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うらやまし花や蝶やと言ふめれど烏毛虫くさきよをも見るかな

堤中納言物語の『虫愛づる姫君』は「二の巻にあるべし」という、不思議な終わり方をする。

作者の粋な意向なのか、本当に次巻が存在するのかは分からない。この『虫愛づる姫君』のその後のストーリーの展開について考えてみる。

続編を匂わす終わり方が作者による読者の想像力を働かせるための粋な計らいだとするならば、この物語の「その後」を考えることは意義のあることだと思う。

物語の最後に右馬佐が詠む

「烏毛虫にまざるるまつの毛の末にあたるばかりの人はなきかな」

という歌は稀有な姫君に魅力を見出し惹かれていることを示す歌であるようにも取れるが、「笑ひて帰りぬめり」と続くところを見ると風変わりな姫君にあきれて背中を向けていく様子を描いているようにも取れる。

この歌の示すところによって物語のその後は大きく変わるだろう。

まず、最初に考えられる展開は、毛虫が好きな姫君に右馬佐が惹かれこのままアプローチを続けていく展開である。

右馬佐が最後に詠んだ歌は、いい年頃になっても剃られていない姫君の眉を姫君の好きな毛虫にたとえ、「あなた以上に素敵な人はいません」というメッセージを含んでいるように取れる。

それ以前にも、毛虫を見に庭へ下りてきた姫君をこっそり見ていた右馬佐は、姫君の姿を、「たけだちよきほどに、髪も袿ばかりにて、いと多かり。~ととのほりて、なかなかうつくしげなり。」などと、表現している。

他のそんなに美しくない女性でも世間並に身だしなみを整え、きちんとした態度でいれば申し分なく思われるのに、眉もそのままでお歯黒もしていない姫君を気品があって気のおかれると言っているところを見ると、右馬佐は姫君の毛虫好きという性質を残念がりながらも容姿の美しさや気品を評価しているように思える。

このまま、右馬佐がアプローチを続けていくうちに、姫君の毛虫好きを受け入れることができれば右馬佐と姫君が結婚することもあるのではないか。

次に考えられる展開は、毛虫好きな姫君の性質に右馬佐があきれ、姫君をからかっただけで終わる展開だ。

最後の右馬佐の歌は、姫君の容姿や性質にあきれ眉を毛虫のようだとあざけって嫌味を言うようにも取れる。

その歌を詠んだあと笑って帰っていったところを見ると、姫君に愛想を尽かしてしまったようでもある。

当時は、世間体が非常に重要だった時代である。毛虫好きな姫君と結婚したとなれば、右馬佐の評判が落ちるのは当然だ。そうであれば、姫君に近づきアプローチをすること自体、右馬佐にとってリスクを伴う行為になっていくはず。

そう考えると、右馬佐が冷静であれば姫君から離れていくのではないか。


この二つが私の物語のその後をめぐる推測だ。最後の右馬佐の言動に注目し、この考察に至った。

姫君が右馬佐とこのあとどうなるかはわからない。

しかし、毛虫はやがて美しい蝶となる。

この物語がその暗示であるならば、姫君はこの後、周囲と関わらず頑なになるさなぎの時期もくるだろうが蝶のように美しく変身し、右馬佐との結婚でないかもれないが、姫君の思う幸せを手にする時がくるのではないか。

しかし、毛虫は蛾に変身を遂げるかもしれない。このまま、周囲や社会を受け入れられず、だんだんと本来持っていた美しさや気品を手放していってしまうことも考えられる。

繕わずとも存在する美しさや着飾っているほかの女性以上の気品を考えれば、姫君はこれから蝶へと成長していくだろう。

しかし、博識であり頭の回転の速さがあり父や周囲を説き伏せるほどの強情さがあるとなると蛾へと成長することも十分に考えられる。

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