見出し画像

ノラのパウリノ

故ヨセフ・ラッツィンガー(ベネディクト16世)の「一般謁見演説」より、古代教父の言葉を振り返る、この試みも、だいぶ「マガジン」内での投稿が進んで参りました。

今回は「ノラのパウリノ」です。
※以下リンク先は英語版のwikiからになります。

「一般謁見演説」からのリンクは、こちらから…。

以下、上記リンク先より引用です。

今日わたしたちが目を向ける教父はノラの聖パウリノ(Paulinus Nolanus 353/354-431年)です。聖アウグスチヌス(Augusutinus 354-430年)の同時代人であり、アウグスチヌスと深い友情で結ばれていたパウリノは、カンパニアのノラで奉仕職を果たしました。パウリノはノラで修道士となり、その後、司祭そして司教になりました。

リンク先より引用

信仰を得たパウリノは述べます。「キリストをもたない人は、塵や影にすぎません」(『歌謡10』:Carmina X, 289)。人生の意味に光を与えることを望んで、パウリノはミラノに行き、アンブロジオ(Ambrosius Mediolanensis 339頃-397年)の学校に入ります。それから彼は生まれ故郷のボルドーでキリスト教的教育を終え、ボルドーの司教デルフィヌス(Delphinus 401/403年没)の手で洗礼を受けました。結婚もパウリノの信仰の歩みにおいて役割を果たしました。パウリノはバルセロナの貴族の敬虔な娘テラシア(Therasia)と結婚し、一人の息子をもうけました。この息子が生後わずか数日で死ななければ、パウリノは善良なキリスト教信者として暮らし続けたことでしょう。息子の死は衝撃を与え、自分の人生についての神の計画は違うことをパウリノに示しました。実際、パウリノは厳しい修徳生活を通じてキリストに自らをささげるよう召されていることを感じました。

パウリノは妻テラシアの完全な同意のもとに、貧しい人のために財産を売り払い、妻とともにアクイタニアを去ってノラに赴きました。夫妻はノラで守護聖人の聖フェリクスの聖堂の隣に住み、貞潔な兄弟姉妹として過ごし始めました。

リンク先より引用

チミティーレの修道院において、生活は清貧と祈りと深い「霊的読書(lectio divina)」のうちに行われました。読み、黙想し、自分のものとすることにより、聖書は光となりました。この光のもとでノラの聖パウリノは自分の心を調べ、完徳をめざしました。パウリノが物質的な財産を放棄する決断をしたことに驚いている人に向かって、彼は、財産を放棄する行為が完全な回心を表すわけではないといいます。「自分が所有するこの世の富を捨てたり、売り払ったりすることは、終わりではなく、闘技場での競技の始まりにすぎません。たとえていえば、それは目的地ではなく、出発点にすぎないのです。実際、競技者は服を脱いだときに勝利を収めるのではありません。彼は戦いを始めるために服を脱ぐからです。競技者は、なすべき戦いを終えた後に、初めて勝利者の栄冠を与えられるに値するのです」(『書簡24――スルピキウス・セウェルス宛て』:Epistulae XXIV, 7)。

リンク先より引用

修徳と神のことばと並んで行われたのは、愛のわざです。修道共同体の中では貧しい人も一緒に暮らしていました。パウリノは貧しい人に施しを与えるだけではありませんでした。彼は貧しい人を、その人があたかもキリストご自身であるかのように迎え入れました。パウリノは修道院の一部に貧しい人のための場を設けました。このことによって、彼には自分が与えるのでなく、与えられているように思われました。寄付を受けることと、寄付を受けた人が感謝の祈りをささげることの間で、ささげものの交換が行われたからです。パウリノは貧しい人を自分の「守護聖人」(『書簡13――パンマキウス宛て』:Epistulae XIII, 11参照)と呼びました。また彼は、貧しい人が下の階に泊まっているのを見て、貧しい人の祈りは自分の家の基(もとい)だと、よくいいました(『歌謡21』:Carmina XXI, 393-394参照)。

リンク先より引用

パウリノとアウグスチヌスという二人の友人が交わした往復書簡の冒頭の、意味深い一節を引用します。「わたしたちは遠く離れていても互いのそばにおり、会っていなくても、互いのことを知っています。そうだとしても、驚くべきではありません。なぜなら、わたしたちは唯一のからだの部分であり、唯一の頭をもち、唯一の恵みに満たされ、唯一のパンによって生かされ、唯一の道を歩み、同じ家に住んでいるからです」(『書簡6』:Epistulae 6, 2)。おわかりのように、これはキリスト信者であるとはどういうことかを記した、すばらしい文章です。キリスト信者は、キリストのからだであり、教会の交わりの中で生きます。現代の神学は、まさにこの交わりという概念のうちに、教会の神秘に近づくための鍵を見いだしました。ノラの聖パウリノのあかしは、わたしたちが教会とは何かを考える上での助けとなります。

リンク先より引用

次回は、アウグスティヌスとなります。

その内容、密度も濃いので、長文の投稿となりますことを、ご了承くださいますように...。

では、またの機会に...。
ごきげんよう。

サポートして頂いた金額は、その全額を「障がい者」支援の活動に充当させて頂きます。活動やってます。 https://circlecolumba.mystrikingly.com/