シェア
「平安でいる」と「安心する」は似ているように見えて、じつはまったく異なる状態を表していま…
人生の岐路に立って行くべきか、それとも退くべきかを迷っているとき、誰かに背中を押してもら…
緑の本の最終章に「赦す」話を入れたのには訳があります。 当時、私はこの課題にトライはして…
昨日は、社会や他の人は置いておいて、あなたという個人の生活に限って「罪と罰」が本当に必要…
この連載でも繰り返し書いてきたように、私は人の本性は「愛」に違いないと考えています。 た…
今日は、あなたが自分の名を冠した独立国の指導者になった様子をイメージしてください。 肩書…
自然界を見渡せばわかるように、この宇宙にはもともと「罪」と「罰」は存在していませんでした。 どちらも、自分や他の人の行動を望ましい方向にコントロールしたいという欲求によって作り出された人工の仕組みです。 つまり、罪も罰も現実ではなく、私たちが作り出す心象に過ぎないということです。 その証拠に、自分や他の人に「罪」のラベルを付けた瞬間、かならず現実よりも「嫌な姿」に見え始めます。 同時に、何が問題で、解決するためには何をすべきかなどの本質を見失い、ひたすら「罰」を与える
昨日の「私と他の人々とこの世界の価値は、等しく最大である!」を実践すると、かならず、 「…
じつは5月30日の【Day302】から、本来の自分の強さを実感するワークを続けています。 これま…
【Day289】「いま、私はどちらを自分に与えているか?」から、3話にわたって「偽りの自分」を…
私たちはずいぶんと長いあいだ、罪悪感を自分の原動力にして生きてきました。 「まさか!」と…
【Day235】から見てきた話を騒動員すれば、軽いイラつきを覚える程度の相手は無理なく赦せると…
【Day235】から、12日間にわたってトライしてきた「赦す」メソッドもそろそろ仕上げの段階に入…
昨日に書いた「自分の罪悪感を他の人に投じる」のもっともわかりやすい例は、SNSの炎上とワイドショーの悪人叩きです。 多くの人がこの2つにあれほど熱狂するのは、ターゲットを攻撃しているあいだは、自分から罪が消えたように感じられるからです。 もちろん、同じようなことは、もっと小規模な職場やコミュニティーや家庭でも頻繁に行われます。 数人の飲み会で、そこにいないひとりを槍玉に挙げて陰口を言うのも、これを目的にしていると思って間違いありません。 今日は、誰もが何気なくやってし