難病になったと思ったら、後から更にやばい難病だと分かった話

自分が難病発症した話を色々雑に書き出しました。
それなりに長くなるのと、病状についての話でちょっと汚い話も出るのでご注意下さい。

22〜23歳くらいの時に難病を発症した。
北海道から上京して、わずか半年ほどのことだった。

最初は夏頃。
お腹の不調が続いてるな、くらいの認識だった。
元々中学生くらいから過敏性腸症候群の診断が出てたので、環境の変化や暑さなどの影響もあってその症状が出てるのかなと思っていたので、市販の下痢止めや腹痛の薬を飲みながら仕事して普通に過ごしていた。

けれど、1週間経っても、2週間経っても、1ヶ月経っても、2ヶ月経っても、ちっとも改善しない。

それどころか徐々に酷くなって、歩く振動だけでも腹痛が酷くなって普通のペースで歩くのが辛くなって、横になろうとすればお腹どころか背中まで痛いような、そんな状態になった。

お腹を下す回数も1日に10回以上になって、下痢どころかお尻から血が大量に出て(下血という症状らしい)、便器が真っ赤になるくらいだった。

実は下痢や下血が続くという症状には、物凄く嫌な心当たりがあった。
実父が潰瘍性大腸炎の激症(重症の更に上)の患者だったので、小さい頃からよく知っているものだったからだ。
なのでこの時は「まさか父と同じ病気なのでは」と物凄く怖かった。

流石にまずいと思い近所の病院に行くと、「ここの病院に行ってくれ」と近くの大学病院への紹介状を貰った。
その病院の医師がその場で大学病院に電話をして予約も入れてくれたので、その日程に合わせて大学病院へ向かうと、すぐにでも検査入院するように言われた。

入院中は腹部のレントゲンやCT、大腸の内視鏡、胃カメラ、カプセル内視鏡、小腸の造影検査などを受けた。
検査だらけだったので、毎日とにかく腸管洗浄剤(という名の下剤)を飲み続けていた記憶がある。
大腸の内視鏡の際には腸壁の細胞を採取され、その細胞の病変を診る病理検査というものも行われた。

細胞の病変の仕方や症状から、その大学病院で出された診断は予想していた通り潰瘍性大腸炎とのことで、難病患者のための特定医療疾患医療費助成制度というものに申請するために必要な書類や、今後の食事の参考になるレシピ集などをその場で貰った。

病気のことで仕事を続けられる状態でもなくなったため、仕事を辞めてしばらく療養することになった。

ただ、特定医療疾患の制度は患者数の多い病気だと通りにくいのか、申請したものを保留とされ、薬だけでも毎月諭吉が飛ぶ状況だった。
内視鏡検査は数ヶ月に一度だったので検査費用は普段はそこまでかからなかったが、薬がとにかく高かった。

次第に懐的にも厳しくなり、療養のために一時的に生活保護を受けたりもした。

その後2〜3年はそのまま潰瘍性大腸炎患者として過ごした。
薬はペンタサをメインに、整腸剤や下痢止めを使うような状態だった。
そんな中でずっと、よく熱を出したり関節痛や胸の痛みなど、よくわからない症状にも悩まされていた。

効果があるかもと言われ、他人の健康な腸内細菌を移植するという治験も受けたりしたが、あまり効果はなかった。

元彼と別れたり色々あった後に故郷である北海道に戻ってきて、姉から「この病院に潰瘍性大腸炎の詳しい医師がいるみたいだよ」と話を聞いたのもあり、とある大学病院に通ってみることにした。

初回の通院では、内視鏡検査の予約と、その詳しい医師の診察の予約をしようということになり、それまで使っていたのと同じ薬を一時的に処方された。

そして2度目の通院。
検査のために前夜から下剤を服用し、朝から腸管洗浄剤2Lをひたすら飲んではトイレに通い、げっそりした状態で内視鏡検査を受けると、まず検査技師に「これは潰瘍性大腸炎にしては何かがおかしい」と言われた。
医師の診察でも同様のことを言われ、血液検査の炎症の数値と腸の炎症の具合が見合っていないということも指摘を受けた。
そして、医師からある提案をされた。

それは「実は遺伝子由来の家族性地中海熱という病気で、消化器に炎症を起こすことがある。潰瘍性大腸炎の方向けに遺伝子検査の治験をやっているから、受けてみないか」というものだった。

