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Talk.02 自分で自分の働き方をつくる【暮らすroom's交流会】

こんにちは!暮らすroom'sです。
2023年3月4日に松本市にて行われた暮らすroom's交流会のトーク2「自分で自分の働き方をつくる」の様子をお届けします。

●登壇者
ファシリテーター:渡邉さやか氏(長野県立大学大学院)
スピーカー:上野眞奈美氏(ソチ五輪オリンピアン)、ゴレイコ氏(ブランドデザイナー/ソトイク代表)、北山乃理子氏(ワタシゴトLab代表)、成澤由美子(暮らすroom’s)

家族観やキャリア観が大きく変動してきた40年間

渡邉:トーク2のスピーカーの皆さまは、30〜40代です。先程のセッションで秋葉さんが出してくださった年表でみると、日本では男女雇用機会均等法が1985年に制定され、1986年施行されました。その前後に生まれた世代のみなさんです。現在、結婚しない割合は、結婚する割合とほぼ同等かそれ以上に増えてきています。子供は1人が当たり前になってきました。この40年間は、家族観やキャリア観が、すごく変わってきた。女性の働き方や家族観が変わっていくなかで生まれ育ってきた世代が、どんな風に自分で自分の働き方をつくってきているのか、お話を伺っていきたいと思います。


秋葉先生が作成された年表

上野:2014年のソチオリンピックにフリースタイルスキー・ハーフパイプ競技で日本代表として出場させていただいたのが、自分の一番のキャリアです。私は、神奈川県横浜市出身、1984年生まれです。オリンピックのあった2014年は、女性の活躍を国を上げて推す元年のような雰囲気がありました。私は、そのような社会情勢のなかでママオリンピアンとして出場したので、「ママで、主人がコーチ。家族一丸となってオリンピックを目指す」というのがものすごくドラマチックになりました。メディアのみなさんがめちゃくちゃ食いついて、取材をたくさんいただいたおかげで、フリースタイルスキーの周知に貢献できたかなと思います。

現在は、長野県野沢温泉村でスキーと自転車、外遊びを専門にしたアウトドアアクティビティの会社を主人と経営しています。個人では、ヨガやピラティスなど、カラダのボディワークを中心に活動をしています。ほかに、長野県のスポーツ推進委員や長野県スポーツ協会理事も務めさせていただき、アスリートのキャリアを終えた後に、みなさんにどう還元していけるかなと考えながら、自分でできる仕事を繋いでいるところです。

左から、上野眞奈美氏、ゴレイコ氏

:私は、大阪生まれ大阪育ちで、2年前に家族で長野県へ移住してきました。仕事は、デザイン分野でブランディングをしています。企業や商品のコンセプトを作るところから、デザインまでを一貫してやっています。最近では、移住を機に主人と会社を一緒にやることとなり、映像とデザインに特化し、みなさんとコミュニケーションを取れるような作品を作ったりしています。
ほかに、「ソトイク・プロジェクト」という市民活動団体を塩尻市を起点にやっています。今日もメンバーとブースを出させていただいています。「まちを育児の環境そのものとして考え、みんなで育児をしていこう」というテーマで活動しています。

北山:今流行りのパラレルキャリアを実践していて、2つの肩書きを持っています。1つは会社員で、都内のコンサルティングファームでコンサルティングをしています。大企業様向けに、人事組織の制度設計や人材育成計画を立てるなど、人材戦略のお手伝いをしています。まさに、トーク1であった、男性中心に培ってきた日本の企業の制度を我々の視点から変えていきたい想いで働かせていただいております。

もう1つは、キャリアコンサルタントとして、個人の方のやりたいことを探すお手伝いをしたり、仕事でのモヤモヤや働きづらさについてのキャリア講座もさせていただいております。
自分自身が、働きやすい自分らしく働ける社会を見てみたいと思っています。大企業で務めているから、コンサルタントだから、仕事として価値を作らなければいけない、といったような「こうあるべき論」を強くお持ちの方が多いですが、そういうものをパリーンと剥がして自分らしく働ける、そんな環境を作っていきたいと思っています。生活もパラレルで、東京と長野の二拠点生活をしていて、どちらも最高に楽しいです。東京でワクワクしながら仕事して、長野にきて北アルプスの山に癒されて。自分自身が会社員をやりながら「こんなに楽しく働けるんだよ」というところを伝えていきたいなと思っているので、まさに今、自分で自分の働き方を作っている途中です。


