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暮瀬堂日記〜蟋蟀(こおろぎを)

 十四年前から思案していた句が、形を為した。
 ずっと頭の片隅にありながら、ピンぼけしているような感じであった。

 2006.9.06(水)、山形新聞詩壇(芝春也選)に掲載された以下の詩は、「蟋蟀(秋の季語)」の句を推敲しながら完結できずに、詩稿となっていたものである。


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  こおろぎ

夏の尽きた夕暮
入り日を追うように
こおろぎが
背中に夜の底をのせ
運んでくる
一匹
また一匹と
こおろぎが
背中に夜の底をのせ
置いてゆく
一匹
また一匹と

全ての夜を運び終えると
たちまち
朝に追われるように
こおろぎが
背中に夜の底をのせ
跳ねてゆく
一匹
また一匹と
こおろぎが
背中に夜の底をのせ
どこかへ
跳ねてゆく
一匹
また一匹と

〈芝氏評〉晩秋もしくは初秋、こおろぎが鳴く季節の情緒だが、現代俳句を思わせるイマジナルな比喩の感覚に斬新さが感じられる。
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 それにしても、なぜこんなに蟋蟀のことが気になっているのだろうか、と考えるとき、はっとするのは、山口誓子の句であった。

  蟋蟀が深き地中を覗き込む  誓子

 なんとも不気味な、ぞっとする姿が脳裏に刻まれた。穴の底にいる自分が、穴の出口から蟋蟀に見つめられ、見張られる、という感覚に包まれた。

   盆踊り列より逸れて闇の底

 夜の底を実感して得た拙句であったが、深まる夜の闇は、蟋蟀の力を借りねばならなかった。

   蟋蟀に背負はれてくる夜の底

 とりあえず、ここまでであろうな、と歳時記を閉じ、深まる夜の底で寝に就くことにした。

(新暦九月六日 旧暦七月十九日 処暑の節気 禾乃登【こくものすなわちみのる】候)

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