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エッセイ:最近のホラーについてつらつらと
何故、幽霊物理的に強いのか?もはや幽霊である必要無くないか?
あと、最近のホラーと言われてるもの。単なるスプラッタでは??
そんなことをつらつら考えながら、色々見てきた。
“恐怖”というものは、私が思うより実際シンプルなものなのかもしれない。本能的な忌避感=恐怖と思うなら、画角外から飛び出してくるものや、グロテクスなものに対して恐れを抱くのは至極真っ当だろう。
だが、かつてのジャパニーズホラーといえば、びっくり系やスプラッタよりも、もっとじめじめとした不穏さを持っていたはず。四谷怪談なんか、今でも怖いと思う。私なんかは。
後は、小野不由美氏の「残穢」は中々にその系譜を汲んでいると思う。具体的な恐怖の対象すら曖昧なあの感じ、好きだ。読んだ後、久しぶりにトイレに行くのが怖くなったのを覚えている。
まぁ結局何が言いたいかって?
最近のホラー、怖くない。
“怖い”ではなく、“びっくりした”か“不快”が大半なのだ。これはいかん。ホラーと書いてあるのに、怖くないのでは一大事だと私は思う。
もちろん、この世の全てのホラー作品を網羅してるわけではないので、「これは怖いぞ!」という作品は是非教えていただきたい。
そう乞うほどには、最近満足出来ていない。
もういっそホラー作品から遠ざかってしまおうかなどと思うこともある。その度、映画やらの宣伝文句に釣られて観てしまう。そして、怖くないのだ。
その度、「金返せ!」と心中叫ぶというせこさを発揮しているのである。改めてせこいぞ、自分よ。
一時、ホラーとは何ぞやなどと真面目に考えたりもした。”horror“の意味は、そのまま”恐怖“や”戦慄“。またはそういったものを扱った作品ジャンル、と出てくる。
私が知りたいこととはちょっとズレる感が否めない。いや、語義は非常に重要だけれども、「ホラーとは何ぞや」という問いの答えには多分ならない。
そういう場合は、大抵問い方が悪いという可能性がある。誤った問いには誤った回答しか出てこない。
しかし、では何と問うべきか?
「人は何に恐怖するのか?」と問うと、先に挙げた様な本能に基づくモノ、で解決してしまう様にも思えてしまう。
「恐怖する人とは何ぞや?」となると、これはまた別の深い問題の入り口を開けてしまいそうで怖い問いだ。一旦保留しよう。
そうして堂々巡って、結局「ホラーとは、恐怖とは何ぞや」に帰ってきてしまう。貧弱な脳ではこれが限界だった。
私はそこまで考え、真面目に考えるのをやめた。
ホラーって、結局何なんだろうか?
謎が解けぬまま、今日も“ホラー”と銘打たれた作品を見ている。