左から、北山乃理子氏(ワタシゴトLab代表)、成澤由美子(暮らすroom’s)

成澤:東京生まれで、高校卒業してすぐに18歳で大手エステティックサロンに就職しました。当時はバブルがはじけたところで、経済にも余裕がありエステティック業界も潤っていました。「24時間戦えますか」が流行った時代。朝から終電まで働いていました。美容業界が盛り上がるにつれ、私もキャリアが上がっていって、当時24歳でもらえないような給与をもらって働いていました。1ヶ月の労働時間は300時間越えていましたが、当時は当たり前。でも、自分で気付かないうちに心とカラダを病み、パニック障害になりました。

どうしても仕事ができなくなり、数年後に長野県に移住しました。とても自然が良いなかで(症状が)だいぶ良くなったので、また美容業界にチャレンジして10年ほどキャリアを積みました。ある程度地位を重ねると、今度は出産や育児があり、また自分がパニック障害を発症してしまうのではないかと思い、40歳で起業しました。今、自分がやりたい美容と健康の道は進めているかなと思います。

男女格差や地域格差の実感は?

渡邊:みなさん、様々なバックグラウンドをお持ちですね。私の紹介も少しだけさせていただくと、長野県七二会という田舎の出身で、大学から上京し、約20年ぶりに夫と子供をつれて長野県に戻ってきました。現在、長野県立大学で講師をしながら、自分の株式会社と非営利法人の代表をしています。皆さんの自己紹介をお聞きして気づきましたが、私だけ長野県出身ですね。長野県は、すごい男女格差があると思っています。女性管理職は、全国最下位レベル。スピーカーの皆さんには、女性が働く上での長野県における働きにくさ、あるいは意外と働きやすいよというところがあれば教えてください。

上野:大学を卒業してすぐにプロに転向したのですが、カラダひとつあれば、自分の活躍する場所を選べる人生を選びました。逆をいえば、自分が活躍したければ自分で前に進むしかないので、場所はどこでもいいといえばどこでもよくて。今いる野沢温泉は、スキー文化が根付いている場所です。日本で一番古いスキー倶楽部が野沢温泉スキー倶楽部で100周年を迎えます。私は、野沢温泉で16人目のオリンピアンとして村にお世話になっているので、やりづらさはなく、やりやすいです。色々な方々に助けてもらい恵まれているので、自分らしいキャリアを表現することが、地域への恩返しになると思っています。そして、一つのロールモデルになって発展していければと思っています。長野県の働きにくさを感じ取りながら、それをアスリートとしてどう打開していくかにもシフトチェンジしながら向き合っていきたいです。

渡邊さやか氏

渡邊:地域でロールモデルを作っている人がいるとすごく影響がありますよね。周りの女性が変わってきている、声をあげやすくなっているのを感じたりしますか?

上野:自分のアクションで誰かのアクションに影響を与えたいと思うものの、それがしたくて自分がアクションをしているのわけではなく、自分がやりたいからやる。結果、女性やママ、やりたいことがある奥様の旦那さんである男の人に影響を与えられたら、幸せだなとは思います。
みなさん、一人ひとりがロールモデル。誰か一人がアクションを起こせば、それがガイドラインになって安心する部分があると思います。

渡邊:ゴレイコさんいかがですか?

:私が住んでいる塩尻市や松本市エリアは、移住者も多いのか、違和感はそんなに感じていません。私は、「ゴレイコ」が本名なのですが、結婚してからも仕事で使っています。使い続けることで、女性男性の枠を超えてフラットにしているのかな、ひとりの人間として見てもらえてるところに作用しているのかなとは思っています。とはいえ、自分が仕事をするなかで、男性が多いのは確かです。そのなかでは、逆に「女性が活躍したり活躍できる場を増やすために、その元となる声がほしい」であったり、デザインであれば「女性らしいエッセンスがほしい」と、いうことがあり、(女性ならではの意見を求められることで)働きやすさにもつながっています。


渡邊:(ビジネスなどにおいて)女性の視点がほしいというのはあるなあと思いますし、意識している人が少しずつ増えているのかなとも思いますね。ソトイク・プロジェクトの活動もされていますが、地域のなかで子供を一緒に育てるというのは、本当は昔からありましたよね。地域の人たちへの活動の広めやすさや価値観をすり合わせていく難しさはありますか?

