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江戸時代の【旅の心得】

 群馬から東海道を伊勢詣。奈良・和歌山と周り舟で四国に渡り金比羅詣、再び舟にて岡山へ。陸路で大阪、京都と巡り中山道で木曽路を歩いて碓氷峠を越えて再び上州群馬まで。69日間の旅の教訓。
 現代の旅でも、山歩きでも通用する、江戸時代の旅の心得。伊勢金比羅参宮日記において、旅行中に気をつけることを栗原順庵が説いてくれます。



 旅は長休みするべからず。




 朝は早く出発、暮れの到着は早く着くように心がけること。とにかく急がず、怠らず歩行することが肝要である。




 まだ暮れには早いと言って、もう1〜2里越えて泊まるというのは良くない。それで足を痛めるものである。且つ出発が遅れると万事人の後になってしまい困る。




 山路に入ったら、余裕をもって良い宿を見つけ次第、日が高くても泊まってしまうこと。行き暮れて坂などにかかってしまうととても困ってしまう。




 たまたま早く到着してしまったら、しらみ狩りのふんどし洗い、肌着洗濯などと随分と用があるものです。




 海上はだいたい思ったよりも時間がかかるのが普通だ。 風や雨がある時は特に大変である。 日数もかえってかかってしまう。




 船酔いがなくても退屈千万なり。また10人に3人は必ず酔うものである。




 とかく、上衝(落ち着かせるべき気が上にへ行ってしまう)強き人、溜飲(胃から酸っぱいものが上がってくる)有の人、風邪の気ある人など酔いやすい。酔ってしまったら、早く船底に楽な姿勢で横になること。多く憂いを免るものである。瓢に水を入れて、梅干しなどを用いること。




 宿泊するにあたって、箱根を越えてからは座敷へ通ってから「上はたごはいくらか」と聞くこと。その上で上はたごを申しつけて、翌朝帳面を差し出し銭付けさすこと。値段を聞かずに帳面を出してはいけない。



 

 札通用のところでは、すべて買い物何百何文と値切るべきではない。やはり何厘何分と言うこと。出なければ、払方にて損が出る。


 *「札通用」は、藩札や手形などの小切手のようなもので支払えるお店。
 *「値切る」は、「安くさせる」という言う意味ではなく、お金の単位の話。「江戸の金遣い」「上方の銀遣い」と言うように、地域によって違います。
 金1両=銭8460文、
 銭1貫文=銀12匁6分6厘
 両替商が活躍する時代です。




道中五戒あり 慎むべし


 1 賤妓: やす女郎なり

 賤妓100人のうち95人は梅毒に罹っていた言われるほど、安い女郎には性病が蔓延したいたようです。もうお互い命がけです。

 2 夜行 よみち

 現代の日本では夜でも明るく治安もそこまで悪くないので若い女性でも歩けますが、海外で若い女性が夜ひとりで出歩くのはまず考えられないことでしょう。いつの時代もこれは一緒。

 3 渡海 うみ・ふね

 この頃に比べれば船の機能も高くなりそう簡単に沈没したりすることもなくなりました。天気予報も正確になり不慮の事故も減ったとは言え、やはり今でも船に乗る時は緊張するものです。

 4 馮河:かわごし 

 川を渡ること。特に歩いて渡ること。
 橋のない川を渡る方法は、舟で渡るか、川越し人足の手を借りて肩車をしてもらったり、輩台(れんだい)という台座に乗せてもらいそれを担いで渡してもらう方法、または馬渡し。 川が荒れればしばらく渡船禁止になり川止めとなり、しばらく宿屋に足止め状態となったようです。

 5 異食 慣れないくいもの

 江戸時代は冷蔵庫がありませんでしたので、生ものは流通しなかったと思います。塩漬け、醤油漬け、乾物などに加工されていたので想像するよりは食中毒などは少なかったと思います。ただ「食べ慣れないもの」はそれとは別で、内陸に住む人が食べ慣れないエビや貝などの海産物を物珍しさでたくさん食べたりすることを戒めているものと思います。




 金子の儀は、大阪表島屋佐衛門までおくり付置くこと。合印形押し遣し置き、この印形引合右金子御引き渡し下さるように申し送り置き、道中はたくさん金子を持ち歩かないようにする。

 
 *現代で言えば、なるべく現金は持たずに、キャッシュレスでと言うこと。



 道中では、たとえ近所の人に出会ってもよほど懇意にしている人でなければ同行同宿してはいけない。




 宿引には決してひっかかってはいけない。また、叱ってはいけない。弄んではいけない。只々かまうべからず。決まった宿を聞いて来ても言わずに、すっと宿を決めておいて入ること。




 寺院神社などの境内に入って、樹木草花などに手を付けてはいけない。鐘鼓共々打ち鳴らしてはいけない。万事そのあたりにいる商人などに問い合わせてからすること。道を歩いている人は、その土地の人に見えても言語などかわすべきでない。




 出発の日は必ず吉日を選ぶこと。暦の他、唐一行禅師の旅立吉凶必ず見ること。


* 一行禅師は真言高僧八祖(第6祖)一行阿闍梨であり、中国の科学者。大衍暦(だいえんれき)という暦を作り、天体義、地球儀も作っちゃっているすごい人です。「唐一行禅師出行. 目之事」




 

 参宮の吉悪の年があり、これも選ぶこと。(いずれも日野屋源左衛門施板に出る)



* 日野屋源左衛門は「中井 源左衛門」という近江商人。「日野」は屋号。現在の滋賀県蒲生郡日野町出身。元は日野碗の製造販売であったが、あちこちに支店を作り、取り扱う品物も塗り物だけだったのがその土地ごとの産物も含めて生糸・紅花・漆器・薬などにも広がり、金融業、製紙、酒造までに至った。明治維新で大名に貸していた借金の貸し倒れや生糸の生産が落ちたことによって廃業となる。




 

 宿屋の儀は、その宿によってまた家の盛衰によるが、まず浪花講組の商人宿が良い。これなどは帳面がある。求めて持参すること。



 * 当時は旅が盛んになり旅籠の需要も上がったが、安心して宿泊できる旅籠は少なかった。飯盛女という旅籠お抱えの遊女がいたり、一人旅を断る旅籠もあったといいます。そんな事情を憂えた当時の旅館組合が「浪花(講)組」を作り、全国主要街道の優良旅館を決めて旅籠の店先に看板を飾れるようにしました。また、「浪花講定宿帳」を発行して宿場ごとに加盟店の旅籠名を掲載し、それは道中記を兼ねた帳面であったとのことです。



 以上、江戸時代の旅の心得でした。


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