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暮瀬堂日記〜煤払

 大掃除をするべきかどうか思案中であるが、緊急事態宣言の間に二週間掛けて綺麗にしたので、もはや必要ないか、などと言い訳を考えて見たものの、さてどうしたものか。

  ささ竹をふる宮人や煤払  宗因

 江戸期、宮中や城内では陰暦十二月十三日は「事始め」とされ、正月の準備を始める日で「煤払」が行われた。
 また、年寄や子供、病人などは仕事の妨げになるので、別室に籠っていることを「煤籠(すすごもり)」と称し、煤払いを避けて他所に行くことを「煤逃げ」とも言った。

  煤籠り昼餉の時のすぎにけり  山口波津女
  煤ごもる二階の父母へ運び膳  岡田耿陽
  煤逃げの碁会のあとの行方かな 鷹羽狩行

 『蕉門名家句選』(岩波文庫)を片手に索引を目で追っていると、

  流るゝや師走の町の煤の汁 智月

 に邂逅する。河合智月は近江蕉門の女流俳人で智月尼とも呼ばれる。自身の弟である乙州を養子とし、芭蕉が近江義仲寺や幻住庵に滞在した際には、二人で師の身辺の世話をした。
 上記は、煤を拭き取った布巾を濯いだあとの汚水が、そちこちの家から流れて来る様を詠んだのだろう。「煤の汁」とは如何にも女性らしい感覚で詠まれていて面白い。

  銭湯や煤湯といふを忘れをり 石川桂郎

 煤払いを終えた後に入る風呂を「煤湯」と言い、昔は番台も忙しかったであろう。ちなみに、石川桂郎は私と同じく理容師をやりながら俳句を為した人なので、親しみが感じられる。
 とは言え、煤のことばかり考えていると、何だか鼻がむずむずして来たようだ。

  払はれて煤の移りし敷居かな

 かつて為した句を記し、擱筆することとする。


(二〇二〇年 十ニ月七日 月曜 陰暦十月廾三日 大雪の節気 閉塞成冬【そらさむくふゆとなる】候)

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