:まだ模索中ですね。個人的には本当は人見知り。まちで育てる上で、自分自身がまちを本当に頼りきれているかといえば、そうでもない。だからこそ仕組みを作るとかで、頼りやすさを意識していけたらいいなと思っています。いかに育児に関心がない人たちを振り向かせるかも大きなテーマでやっているのですが、長野県だけではなく、全国的なテーマに通ずると思います。

渡邊:私も東京に20年間住んだ後に、仙台市に2年間ほど住んで今ここにいるのですが、家事も子育てもアウトソースするって、比較的に都心の方が気が楽なんですね。長野県だとサービスも少ないですし、(アウトソースしづらい雰囲気もある)もう少しハードル低く、まちの人たちと共有していけるようになればいいと思う。先輩ママに「遠くの家族より近くの友人」とアドバイス頂いたことがありますが、本当に近くの友達が頼りになったりもしました。お互いさまになってくるといいなと思います。

北山:コンサルティングファームでは、管理職として働いています。そのなかで、女性だからと、あまりネガティブだと感じたことはないです。このタイミングで女性であることを全面に押し出して活躍すれば、結構目立つなとボジティブな思いで働かせていただいています。クライアントミーティングのなかでも、男性がずらっと並んでいて、発言するのですが、女性だから意見が通らないことはなくて、私の意見はこうだと押し通していくと意外と周りは聞いてくれます。

長野ではどうかというと、塩尻市の企業でみなさんが働きやすくなる支援を週1回ミーティングさせていただいています。出産を経てキャリアをリタイアして、そこからもう一回働き直したい女性の方が多く働いている団体です。何一つ社会人としてのスキルが足りないとか素養が足りないとかは感じない。でも彼女たちは、「私は1回キャリアを中断したから」とか「子育てをしたから」とか、自信のなさを感じます。スキルのなさよりも、ご本人たちの自信のなさを感じます。

ただ、みなさんとお話していくなかで、すごくはっきりと「私はこうしたい」といってもらえるようなタイミングが出てきたりします。そうなった時に、「自信がないって思っていらっしゃっるかもしれないけど、今すごくいいこと言っていますよ」とか「コミュニケーションが上手いですよ」とか、そういったフィードバックをするだけで、みなさんの働き方とか考え方がガラッと変わる。長野県は、女性の管理職が少ない実態はあるかもしれないけど、みなさん自信を持ってください。できます。自分がキャリアをリタイアしたなと思わないでください。それは、ひとつの糧となりスキルとなり残っています。私は外から来たからこそわかるし、伝えられる立場なんだなと思うので、口に出してみなさんにお伝えしたいなと思って活動しています。

自信を持ち、こうあるべき論を脱ぎ捨てていく


渡邊:自分に自信がないというところは、日本全国をみても男性に比べて女性の自己肯定感は低い。グローバルでみても、男性より女性の方が自己肯定感が低いんです。一方で、女性にとって自己肯定感は起業や自律的にキャリアをつくる時に、影響があるという研究もあります。男性は自己肯定感より他のファクターが強いんです。自分自身に自信を持った上で、「これが自分のやりたいことだ」ってどうやったら気づけるんでしょうか?

北山:私自身は、「キャリアコンサルタントです」って話してますが、ずっとやりたいことが見つからなかった。「私は何でこんなに会社であくせく働いているんだろう」と、つい最近までずっと思いながら生きてきました。お二人みたいに、「オリンピアンです」、「デザイナーです」と言われると、「もう素晴らしい!やりたいことがあって羨ましい!」っていう気持ちでした。「会社員だからこうあらなければいけない」、「他の人よりも1秒でも早く昇格したい」、「男性の社会でのなかで少しでも目立ってやろう」とかをちょっとずつ剥がしていって、自分は何に嬉しかったのか悲しかったのか、何に憤慨したのかとか、自分の心の動きに焦点を当てて考えていくと、「私のやりたいことってもしかしたらこうなのかな」と、社会人として会社員としてこうあるべきを一回脱ぎ捨てて考えてみたら気づけました。

渡邊:どうやったら、「こうあるべき」が脱げましたか?

