Day564 「まわりの人々を評価者にしない!」
子どもは自分を見て喜ぶ親の顔から「愛されている」という手ごたえを得ます。
最初は、食べたり、歩いたり、しゃべったりするだけで親は嬉しそうな表情を浮かべてくれます。
けれども、歳をとるに従って、学校や塾や習いごとでどんな成績を残したか、ゲームばかりせずに勉強をしたか、生活のマナーやルールを守ったかなど、そのハードルはどんどん高くなっていきます。
いつしか私たちの中には、
「いい点を取る私はいい子で、低い点を取る私はわるい子」
という恐れや不安の種ができあがります。
結果がよくなければ親は喜んでくれません。それはすなわち、
「私はこの人たちに愛されていない!」
という、もっとも避けたい状況に置かれたことを意味します。
不思議なことに、私たちは大人になっても、この仕組みを心の中にもち続けています。なぜならば、
「バラバラ意識で生きている自分の中から、愛されたいという願望が消えることはない!」
からです。
他の人と「ひとつ」であるとき、私たちは「愛そのもの」でいられます。自分自身が愛なら、それを誰かからもらう必要はありません。
自他が完全に分離していると感じるとき、私たちは自分が何であったかを忘れ、
「愛は外から供給してもらうもの」
と信じてしまうのです。
このような流れを経て、私たちはいま、会社や家庭、友人の集まりなど、どんなコミュニティーでも、まわりの人々を「評価者」に見立てて暮らしています。
「相手が喜べば愛されていて、相手が嫌な顔をすれば嫌われている」
基本の仕組みは幼いころから何も変わっていません。
ここから先は
いまをしあわせにする週3ワーク「今日のグッドバイブス」
平日の月水金に、一日を安心して自由に、ありのままの自分で過ごすための提案を贈ります! 将来のことが不安で何も手につかないとき、怒りやムカつ…
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?