【小説】アダチ区がなくなった日

ある日、俺は生まれ故郷を失った。
とある一人の政治家が、「同性愛者がいればこの町は滅びる」と発言したのがきっかけだった。
そんな言葉は、まぁごまんと浴びせられてきたのだが、今回いけなかったのがその政治家が実は稀代の天才科学者で大金持ちだったことである。
彼はアダチ区にスカイツリーに負けない巨大な鉄塔を立て、そこから電波を発信した。それは「同性愛者にアダチ区が認識できなくなる」と言う影響を与える、妙な電波だった。
ニュースを見て、俺は慌てて一人暮らしをしていたコウエンジから実家のあるアダチ区へと向かったが電車でアダチ区に入った瞬間驚愕した。電車の窓の向こうが真っ白だったのだ。
地面も建物も空も生き物もなく、ただただ真っ白な世界が窓の外に広がっている。
電車が駅についたとアナウンスをすれば、普通に止まってドアは開く。ドアの向こうはやはり、白一色だ。
他の人々は普通にその真っ白の空間に降り、消えていくが。俺だけがぽかん、と白い足立区を見つめていた。
…ふと社内を見回してみれば、同じようにぽかん、としている女性が一人いた。
黒髪にスーツの、おそらく営業周りの女性だ。
俺は彼女と目が合い、しばらく見つめ合い、そしてお互いの事情を察して、大声で笑い始めてしまった。
あんまりにそれはひどい光景であるのと同時に、あまりに馬鹿々々しい光景だったからだ。
俺たちはしばらく笑いあった後、まっしろな風景を見つめていた。
そして電車がアダチ区を通り過ぎれば、そこには青い空と屋根が並ぶ日本の風景が戻ってきたのだった。


それから一か月ほど、ニュースはそのあまりにも凄まじく馬鹿々々しいアダチ区消滅でもちきりだった。
アダチ区に住んでいた同性愛者はNPO法人に救出され、彼らが提供する仮住まいに住んでいるらしい。
この電波のせいで、意図しないカミングアウトを余儀なくされた人も多く、混乱は大きい。
この電波を規制する法律を整備するとテレビでは言っていたが、前例のない事件の上、同性愛者に対する意識が薄いこの国の政治家のことである。中々自体は進まないだろう。
俺もこのせいで実家にゲイであることがばれたが、どうやら間抜けなことに、両親はうすうす俺の性的志向に気づいていたらしい。しかも10年くらい前から。
今回の件で意を決して連絡した時も、軽く「やっぱりねぇ。」と言われ、実家に置いてある私物を今のマンションに送るかどうかの話で終わってしまった。
幸いにも、俺は実家に帰る以外にアダチ区に帰る予定はないし、地元の友人もほとんど区外で暮らしてるから合うのは大体新宿や渋谷だ。
故郷を失った割りには軽い被害で済んだ俺は、世間の混乱をよそにそれなりに平和な生活を送っていたのだが…。

「お兄ちゃんごめん、私もアダチ区が見えなくなった。」

ある日、生まれ故郷を失った妹が家に押しかけてきた。
妹はレズビアンでもバイでもない。恋愛対象は男性だ。
ただし、彼女は男性同士の恋愛に胸をときめかせる、いわゆる「腐女子」と言うものだった。
実家暮らしだったこいつは、朝目覚めたら周囲が真っ白になっていて絶叫したらしい。
その後、それに気づいた両親が彼女に触り、手のひらに文字を書くことで何とかコミニュケーションを取ることに成功。(認識できなくても、触ることは出来るらしい。)
何とか荷物をまとめて彼女をタクシーに乗せ、区外へ送り出すことに成功したらしい。
テレビでは政治家が、「同性愛を肯定する者は病んでおり、彼らが同性愛者を肯定することがアダチ区が滅びる要因となる」と声明を出したと速報が放送されていた。
これにより、同性同士の恋愛描写を好む異性愛者も、アダチ区を失うこととなったのだ。


