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「手足の揃ったおまえにできないことはひとつもない」▶︎いと

自分を支えてくれる言葉、を持っている人は多いのではないかと思います。

それは歴史上の偉人の名言だったり、本や映画のセリフだったり、身近な人の心のこもったひと言だったりするのかな、と想像します。

私にとって、ずいぶん長い間、ずっと心に留めておいた言葉は、この言葉でした。

「手足の揃ったおまえにできないことはひとつもない。人間はできないと思ったら、まっすぐに歩くことだってできやしねえんだ」

大好きな小説、浅田次郎さんの『蒼穹の昴』の一節です。
『蒼穹の昴』は、清代の中国を舞台とした小説。
極貧の家に生まれた主人公、李春雲が自ら浄身(去勢)して宦官になり、西太后の側近になるまでを主軸とした物語です。

上のセリフは、浄身した春雲が後宮に仕官する機会を待つ間に出会った、西太后お抱えの劇団の元花形だったお師匠からの言葉。
このお師匠、名を黒牡丹と言い、癩病患者として描かれています。

このセリフは以下のように続きます。

「町に出て、ぐうたら生きているやつの格好を見てみろ。どいつもこいつも、野良犬みてえによろよろと歩いてやがる。胸を張って、しっかり前を見ながら歩くことが、一番むずかしいんだ」

お風呂の中で読んでいました。
当時の私には、この言葉のインパクトは絶大でした。
お風呂の中なのに読みながら姿勢を正して、私はしっかり前を見ながら歩いているかと自問したことまで思い出されます。

黒牡丹は続いてこう言います。

「体さえまともなら、俺ァ空だって飛んで見せる」

正に彼の気概が凝縮されたひと言。

当時も今も、私には手足が揃っていて、幸い健康です。
でも当時、生きている意味とか、楽しいこととか好きなものとか、そんなものに出会えた実感みたいなものはほとんどなく、ただただ疲弊していたような気がします。

そんな中で目にしたこの言葉が、その後ずっと私の中の何かを支え続けてくれていました。

この言葉に出会って20年が経とうとしています。

手足が揃っているありがたさは承知しているつもりでも、できないことは何もない、の境地には未だ至れず。

というか、できないこともある、ということを突きつけられ、それを受け入れることにすら時間がかかり、何かを諦め、その上でようやく自分の活かし方が分かってきたような気がするところまで、それで精一杯の今です。

もう、この言葉に100%共感できないくらいには年を重ねてしまいました。
でもまだ、この言葉の持つ力みたいなものを信じている自分はいます。

年始から立て続けに起きた惨事の数々。
被災していない私は、地に足をつけて、できることを粛々としていきたいなと思う次第です。

【投稿者】いと


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