト教の伝統的な諸文書の研究を深め続けながら、アウグスチヌスは、うむことのない司牧活動において模範的な司教となりました。彼は週に数回、信者に対する説教を行い、貧しい人や孤児を助け、聖職者の教育と女子と男子の修道院の運営を監督しました。

聖アウグスチヌス(一)より

アウグスチヌスは生涯の最後に至るまで、日々自らを神にゆだねました。ヒッポが侵入した蛮族によって3か月間包囲されていたとき、司教アウグスチヌスは熱病に冒されていました。友人ポッシディウスは『アウグスチヌス伝』(Vita Augustini)でこう記します。アウグスチヌスは痛悔の詩編を大きな文字で書き写すように求めました。そして「その紙片を壁にはらせ、病気で床にふしているとき、それを見たり読んだりして、絶えず心ゆくまで熱い涙を流していた」(『アウグスチヌス伝』:Vita Augustini 31, 2〔『聖アウグスチヌスの生涯』熊谷賢二訳、創文社、1963年、109頁〕)。このようにしてアウグスチヌスは生涯の最後の日々を過ごしました。アウグスチヌスは430年8月28日、76歳に達することなく亡くなりました。

聖アウグスチヌス(一)より

死ぬ4年前、聖アウグスチヌスは後継者を任命しようと望みました。そのために426年9月26日、彼は民をヒッポの平和大聖堂に集め、この務めのために指名した者を信者に告げました。アウグスチヌスはいいます。「わたしたちは皆、死すべき者です。しかし、生涯の最後の日は誰にもわかりません。いずれにせよ、わたしたちは、子どものときは青年になることを望み、青年になると成人になることを望み、成人になると中年になることを望み、中年になると老年になることを望みます。なれるかどうかはわからなくても、わたしたちはそう望むのです。けれども老年の後には、望むべき別の時期がありません。老年がどれだけ続くかもわかりません。・・・・わたしは神のみ旨によって、生涯の元気なときにこの町に来ました。しかしわたしの若さは過ぎ去り、今やわたしは年老いています」(『書簡213』:Epistulae 213, 1)。このときアウグスチヌスは司祭エラクリウス(Eraclius)を後継者として指名しました。会衆は割れるような拍手をもってこれを承認し、23回、次のことばを繰り返しました。「神に感謝。キリストに賛美」。信者たちは、この後アウグスチヌスが自分の将来の計画について話すと、さらに拍手をもってそれを承認しました。すなわちアウグスチヌスは、残された生涯を聖書の研究に集中してささげることを望んだのです(『書簡213』:Epistulae 213, 6参照)。

聖アウグスチヌス(二)より

聖アウグスチヌスの著作を読むとき、わたしは彼が1600年近く前に死んだ人だという気がしません。むしろわたしは彼を現代の人のように感じます。この同時代の友人は、わたしに語りかけます。彼はその新鮮で現代的な信仰をもってわたしたちに語りかけます。聖アウグスチヌスはその著作の中でわたしたちに語りかけてきます。わたしに語りかけてきます。ですからわたしたちは聖アウグスチヌスのうちに、彼の信仰の変わることのない現代的な意味を見いだします。この信仰は、永遠の神のことば、神の子にして人の子である、キリストから来るものです。この信仰はたしかに過去に宣べられたものですが、わたしたちはそれを過去のものだと考えることができません。それは常に現代のものです。なぜなら、まことにキリストは、昨日も今日も、また永遠に変わることのないかただからです。キリストは道であり、真理であり、いのちです。だから聖アウグスチヌスはわたしたちを励まします。この永遠に生きておられるキリストに自分をゆだねなさい。そこから、いのちの道を見いだしなさいと。