それから一か月ほど、妹は俺のマンションの一室を自室とし、大学に再度通い始めた。
時折夜遅くまで起きているようだが、どうやら「同人誌」と言う、自作の漫画を本にして売っているらしい。
彼女曰く「絶対やめない。誰に何言われても絶対にやめない。あんな腹立つことされて、誰がやめるか!」とのことらしい。アグレッシブである。
ゲイの事情について根掘り葉掘り聞かれると思ったが、我が妹は非常に出来た妹らしく、実家にいた時と変わらない、兄と妹の適度な距離を保ったままだった。
タイミングが合えば一緒に飯を食い、家事を分担し、土日にお互い暇なら実家から送られてきたスマブラやマリオパーティを久々に対戦する。
生まれ故郷を失ったにしてはそれなりに前向きで平穏な兄妹の共同生活は続いた。

「ごめんねぇ、お父さんとお母さんもついにアダチ区見えなくなっちゃったのよぉ。」
「こんなこともあろうかと、家の売却について進めてたんだがなぁ…。」

そしてある日、ついに両親も自分達が長い間暮らした街を失った。
テレビでは政治家が「同性愛を許容する人間は再びアダチ区に同性愛者を生み出す存在である。」と声明を出したことと速報が流れていた。
ここまで広げたら混乱は相当なものだった。同性愛者に嫌悪感を抱いていない、もしくは嫌悪感を抱いていてもその存在は悪ではないと認識している人達までアダチ区から追い出されることとなったのだ。
今まで救助活動をしていたNPO法人もアダチ区が認識できなくなり、救助は難航した。何せ同性愛者を嫌悪し、憎む人にしかアダチ区は認識できないのだ。
ついには自衛隊による無人機による救出作戦が始まり、彼らは私物も持ち出せず着の身着のままでアダチ区からの退去を余儀なくされた。
特に若い世代の影響はすさまじかったらしく、かなりの人がアダチ区からの避難を余儀なくされたらしい。

それから一か月ほど、両親は俺のマンションのリビングで寝泊まりしていたが、その後ニシオギクボの駅から少し離れた場所にマンションを契約し、そこへと引っ越した。実家はまだ売れてはいないが、国からアダチ区を追い出された人々へ補助金が出ているそうだ。
妹は駅に近いから、とまだ俺の家にいる。「お兄ちゃんに恋人が出来たら出ていくから。」とのことだが、絶対俺に恋人が出来ないと舐め腐っている節がある。…実際、これだけ同性愛者を取り巻く環境が変わっても俺に恋人が出来るようなドラマは起こっていないのだが。
国庫がかなり圧迫されたのか、今回の件で国はついに鉄塔の強制撤去を試みようとした。が、何せその鉄塔を認識できる人間が限られすぎている。電波を打ち消す装置を開発するなど、何か色々試みてるらしい。
さらにいえば、今のアダチ区には同性愛者を嫌悪する人々が次々に集まっているらしい。彼らが強固に鉄塔の撤去に反対しているとかなんとか。
何とも嫌な話だが、俺からすればきっと、そのままでいいのだろうと思う。
同性愛者を憎む人はアダチ区にまとまっていてくれれば、こちらとしてのある意味過ごしやすい。アダチ区に近づかなけば、傷つくことが減るのだから。

日も暮れそうな夕方。ベランダでタバコを吸いつつ、アダチ区があった方向を眺めながら、俺はぼんやりとそんなことを思う。
そしてふと、あることに気が付いた。

「…でも、もうあの焼き鳥屋には行けないのかぁ。」

家の近くの焼き鳥屋。外食と言えばいつもそこで、ちょっと前まで実家に帰ればそこで夕食を食べるのが常だった。
その焼き鳥屋はもう俺には認識できない。家族のだれもそこにはいけない。そのことに、急に喪失感が湧いてきた。

「おにいちゃんー、ご飯出来たよー。」

センチメンタルに浸っていると、夕飯当番の妹から声がかかる。

「おー、今行く。」

タバコを消して、部屋の方へを振り返る。
故郷を失ったまま、俺たち家族の日常は続いていくのだろう。明日も、明後日も。

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