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営業自粛しないパチンコ店騒動について思うこと

 新型コロナウィルスに対する特別措置法に基づくパチンコ店の営業について連日ニュースを賑わせている。

 コロナウィルス感染拡大防止の観点から飲食店を始めとした各業界には緊急事態宣言に基づく営業自粛要請が各都道府県知事から出ているが、未だ要請に応じず営業を続けているパチンコ店が数店舗あり、ちょっとした騒ぎになっている。
 各都道府県知事は文書を出したり、店舗名を公表したりと様々な形で圧力をかけるが、それにも屈せず営業を続けているパチンコ店に対し世間から非難が集中している。一方で、自粛要請である以上、営業を続けるか否かの判断は店側にあり、休業を強制するのは憲法違反だとパチンコ店を擁護する声も挙がっている。どちらの意見に分があるのか両者の意見をフラットに見てみたい。

パチンコ店の意見

 自粛派と擁護派の意見をまとめる前にまずはパチンコ店側の言い分を確認すると以下の通りだ。

・ 換気対策は他の商業施設と比べても
  十分なくらい
・ 基本的に他の人と対面になることも
  声を発することも無いので集団感染の
  リスクは少ない
・ パチンコ台のハンドルやボタンを徹底
  消毒すれば、スーパーのカゴや商品よ
  り感染リスクは低い
・ 今までクラスターが発生した事例はない

自粛要請側の意見

 次いで、自粛要請側の主張を見てみると概ね以下のような意見が出ている。

・ 皆自粛をしているのにパチンコ店だけ   自粛しないのはおかしい
・ 医療の現場に迷惑をかけないために今
  は皆で自粛をすべき時期だ
・ 対策方法も考えずに3密ではないから
  良いという考えは浅はか
・ パチンコをやる人はルーズな人が多く、
  感染拡大をさせる可能性が高い

理論的でない、感情的な意見が多く見られる。

パチンコ店擁護側の意見

 パチンコ店擁護側の意見はパチンコ店が出している意見に加えて以下のような意見が多い。

・ あくまでも要請であり、強制力はない
・ 強制力を伴わない要請や指示を、法の
  枠組みにない同調圧力で強制するのは
  無理がある
・ パチンコ店は3密要件には該当しない

  パチンコ店擁護側の意見の多くは、“自粛“なのだから“強制”はできないだろうというもので、同調的に自粛を求めることに異議を唱えている声が多い傾向にある。

結論から言えばこの両者の議論は感情理論の言い争いなのでどちらが正しいかを決める物差しは存在しない。

”自粛”というワードの解釈

 こういった言い争いが生じる原因には“自粛”という言葉の解釈が根本にあるように思える。政府や都道府県知事が求めているものは言葉通りの”自粛”ではなく、自粛という名前を借りた”強制”だ。忖度文化になれている政治家・官僚は自分たちと同様に国民も“自粛”という言葉で忖度してすべての意味を察すると思っているのかもしれない。

しかし、相手は自粛に応じて休むと売り上げが立たずに明日の食事にもありつけなくなるような人達だ。休んでも、寝ていても給料が支払われる政治家や公務員とは違う。
 求められているのが自粛であれば、自分たちの判断でできる限りの自粛行動を行うということになる。自粛は強制できない。補償のない自粛なら尚更だ。

新型インフルエンザ等対策特別措置法の条文を読んでみても地方公共団体ができることは”要請”、もしくは罰則規定の無い”指示”しかできない。

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松戸市長による点数稼ぎのパフォーマンス

 パチンコ屋に自粛を求める中でこんな騒動もあった。

 これは、松戸市の市長と市役所職員が店舗前で“緊急事態宣言発令中”の横断幕を掲げて営業と入店の自粛を呼びかけたものだ。この行動を称賛する声が多いのに僕は違和感を覚えた。

 市長が営業しているパチンコ店を放置して他市から来る人によって市民がコロナウィルスをうつされ、クラスターを生じさせることを防ぎたいという気持ちは理解できる。
 今回の行動は控えめに言って市長の点数稼ぎだ。パフォーマンスを通じて「言うべき時は言う、行動派の市長」をアピールする意図が見え見えだ。市役所職員も市長の点数稼ぎにNoと言えず、イヤイヤ付き合わされた姿が目に浮かぶ。市長には他にもっとやるべきことがあるはずだ。公権力を行使して職員を狩り出し、横断幕を作り、市民を先導する活動家のような行為は市長のとるべき行動ではない。
 そもそも市長は“都道府県対策本部長”ではないので、要請に法的根拠がなく、パチンコ店が被害届を出せば法的には威力業務妨害罪になる可能性もある。(※公共の福祉の問題もあるので現実的には無いと思慮)
 

