自分の世界観を尊重すること。

人生において、自分、そして対人関係は必要不可欠な存在である。結局、まともに生きるには人とうまく関わることが大事なのではないだろうか。
今日の気づきは世界観を尊重することが全ての始まりだということだ。そして必要だと思った。自分が持っている、思想、見方、捉え方、認知の仕方、好きなもの、嫌いなもの、物の扱い方、など価値観やさまざまなものがあると思うが、そのような世界観は二つで成り立っている。一つでは成り立っていない。物があるから自分も気づく。何かするから自分も楽しくなる。まず、世の中は二つの融合体でできていると考える。それが創るということだろうか。詳しいことはあまりわからん。ただ、どんな時も相手に合わせたり、よく聞いたりするのはただの都合の良い存在でしかない。もちろんそれに対して、自分らしく、世界観を表現することができれば、お互いの理解に繋がると思う。
例えばなんだが3人だと話せるが、2人だと話せない。そんなようなことはないだろうか。そんな時自分はこう考える。世界観の出しやすさの違いだと。自分から出せるか、相手が引き出す能力をもっているか、この二つに決定権があると感じる。
しかし、この世の中相手頼りで生きていくのは無責任である。というか、不安定になりかねない。大事なのはまず自分自身の世界観を理解すること。惜しみなく自分の思ったことなどを言うこと。これを言ったらどう思うんだろうか…たしかにその気持ちはわかる。いろいろ理由付けして、言わない理由を作り出すのはわかる。例えば、自分の気持ちに戻ってしまうとか。でもめんどくさいしいっか〜とかそんな風に自己の気持ちに逆戻りするのではなく、惜しみなく言おう。もちろん、思いやりは大切だ。何でもかんでもベラベラ言うのが正解かはわからない。親しき中にも礼儀ありと言うしな。言わなくていっか〜は自己防衛からくる場合がよくあるのではないだろうか。そんな時、自身の箱にハマってることに気づこう。
箱から出るには自分を正当化するのではなく、思いやりということに一歩踏み出そう。
ちなみに、世界観は一方的ではダメだ。理想はなんだと聞かれると詳しくはわからない。ただ相手の世界観を認める。そして相手もそれを心がける。それが両立された世界が平穏と呼ぶのでないだろうか。わざわざ自分を理解してもらうことはおこがましい。そんな気持ちを捨てて、相手の世界観を理解することに努める。それができるのはまずは自分の世界観の理解度を上げることだ。日頃からなにが好きなのか、嫌いなのか、どんな時にぶれない気持ちでいられるだろうか。そう考えよう。自分を知ることをしっかりできると物事を知る余裕ができる。頑張った日のビールがうまいのは、その日の自分をよくみているから、ビールのうまさをよく知れる。そうゆう風に、自己の世界観を把握し、理解することが全ての第一歩である。

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