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私は「後悔しない」を選んだ|1ヶ月書くチャレンジDay3


今回もいしかわゆきさんの『書く習慣』からお題をお借りします。本日は「今1番やりたいこと」について。


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今1番やりたいこと。

一体なんだろう?

きっと私には、「やりたいこと」がいっぱいあるのだと思います。

一日中本を読み漁りたい。あれやこれや、読みたい本が溜まっているし。
一日中ゲームをしたい。あれやこれや、やってみたかったゲームをしたい。
体力があれば一度、登山をしてみたい。山頂にたどり着いた時、きっと気持ちが良いんだろうな。
体力があれば一度、マラソン大会にも出てみたい。
もう一度大学へ行きたい。あの頃とはちょっと違う分野の勉強をしたい。
海へ行きたい。ただただひたすら、無心に泳ぎたい。
海外へ旅行に行きたい。特にオーストラリア。ペンギン島に行きたい。

今ほんの少しの時間考えてみただけで、ざっとこれだけの「やりたいこと」が見つかりました。

けれど改めて考えてみると、「今1番やりたいこと」はわかりません。

一日中本を読みたいと思っても、「時間がないのに?」という誰かの声がどこからか聞こえてくるような気がする。一日中ゲームをしたいと思っても「時間がないのに?」と、登山をしたいと思っても「体力がないのに?」と、マラソン大会に出たいと思っても「らしくないね」と、大学に行きたいと思っても、「お金はないのに?」と、海へ行きたいと思っても「水着なんか着られるの?」と、海外へ旅行に行きたいと思っても「お金も余裕もないのに?」と、誰かの声がどこからか聞こえてくるような気がします。

きっと、「誰かの声」とは、自分自身の声なのだろうと思います。過去にそれらの言葉を投げかけられてきたのは事実だけれど、それを理由にして、「やらない」ことを選択したのはまぎれもない自分なのですよね。

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幼い頃は本音が言えない子どもでした。とにかく、否定をされるのが怖くてたまらなくって。親の顔色を伺って、「求められているであろう」自分を作って日々を過ごしていました。

成人する前、珍しく、自分で選択したことがあります。大学に行くと決めたことです。

入学前の親は「行かなくても良いのでは」というスタンスで、当然ながら学費も自分で支払っていくことになりました。けれどどうしても行きたくて、自分のできる範囲で努力をして地元の大学に入学することに。

結局、無理をした結果、身体を壊してしまい入院が続き、3年次での中退を余儀なくされました。27歳になった今でも借りていた奨学金を支払い続けています。しかし、全く後悔はしていないし、今でもむしろ「良い経験をした」という感情でいっぱいです。

きっと周りは、私が失敗をしないようにと「アドバイス」をしてくれているのだと思います。中には悪意を持って言っている人もいるとは思うけれど、きっと多くの「アドバイス」は善意からくるものなのでしょう。

しかしそのうえで、私は自分で選択をしたい、と、そう思いました。

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私は強い人間ではないので、「○○だから」と言い訳をして動かないのはまあそれで良いのかな、と思っている節があります。

それを人のせいにしなければ。

世の中にはどうしようもない悪も存在するので、どうしても人のせいにせざるを得ない状況っていうのは存在するものだと思います。私だって、人のせいにすることはあるし、今でも恨めしくて堪らない人間だっています。

しかしそのうえでできる限り、私は自分の選択を人のせいにせずに生きていきたい。自分で選択をした方が、ずっと後悔は少ないと思うからです。

さまざまな「○○だから」が邪魔をして、自分の今1番やりたいことすらわからない。けれども私には、やりたいことがたくさんある。あれもしたい、これもしたい、という気持ちだけはたくさんある。

結局のところ、私が今1番やりたいのは「今1番やりたいことを探し出す」ことなのかもしれません。

やりたいこと一覧の中から「死ぬまでにやらなければ後悔するだろう」ことを選別して、優先順位をつけて、限られた時間・金銭・体力から選び抜く。「○○だから」が邪魔をしてやりたいことができないのであれば、結局のところは自分にとってそれまでのことだったのだから。

ちっとばかしややこしいけれど、自分の人生について考える、それが私の今1番やりたいことなのかも。

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