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風の谷のナウシカ

東宝シネマが「一生に一度は映画館でジブリを」キャンペーンを開催。4作品をリバイバル上映。その中で「風の谷のナウシカ」を観てきました。ナウシカは映画館で観たことがなかったので心躍る体験でした。コロナ禍の現在、ナウシカの世界が現実になってしまったというような話もどこかで聞きましたがナウシカとは何を描いているのでしょうか

風の谷のナウシカの物語とは

ストーリーの説明は省きますが、ブルーレイを買った時に観たのでそれ以来数年振りに観ましたが今までとは違って見えた所がありました。今までは自然と人間、ナウシカの博愛の物語という点にフォーカスして観ていたと思います。今回は改めて映画を観ながらこの人達は何をしているのかなとふと疑問に思いました。ストーリーだけを追えば辺境の風の谷で起きた小競り合いの話です。巨神兵が見つかったとかクシャナの野望とかある訳ですが、大局的なナウシカ世界の中では恐らく大した影響もない事件が描かれていると言っていいと思います。ペジテは滅びましたが。

この映画は何が重要なのか

この映画は自然と人間というテーマの裏に3人の姫様の物語がずっと語られているということに今回気づきました。分け隔てなく自由で博愛、ある種の理想像として登場するナウシカ。大国の姫として生まれた運命と不自由さ、不条理に抗うクシャナ、そして今まではなんとなく見過ごしてたもう1人の姫様ラステル。この3人の姫様の生き方の違いがナウシカという映画の裏テーマなのだと今回強く感じました。

3人の違い

ナウシカは人としての理想像だと思います。聡明で優しくて強く皆に慕われ、おまけにちゃんと幼少期のトラウマまで持っています。ナウシカには素直に憧れを抱く人も多いでしょう。クシャナは傍目から見れば大国のお姫様で何不自由の無い立場でしょう。しかしその心の中には現実世界への絶望と共にそれでもと抗う希望と野心を持っています。これははっきり現代に生きる人間を1番ストレートに体現しているキャラクターだと思います。ラステルがどんな人物かはっきり描かれないのですがペジテという技術立国に生まれ大国トルメキアや腐海に脅かされるお姫様。つまりナウシカやクシャナも制限はあるでしょうが持っていた自由すらラステルには無かったかもしれない。少なくとも虜囚として描かれるラステルには自由のない束縛が課されていると言えます。

現代を写す鏡として

ナウシカに憧れながらクシャナとして葛藤の中で生きることを強いられラステルの様に束縛の中で生きなければならない。映画公開時から30年近くが経過しても変わらない現代人の葛藤が3人の姫様に仮託された物語、それが「風の谷のナウシカ」だろうと思います。そこに宮崎駿の女性とは集団の統合の象徴であり希望であるという信仰が垣間見えるのが微笑ましいです。

我々はナウシカになれるのか

私は現代を考える上で重要な3つのテーマとして共有、循環、継続を考えています。奇しくも風の谷の生き方はそれを体現しています。現実的には多くの人がクシャナの様に誰が世界を支配するのかという視点から抜け出せずにいますが、それもクシャナなりの世界を救いたい気持ちの現れです。しかしそのせいでラステルを生み出してしまう。地球環境も待ったなしの状況ではあるでしょうが人の生き方という点でもナウシカの映画は大きな示唆を与えてくれていると思います。


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