聖アウグスチヌス(二)より

アウグスチヌスは幼いときから母モニカからカトリック信仰を学びました。しかし彼は青年時代になるとこの信仰から離れました。彼はこの信仰を理性にかなったものと認めることができなかったからです。また彼は、自分にとって理性すなわち真理を表現していないと思われる宗教を望まなかったからです。アウグスチヌスの真理への渇望は徹底的なものでした。それゆえ、この渇望がアウグスチヌスをカトリック信仰から遠ざけることになりました。けれどもアウグスチヌスはその徹底的な性格により、真理そのものに到達しておらず、したがって神に到達していないさまざまな哲学を受け入れることもできませんでした。神は、たんなる宇宙の究極的な理念ではなく、真の神でなければなりません。いのちを与え、わたしたちの人生の中に入ってくる神でなければなりません。それゆえ聖アウグスチヌスの知的・霊的な歩みの全体は、現代にも通用する、信仰と理性の関係における模範となります。このテーマは信仰者のものだけでなく、真理を求めるすべての人のテーマです。それはすべての人の判断と運命にとって中心的なテーマなのです。わたしたちはこの信仰と理性という2つの領域を、分離させても、対立させてもいけません。むしろ両者を常に同時に歩ませなければなりません。回心の後にアウグスチヌス自身が述べているように、信仰と理性は「わたしたちを認識へと導く二つの強い力」(『アカデミア派駁論』:Contra Academicos III, 20, 43)です。そのためアウグスチヌスの有名な二つの定式(『説教集』:Sermones 43, 9)はこの信仰と理性の不可分の統合を表現します。すなわち、「理解するために信じなさい(crede ut intelligas)」――信仰は真理への扉を通る道を開くからです――。しかし同時に、これと切り離すことができないのがこれです。「信じるために理解しなさい(intellige ut credas)」。すなわち、神を見いだし、信じることができるようになるために真理を究めなさい。

聖アウグスチヌス(三)より

アウグスチヌスは、まさにこのように神が人間の近くにおられるということをきわめて強烈に体験しました。神は深く神秘的なしかたで人間のうちにおられます。しかしわたしたちはこのことを自らの内面においてあらためて認識し、見いださなければなりません。回心者アウグスチヌスはいいます。「外に出て行くな。あなた自身の中に帰れ。真理は内的人間に住んでいる。そして、あなたの本性が可変的であることを見いだすなら、あなた自身をも超えなさい。しかし、記憶しなさい、あなたが超えてゆくときには理性的魂をもあなたが超えてゆくことを。それゆえ、理性の光そのものが点火されるそのところへと、向かって行きなさい」(『真の宗教』:De vera religione 39, 72〔茂泉昭男訳、『アウグスティヌス著作集2』教文館、1979年、359-360頁〕)。アウグスチヌス自身、このことを『告白』冒頭の有名なことばで強調しています。『告白』は神への賛美のために書かれたアウグスチヌスの霊的自伝です。「あなたはわたしたちを、ご自身にむけてお造りになりました。ですからわたしたちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのです」(『告白』:Confessiones I, 1, 1〔山田晶訳、『世界の名著14』中央公論社、1968年、59頁〕)。

聖アウグスチヌス(三)より

ですから、神から離れているとは、自分自身から離れていることにほかなりません。アウグスチヌスは直接神に向かっていいます(『告白』:Confessiones III, 6, 11)。「あなたは、わたしのもっとも内なるところよりももっと内にましまし、わたしのもっとも高きところよりもっと高きにいられました(interior intimo meo et superior summo meo)」(前掲山田晶訳、116-117頁)。別の箇所で、アウグスチヌスは回心前の時期を思い起こしながらさらにいいます。「たしかに御身はわたしの眼前にましました。しかるにわたしは、自分自身からはなれさり、自分を見いだしていなかった。まして御身を見いだすことなどは、思いもよらなかった・・・・」(『告白』:Confessiones V, 2, 2〔前掲山田晶訳、160頁〕)。アウグスチヌスは自らこの知的・霊的旅路を歩んだからこそ、自らの著作の中で、直接に、深く、知恵をもってそれを表現することができました。アウグスチヌスは『告白』の別の2つの有名な箇所で(『告白』:Confessiones IV, 4, 9; 14, 22)、人間が「大きな謎(magna quaestio)」(前掲山田晶訳、138頁)であり、「大きな深淵(grande profundum)」(同150頁)であることを認めます。すなわち人間は、キリストのみが照らし、救うことのできる謎であり、深淵です。このことは重要です。神から離れた人間は、自分自身からも離れ、自分自身から疎外されています。だから彼は、神と出会うことによって初めて自分を見いだすことができます。このようにして彼は自分自身に、すなわち真の自分、真の自分のあり方へと導かれます。