 諸悪の根源は「新型インフルエンザ等対策特別措置法」で、立法府である政治家達が法律の違憲判断を恐れて中途半端な書き方で「これは実質命令です。でも要請なので補償義務はありません」という法律を作った。
 法的な罰則や強制力がないのに「要請」を錦の御旗のように掲げて役所が出て行く行為は、法律の範囲を超えた厳しい「要請」が行われている証拠だ。

同調圧力の恐怖とと私的正義の暴走

 公権力が法律にない公的圧力を一般市民にかけるようになると危ない。警察からの任意の事情聴取を求められて従わなかったときに拘束するぞと脅してくるような国が危ないというのと同じで、今回の行為がまかり通るようにならないよう、疑問を呈しておかなければならない。
 国民に”要請””指示”に従わないことを法律で禁止していないにも関わらず、社会の同調圧力を頼りにした法律の執行は不健全だ。

 「コロナのためなら何でも我慢」という理屈を押し通すのであればそれは「戦争に勝つためなら何でも我慢」と同じ危険思想だ。今日の「自粛」の強要は第二次世界大戦の神風特別攻撃隊(特攻隊員)への参加を軍の”志願”とという形で強要した過去と被る。

 皆で我慢しようという同調圧力は危険だ。自粛要請を無視した店舗を公表して晒し者にし、世論に叩かせるという手法は健全ではない。正しい方法は補償条項付きの法律的禁止だ。

政府も国民も曖昧なところで逃げることをせず、非常時における国家の統制の在り方を議論すべきであったと思う。この問題はパチンコ店だけの問題ではない。営業休止要請の解除が待ちきれずに営業再開した店舗に自粛警察による嫌がらせや放火などの私的暴走が起きるのも、残念ながら時間の問題だ。

パチンコがそもそも嫌われている

 そもそもパチンコが世間の嫌悪的存在であるというところに今回の騒動の盛上り要因がある。パチンコは多くの依存症患者を生み出し、自殺者まで出している紛れもない事実があり、“社会にとって有害であまり好ましくない”イメージがある。
 タトゥーやタバコなんかもそうだが、愛好すること自体には何の問題もないものの、反社会的なイメージを思っている人が多くいる。
 また、パチンコやスロットに行く人たちのイメージも相当に悪い。ネット上ではパチンコをする人を“パチンカス”や“スロカス”と揶揄し、漫画では借金まみれの主婦がパチスロ店に入り浸るといった描写をよく見かける。生活保護や年金の支給日にATMに行列ができるのはパチンコのせいだとまでも言われ(※支給日にATMに行列ができるのはパチンコだけが原因ではない)、そもそも民度の低い業界だと思われている。
 今回の騒動の人達も”自粛を求められているのにパチンコをやりに行ってしまう民度の低い人たち”という半ば軽蔑的な見方をされている。

 ただ、パチンコは年間20兆円超の巨大産業でこれは日本の税収(約60兆円)の1/3に相当する規模だ。トップメーカーのマルハンの売上は年間2兆円で日本の超一流企業と並べても何ら遜色がない。
 これだけお金のある業界なので当然、甘い蜜を求めて政治家や警察が群がる。

 パチンコチェーンストア協会という謎の団体に多くの政治家がアドバイザーとして参加しているし、パチンコ関係団体が警察官僚の天下り先になっているという話はあまりにも有名だ。
 多かれ少なかれパチンコにネガティブなイメージを持つ人たちはテレビやネットの力によってパチンコ店への嫌悪感をブーストされて騒ぎが大きくなっているようにも思える。

まとめ

 今回のこの騒動は ①“自粛“という言葉の解釈、② 中途半端な特措法③ 公権力による同調圧力④パチンコという世間の嫌われ者などの複合的な要因がある。

 しかし、今回のような騒動は緊急事態制限が解けた後の”コロナウィルスの怖さを正しく認識してコロナウィルスと共存”をしていくのに必要なプロセスなのかもしれない。
 コロナウィルスとの共存生活ではどのような行動が感染に結び付く確率が高く、どのような行動が低いのかを正しく把握したうえでの生活が待っている。
 そういう意味では、パチンコ店が法律的に禁止されていない以上、理論上は感染リスクが低いものとして人々は受け入れざるを得ないものなのかもしれない。
 あと、パチンコ店側からの「従業員の給料や賃料を考えると経営が苦しい」といった声に対し世間は「そんなのはどの業界も同じ。皆苦しいんだからお前たちも我慢しろ」という同調圧力をかけているのは一定の収入を確保できている人たちだ。安全な立場からものをいうのはフェアではない。 明日収入が途絶える人たちはこんな綺麗ごとなんて言っていられない。
 「休業するから金をくれ。」という国民からの声に対して政府や都道府県は「金をやるから休業してくれ」と返答すべきだと僕は思う。

 ※ 本記事を読んだ人がパチンコ業界にあらぬ嫌悪感を抱かないよう、パチンコ業界としては自粛に協力する方向でいるということを付け加えておく。


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