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湖西線50周年

 平安時代、紫式部と父藤原為時が打出浜から近江塩津まで船で渡った。

 昔から越前敦賀から京都への荷物の輸送は、敦賀から峠を越えて、現在の北陸本線、および、国道8号線で近江塩津へ陸上を走り、

近江塩津から舟で琵琶湖を縦断し堅田、坂本、大津へと運ばれた。

 やがて、船での輸送は鉄道に置き換わった。

 敦賀から近江塩津、高島、堅田、大津京、山科、京都。

 特急「サンダーバード」が走っている。昔で言う「スーパー雷鳥」。

福井県HP

 令和6年3月16日に、北陸新幹線が東京から高崎、長野、富山、金沢、敦賀とつながった。そして、敦賀から小浜経由で京都、新大阪へと繋がることになる。そうなると並行在来線がなくなることになり、愛着のあるサンダーバードが終了する、らしい。

 関西の人たちは、サンダーバードに乗って北陸の海へ海水浴に行ったり、冬はカニを食べに行ったり、温泉に行ったりと北陸は身近な存在であった。行きのサンダーバードから酒を持ち込んで温泉地に着く頃には完全に出来上がっているという話もよく聞く。

 それが新幹線になるとどうもそういった情緒がないんだなぁ。なので、時間的には早く着くかもしれないが、もしかすると足が遠のく可能性もあるような気がしてならない。これも心配することないと思うのだが、テレビもブラウンからハイビジョンになったときも、「そんなにお金を出して、精密に映さなくてもいい」なんて言っていたのが、ハイビジョンに慣れてしまうと、液晶やプラズマ、有機ELにも慣れて、4K,8Kという時代になってきた。きっと鉄道の便利さも容易く受け入れてしまうのだろう。

 近江塩津から京都まで、琵琶湖の西岸を走る在来線が「湖西線」。

 その湖西線が開通して、驚くことに50年。そんなことで、湖西線50周年記念イベントが色々と行われる。

 今月20日から大津歴史博物館にて、企画展「私の湖西線」が開催される。

大津歴史博物館HP

 私はそれほど湖西線に乗る機会は少ないのだが、最初にこちらに来て厳しい冬に湖西線に乗った時に、電車の扉が開かなかったのを思い出す。

 停車駅で止まったのに、扉が開かない。戸惑っていたら「自分で開けるんですよ」ってお客さんが教えてくださった。

 堅田より北は、ほぼ雪国なので冬は自分で扉を開閉しないといけないのだった。

 冬は大雪。そして、比叡山と比良山系からは「比叡おろし」と「比良おろし」の強風が吹き荒れる。

 風が強いと湖西線はすぐに止まる。そして、サンダーバードは湖西線を通らずに、東側の琵琶湖線へと迂回して京都まで辿り着く。

 そんな滋賀県民にとっては、とても愛おしい電車なのである。


 ある暑い日の昼前。歩いてNHK大津放送局へ出かけた。

 かっこいい滋賀県庁。

滋賀県庁本館

 その県庁の目の前に新しく完成したのがNHK大津放送局。

NHK大津放送局

 以前この場所には、滋賀会館という大きなホールがあった。コンサートや映画やイベントも行われて、地下には商店街もあり、その地下道は県庁まで繋がっていたのだ。その建物が老朽化で取り壊しになり出来上がったのが、打出浜にあったNHK大津放送局だった。

 2020年には建物は出来上がっていたが、館内に入るのはこの日が初めて。

何もかも新しくて気持ちがいい
湖西線開業50周年記念展

 「湖西線開業50周年記念展」として、鉄道写真家の清水薫氏の写真展が開催されていた。

 この清水薫氏は、妻が好きな写真家さんで2018年5月に、今はなき西武百貨店にて写真展に見に行ったのだった。私もお供してみたのを覚えている。そして、その時に妻は写真集を購入して、ご本人からサインまでしていただいていた。

写真集「琵琶湖を巡る鉄道」

どの写真も素晴らしく、鉄道を愛していることが滲み出るような写真ばかり。

清水薫氏の直筆サイン

 まさかこの時から2年足らずで急逝されるとは夢にも思わなかった。享年56歳。

 その時、ポストカードも購入していた。

ポストカード

 清水薫氏の素晴らしい写真を再び拝見し、惜しい人をなくしたと残念に思うばかりだった。

 すぐに止まる湖西線ではあるが、それでも県民みんなが愛おしく思っている湖西線。

 強風や大雪の時は、X(Twitter)では、「おぉ!湖西線が動いてる!」「湖西線頑張れ!」というつぶやきならぬ応援が飛び交う。

 そんな湖西線をこれからも応援していきたい。

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