聖アウグスチヌス(三)より

アウグスチヌスが後に『神の国』(De civitate Dei XII, 28)の中で強調するように、人間は本性的に社会的な存在ですが、悪徳によって反社会的なものとなっています。人間を救うことができるのはキリストだけです。キリストは神と人類の間の唯一の仲介者であり、「自由と救いをもたらす普遍的な道」(『ヒッポのアウグスチヌス』21)です。同じ著作の中でアウグスチヌスはまたいいます。人類に与えられたこの普遍的な道を通ることなしに「誰も救われたことはなく、誰も救われることはなく、誰も救われるだろうこともないのである」(『神の国』:De civitate Dei X, 32, 2〔茂泉昭男・野町啓訳、『アウグスティヌス著作集12』教文館、1982年、382頁〕)。救いのための唯一の仲介者であるキリストは、教会の頭(かしら)であり、教会と神秘的なしかたで結ばれています。だからアウグスチヌスはいいます。「わたしたちはキリストとなったのである。彼が頭であれば、わたしたちは肢体であり、彼とわたしたちとは『全き一人の人』なのである」(『ヨハネ福音書講解』:In Johannis Evangelium tractatus 21, 8〔泉治典・水落健治訳、『アウグスティヌス著作集23』教文館、1993年、381頁〕)。

聖アウグスチヌス(三)より

神の民は神の家です。それゆえ、アウグスチヌスの考えでは、教会は「キリストのからだ」という思想と密接に関連づけられます。この「キリストのからだ」という思想は、キリストの観点から見た旧約聖書の新たな読み方と、聖体を中心とした秘跡の生活に基づきます。主は聖体によってわたしたちにご自身のからだを与え、わたしたちをご自身のからだへと造り変えてくださるからです。ですから根本的なことはこれです。社会的な意味ではなくキリスト的な意味で神の民である教会は、まことにキリストと一つに結ばれています。アウグスチヌスがきわめて美しいことばで述べるように、「キリストはわたしたちのために祈り、わたしたちの内で祈っておられるとともに、わたしたちもわたしたちの神であるキリストに祈っている。キリストはわたしたちの祭司としてわたしたちのために祈り、わたしたちの頭としてわたしたちの内で祈り、わたしたちはわたしたちの神であるこのかたに祈っている。それゆえわたしたちはキリストの内にわたしたちの声を認め、わたしたちの内にキリストの声を認めるのである」(『詩編注解』:Enarrationes in Psalmos 85, 1)。

聖アウグスチヌス(三)より

アウグスチヌスは神と出会い、その全生涯を通じてこの出会いを体験し続けました。こうしてこの現実――それは何よりもまずイエスという人格との出会いでした――はアウグスチヌスの人生を変えました。イエスと出会う恵みを与えられたあらゆる時代の人々の人生を変えたのと同じように。祈りたいと思います。主がこの恵みをわたしたちにも与え、そこから、わたしたちが主の平和を見いだすことができますように。

聖アウグスチヌス(三)より

アウグスチヌスの生み出した著作は――それは、哲学、護教論、教理、道徳、修道思想、聖書解釈、異端反駁の各分野に及び、書簡と説教を含めて1000以上の著作です――、深い神学と哲学に基づく、たぐい稀なものといえます。何よりもまずすでに挙げた『告白』を思い起こさなければなりません。『告白』は、神への賛美として397年から400年に書かれた13巻の著作です。この著作は、神との対話という形による一種の自伝です。この文学ジャンルは聖アウグスチヌスの生涯を反映しています。聖アウグスチヌスの生涯は、自分自身に閉じこもるものでも、多くのことがらに分散したものではありません。それは本質的に神との対話であり、そこから、他者とともに過ごす生涯となりました。『告白』という標題がすでにこの自伝の特異な性格を示しています。詩編の伝統から発展したキリスト教的ラテン語において、「告白」(confessiones)ということばは2つの意味をもっています。この2つの意味は互いに関連し合います。「告白」はまず、自分の弱さ、すなわち罪の惨めさを告白することです。同時に「告白」は、神を賛美すること、すなわち神に感謝することを意味します。神の光のもとに自分の惨めさを見つめることは、神への賛美と感謝となります。神はわたしたちを愛し、受け入れ、造り変え、ご自身へと高めてくださるからです。この『告白』――この書物はすでに聖アウグスチヌスの生前から大きな成功を収めていました――について、アウグスチヌス自身、こう述べます。「本書はわたしに対してこのような作用をもったし、またわたしがそれを読むときにも、そのような作用をしている。本書は多くの兄弟たちを喜ばせた」(『再考録』:Retractationes, II, 6〔宮谷宣史訳、『アウグスティヌス著作集5/Ⅱ 告白録(下)』教文館、2007年、417-418頁参照〕)。