予想だにしなかった話で混乱しながらも、ひとまず了承し、その場ですぐに遺伝子検査のための採血をして、先にその病気の薬も試そうとコルヒチンという薬を処方された。

治験のため、何人分か揃ってからまとめて検査機関に送るとかで、検査結果が出るまで2ヶ月か3ヶ月くらいかかると言われていたので、その間はその薬を飲んで過ごしたが、症状は落ち着かなかった。

その後、3ヶ月ほど経ってようやく検査結果が出た。
結果は遺伝子配列の異常あり…すなわち潰瘍性大腸炎ではなく家族性地中海熱という、全く別の病気だったと判明してしまった。
潰瘍性大腸炎ならまだ治る可能性があった。
けれど、遺伝子が原因のものは治しようがない。
自分にとっては最悪の結果だった。

その病気は遺伝子配列の異常が原因で免疫細胞が暴走し、炎症をあちこちで引き起こして自分の体を傷付けてしまうというものだった。
自己炎症性疾患というものに分類されるらしい。

症状は発熱、関節痛、結膜炎、胸膜炎による胸背部の痛み、腹膜炎による腹痛、それに加えて潰瘍性大腸炎相当の症状など多岐に渡り、細胞を採取してもその細胞は潰瘍性大腸炎と同じ変化を見せるため、中々見つけにくい病気だという。
おまけに女性の場合は月経も悪化要因のひとつになる。
そして無治療状態や悪化の度合いによっては、最悪の場合はアミロイドーシスを引き起こす可能性もあるらしい。つまり下手すると命にも関わるということになる。
※アミロイドーシスとは、炎症に伴い体内で増加する繊維状タンパク質が臓器に付着して硬化し、臓器不全を引き起こすもの

そんな病気なので、正直、受け入れられるまで時間がかかった。
生理で悪化するとか無理ゲーでは?と思ったりもした。
下手したら命に関わるってことを考えると、怖くてたまらなかった。
怖くてどうにもならなくて、1人で何度も泣いた。

その後はしばらく、コルヒチンという錠剤をメインに整腸剤などを使用する治療方針が続いていた。
けれど体調が悪くなりすぎてどうにもならず、定期通院の予約以外の日に受診すると、とんでもなく炎症反応の数値が上がってしまっていた。

本来ならコルヒチンがメインの治療薬なのだが、稀にその薬が効かない「コルヒチン不耐」という体質の人がいるらしく、私はまさにそれだったらしい。

そしてそのメインの治療薬が使えない・使っても効果がないという時点で、重症患者の仲間入りになった。

その時はまだ特定医療疾患の申請中だったため他の薬を使うには負担が大き過ぎるとのことで、一時的にステロイドを処方されることになり、そこからしばらくはステロイドを服用した。

そして特定医療疾患の申請が通ったタイミングで、注射薬を試すことになった。
イラリスという、1瓶(物凄く小さい)で150万円するとんでもない金額の薬だった。
ペンタサでも高いと思っていたので、最初明細を見た時は目玉が飛び出るかと思った。

けれどそんな薬でも1瓶では症状が抑えられず、すぐに2瓶に増やすことになった。

途中、インフリキシマブというクローン病向けの点滴薬を使ってみたり、リウマチ向けの治療薬を試してみたものの、結局はイラリスに落ち着いた。
痛み止めもロキソニンからボルタレンになり、それでも抑えきれずついには医療用麻薬入りの鎮痛剤になり、それ単体では効果が弱かったためにロキソニンと併用という形になった。

それでも何度も入退院を繰り返し、痛みでまともに動けずのたうち回るような、そんな日々が続いた。
いつ動けなくなるかわからないため、転倒防止として杖を使うようにもなった。

現在は毎月のイラリス2瓶の投与に加え、ジセレカという免疫抑制剤を日々服用し、その他に整腸剤数種類と症状に合わせて頓服として痛み止め2種、下痢止め、吐き気止め、咳止めなどを使用することで、どうにか日常生活を取り戻している。

最初は些細な不調だったので、まさかこんな病気になるとは思ってもみなかった。
こんな病気があるとも知らなかった。
あと、当時は生活が安定したら入ろうと生命保険を後回しにしていたので、その辺りとっとと入っておけば良かったなと後悔もした。

こんな長文になってしまって申し訳ないが、最後に一言。

異変を感じたらみんな早く病院行こう。

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