聖アウグスチヌの生涯と著作より

『告白』のおかげで、わたしたちはこの神に情熱を傾けた特別な人物の内面の歩みを一歩一歩たどることができます。あまり知られていませんが、同じように独創的で重要な著作が『再考録』です。『再考録』は427年頃著された2巻の書物です。この書物の中で、すでに年老いた聖アウグスチヌスは、自分の著作全体の「再考」(retractatio)をまとめました。こうして彼は、独自の貴重な文書とともに、誠実さと知的な謙遜の教えを残したのです。

聖アウグスチヌスの生涯と著作より

『神の国』(De civitate Dei)――これは西洋政治思想とキリスト教歴史神学の発展にとって重大かつ決定的な著作です――は413年から426年の間に書かれた22巻の書物です。著作のきっかけとなったのは、410年のゴート族によるローマ略奪です。生き残った多くの異教徒だけでなく、多くのキリスト教徒もいいました。「ローマは陥落した。キリスト教徒と使徒の神はローマの町を守ることができなかった。異教の神がいた頃、ローマは『世界の首都』(caput mundi)であり、偉大な首都だった。そして、だれもそれが敵の手に落ちるなどと考えることはできなかった。今、キリスト教徒の神とともに、この偉大な町は安全でなくなった。それゆえ、キリスト教徒の神は守護してくれないし、信頼できる神でもありえない」。キリスト教徒の心も深く感じていたこの反論に対して、聖アウグスチヌスは大著『神の国』でこたえました。彼は、神から期待すべきものと、期待すべきでないものを明らかにしました。すなわち、政治の領域と信仰の領域、すなわち教会の領域の関係を明らかにしたのです。今日でもこの著作は、真の意味での世俗性、教会の権限、そしてわたしたちに信仰をもたらす真の偉大な希望を、適切に定義するための典拠となっています。

 この偉大な著作は、人間の歴史が神の摂理によって導かれながら、二つの愛に分裂することを示します。二つの愛の戦いという、この根本的な計画が、アウグスチヌスの歴史解釈です。二つの愛とは、「神を軽蔑するに至る」自己愛と、「自分を軽蔑するに至る」神への愛です(『神の国』:De civitate Dei, XIV, 28〔泉治典訳、『アウグスティヌス著作集13 「神の国」(3)』教文館、1981年、277頁〕)。神への愛は、神の光のもとで他の人のために自分をささげる完全な自由に至ります。それゆえ、『神の国』はおそらく聖アウグスチヌスのもっとも偉大な著作であり、いつまでも重要性を保ち続けるだろうと思います。

聖アウグスチヌの生涯と著作より

同じく重要な著作は『三位一体論』(De Trinitate)です。『三位一体論』は、キリスト教信仰の核心である、三位一体の神への信仰に関する15巻の書物です。『三位一体論』は2つの時期に書かれました。399年と412年の間に書かれた最初の12巻はアウグスチヌスが知らないうちに公刊されました。アウグスチヌスはこれを420年頃完成し、全体を改訂しました。アウグスチヌスは神のみ顔について考察し、この神の神秘を理解しようとしました。神は唯一であり、世界とわたしたちすべての唯一の造り主です。しかし、この同じ唯一の神は三位一体であり、愛の円環です。アウグスチヌスはこのはかりしれない神秘を理解しようとします。3つの位格から成る、三位一体の存在そのものが、唯一の神のもっとも現実的で、もっとも深い一性にほかならないのです。

聖アウグスチヌスの生涯と著作より

これに対して、『キリスト教の教え』(De doctrina christiana)は、聖書解釈と、決定的な意味では、キリスト教への、真性かつ固有な文化的入門書です。この書物は西洋文化の形成にとって決定的に重要な意味をもちました。

聖アウグスチヌスの生涯と著作より

広く一般の人に向けた著作の中で、多くの説教がとくに重要な位置を占めます。説教はしばしば「即興」で行われ、説教中に速記者によって筆記された後、ただちに配布されました。説教の中でもっとも優れたものが『詩編講解』(Enarrationes in Psalmos)です。『詩編講解』は中世によく読まれました。アウグスチヌスの何千もの説教が出版されたことが――それはしばしば著者の校閲なしに行われました――、説教の流布とその後の散逸、そしてその影響力を説明してくれます。実際、ヒッポの司教の説教のテキストは、説教者の評判のために、すぐに多くの人々が求めるところとなり、それを他の司教・司祭が模範として用い、新たな状況に適用していきました。

聖アウグスチヌスの生涯と著作より

現代でも、何よりも『告白』のおかげで、聖アウグスチヌスの体験を追体験することができます。『告白』は神への賛美のために書かれました。そして、自伝という西洋独特の文学形式の起源となりました。自伝は、自己認識を個人的に表現したものです。この本は今日でもよく読まれています。さて、誰でもこの特別に魅力的な書物を手にとるならすぐにわかるように、聖アウグスチヌスの回心は、突然起こったのでも、初めから完全に実現したのでもありません。それはむしろ、真の意味での彼の歩みだということができます。この歩みはわたしたち皆にとっての模範であり続けます。この旅路はたしかに回心とそれに続く洗礼で頂点に達しました。しかし、それは387年の復活徹夜祭で終わりませんでした。そのとき、このアフリカの雄弁家はミラノの司教アンブロジオから洗礼を受けたのでした。実際、アウグスチヌスの回心の歩みは、その生涯の終わりまで謙遜に続けられました。

聖アウグスチヌスの回心より

カトリック教会の信仰のもとで、聖パウロの手紙を読むことによって初めて、完全な意味で真理が明らかになりました。この体験はアウグスチヌスによって『告白』のもっとも有名な箇所にまとめられています。アウグスチヌスはいいます。自らを振り返って苦悩しながら、庭に出ました。すると突然、幼い子どもが繰り返して歌う声が聞こえてきました。「とれ、よめ、とれ、よめ(tolle, lege, tolle, lege)」(『告白』:Confessiones, VIII, 12, 29〔山田晶訳、『世界の名著14』中央公論社、1968年、285頁〕)。そのときアウグスチヌスはアントニオス(Antonios 251頃-356年)の回心を思い起こしました。アントニオスは修道制の父です。そして、急いで、少し前に手にしていたパウロの手紙を読み返しました。パウロの手紙を開くと、ローマの信徒への手紙の箇所に目がとまりました。そこで使徒は、肉のわざを捨て、キリストを身にまとうように勧めていました(ローマ13・13-14)。アウグスチヌスは、このことばがこのとき自分に個人的に向けられたものであることを悟りました。このことばは使徒を通して神から来たものです。そして、今このときに自分が何をすべきかをアウグスチヌスに示していました。こうしてアウグスチヌスは、疑いの闇が消え失せ、ついに自分のすべてをキリストに進んでささげることができると感じました。アウグスチヌスはいっています。「あなたはわたしを、ご自分のほうにむけてくださった」(『告白』:Confessiones, VIII, 12, 30〔前掲山田晶訳、288頁〕)。これが第一の、決定的な回心でした。

聖アウグスチヌスの回心より

アフリカの雄弁家だったアウグスチヌスが長い歩みを経てこの根本的な段階に達することができたのは、彼の人間と真理に対する情熱のおかげでした。この情熱が、偉大で近づきがたい神を探求するようアウグスチヌスを導いたのです。キリストへの信仰によって、アウグスチヌスは、遠く離れているように見えた神は、実際には遠く離れたかたでないことを悟りました。実際、神はわたしたちの近くに来られ、わたしたちの一人となられたのです。この意味で、キリストへの信仰は、真理への道を歩むアウグスチヌスの長い探求を終わらせました。わたしたちが「触れることができる」者となり、わたしたちの一人となってくださった神のみが、そのかたに向かって祈ることができる神となったのです。この神のために、またこの神とともに、わたしたちは生きることができるからです。これは勇気とともに謙遜をもって歩まなければならない道です。それは絶えざる清めヘの道でもあります。

聖アウグスチヌスの回心より

アウグスチヌスはアフリカに帰り、小さな修道院を創立しました。アウグスチヌスはこの修道院にわずかな友人とともに隠れ住み、観想生活と勉学に励みました。これがアウグスチヌスの生涯の夢でした。今やアウグスチヌスは、キリストとの友愛のうちに、完全に真理のため、また真理とともに生きるよう招かれました。キリストは真理だからです。このすばらしい夢は3年しか続きませんでした。3年後にアウグスチヌスは、不本意ながら、ヒッポで司祭として聖別され、信者に奉仕することになったからです。アウグスチヌスはキリストとともに、キリストのために生き続けました。しかしそれは、すべての人に奉仕するためでした。これはアウグスチヌスにとってたいへん難しいことでした。けれども彼は初めから悟りました。自分の私的な観想のためだけでなく、人のために生きることによって初めて、本当の意味でキリストとともに、キリストのために生きることができるのだということを。こうして黙想にのみささげた生き方を断念することによって、アウグスチヌスは、困難を伴いながらも、自分の理解の成果を人のために用いることを学びました。自分の信仰を民衆に伝え、そこから、自分の町となった町の人々のために生きることを学びました。彼は膨大な重い仕事を、倦(う)むことなく果たしました。アウグスチヌスのすばらしい説教の一つに述べられているとおりです。「たえず説教し、議論し、繰り返し話し、教え、すべての人のために働くこと――それは莫大な責務であり、大きな重荷であり、途方もない労苦です」(『説教集』:Sermones, 339, 4)。しかしアウグスチヌスはこの重荷を負いました。まさにこのことによって自分がキリストに近づくことができると知っていたからです。単純さと謙遜をもって初めて人に近づけることを悟ること――これが、アウグスチヌスの真の意味での第二の回心でした。

聖アウグスチヌスの回心より

しかし、アウグスチヌスの歩みには最後の段階、すなわち第三の回心があります。この回心によって、アウグスチヌスは、その生涯の毎日、神にゆるしを願うよう導かれました。初めアウグスチヌスはこう考えました。ひとたび洗礼を受け、キリストとの交わりと、秘跡と、感謝の祭儀を生きるようになれば、山上の説教で示された生活を実現できる。すなわち、洗礼によって、また聖体に強められることによって、完徳が与えられるのだと。生涯の終わりに、アウグスチヌスは悟りました。山上の説教についての最初の説教で自分が述べたこと――すなわち、わたしたちキリスト信者はこの理想を絶えず生きるということ――は、間違いだったと。キリストご自身だけが、山上の説教を、真の意味で完全に実現するのです。わたしたちはいつもキリストに清めてもらわなければなりません。キリストはわたしたちの足を洗ってくださるからです。そして、キリストによって新たにしてもらわなければなりません。わたしたちは絶えず回心しなければなりません。わたしたちは最後までこのへりくだりを必要としています。へりくだって、こう認めることを必要としています。わたしたちは、主が決定的にわたしたちに手を差し伸べ、永遠のいのちに導いてくださるまで、罪人して歩みます。このような徹底したへりくだりの態度をもって、アウグスチヌスは死までの日々を過ごしました。

聖アウグスチヌスの回心より

聖アウグスチヌスは、もっともすばらしい文章の中で、祈りは望みの表現だといっています。そして、神はわたしたちの心をご自身に向けて広げることによってこたえてくださると述べています。わたしたちも自分の望みと希望を清めなければなりません。それは、神の優しさを受け入れるためです(『ヨハネの手紙一講解』:In Johannis epistulam ad Parthos tractatus, 4, 6)。実際、このことだけが、すなわち自分の心を他の人に開くことだけが、わたしたちを救います。ですから祈ろうではありませんか。わたしたちも、この偉大な回心者の模範に従って日々を生きることができますように。そして、アウグスチヌスと同じように、生涯のあらゆるときに主イエスと出会うことができますように。主イエスは、わたしたちを救い、清め、まことの喜びと、まことのいのちを与えてくださる唯一のかただからです。

聖アウグスチヌスの回心より

以上が、引用となります。

次回は「大聖レオ(Leo Magnus 400頃-461年、教皇在位440-没年)」を取り上げます。


サポートして頂いた金額は、その全額を「障がい者」支援の活動に充当させて頂きます。活動やってます。 https://circlecolumba.mystrikingly.com/