北山:自分じゃ気づけないんですよ。こうあるべきを背負って一生懸命やっている時って、気づけない。第三者と話したり、冷静になって書き出してみたりして、気づき始めて。まずは気づけることに焦点を当てたら、こうあるべきが外せるようになりました。

渡邊:ゴレイコさんは、なぜブランドデザイナーとして、仕事をしようと思ったか教えてください。
     
:元々は映画がすごく好きで、映画監督になりたかったんですね。最初のキャリアで、CMの制作会社にいる時も、ずっと映画監督になりたいと思っていました。自分がなぜ映画監督になりたいのかを考えた時に、映画って総合芸術っていわれるんですが、衣装さんやライティング、カメラマンっていうのがあって、監督はすべてを俯瞰で見てひとつの絵を作ることに対して、一つひとつを重ねていくところが、私は好きなんだなと気づいた時がありました。映画監督にはなれないって、自分でわかったりもしたので、一旦外してみて、自分が今できることを考えた時に、ブランディングなんだとわかった。独学でここまできたんですが、一つひとつ自分なりに色々な仕事を経て、勉強して、企業や商品のブランドを作る監督として仕事をするに至りました。

渡邊:さっき自己肯定感の話もあり、女性だから意見を求められる場面もあり、自分らしさに気づいていく、あるいはこうあるべきを脱ぎ捨てていくフェーズはありましたか?

:自信と自信のなさは隣り合わせ。自信がない時もあるけど、それを信じてあげられるのも自分でしかない。どの仕事でもどの時点でもいったりきたりしている。自信がなくなった時には、「でも自分じゃないとだめだ」と思い込んで、積み上げてきた感覚があります。

渡邊:オリンピアンになることが目標のスポーツ選手も多いと思いますが、上野さんはそこから活動を続けておられる。なぜこの競技をやろうと決めたのか、そして引退してから、なぜまたオリンピックに出ようと思ったのかのお気持ちをお聞かせください。


上野:オリンピックは、アスリートであれば目指すべき舞台。目指してよかったと思う経験をさせてもらった舞台です。そもそも私は、小さい頃からエンターテーメントが好きで、自分がエンターテイナーになりたいと思っていました。最初のキャリアは、子役タレントでした。天才てれびくんのてれび戦士でした。中学に入る時に辞めて、アスリートになることを決めました。この人生、今あるスピリッツはスキーに縁があるらしく、スキーの村にも嫁いでますし、自分の目の前にあるのがスキーだったから、スキーをやってきました。
「表現することが好きで、どんな形であれ常に表現者でありたい」という本質的にアクの強めななクセがあって(笑)大学の時にフリースタイルのスキーという新種目に出会うことができて、めちゃくちゃエンターテイメントなスキーだと思ったんですね。私に向いていると思った。しかも、始まったばかりでやっている人も少ないから可能性がある。エンターテイナー、表現者として競技をすることで、この種目を知ってもらえるきっかけになる。その舞台が、オリンピックだったんです。

しかも、女性活躍元年に注目してもらって、メディアに取り上げてもらったことで、私のスキーヤーとしての目的は達成した。でも、私の人生はまだ終わっていないので、この表現はライフステージ、ライフイベントに合わせて変わっていくので、まだまだ挑戦中です。

渡邊:お子さんも生まれて、引退して、もう1回再挑戦することは、身体的にも精神的にも奮い立たせるのは大変だったのかなと思うのですが、どう家族でそこに向かっていったんでしょう?

上野:女性の活躍だけでなく、誰かの活躍の影には、それをサポートする日陰がある。うちの場合は、主人が同じ種目をしていたプロで、同じタイミングで引退しました。お互いにこの種目をプロとして発信したい思いでやってきていましたが、当時はオリンピックの舞台がなかった。その先の未来をみた時に、子供が好きなので、女性の出産適齢期から計算してもある程度早いうちに産んでおきたいと思った。

引退した直後の2010年に出産して長野県に移住したのですが、その時に次のオリンピックでフリースタイルスキーがオリンピック種目になるかもしれないということになりました。女性の方が技術進化が、男性よりも遅かったので、主人より私の方が可能性があった。野沢温泉の新事業もスタートしていたし、それでよかったのですが、主人は「どうする?」って投げかけてくれた。

子供がいずれ夢を持つ世代になった時に、「夢があるなら頑張りなさい、やりたいことがあるなら頑張りなさい」っていえるお母さんになりたかった。娘が、「お母さんは自分がいたからキャリアを諦めたんだ」って受け取る可能性があるならそれを払拭したかったんです。家族、野沢温泉村、長野県、色々な人に協力してもらいながら、夢の舞台に立たせてもらいました。

家族、母親、子供は女性の働き方にどう影響を与えるのか?



渡邊:女性は、諦めていると気づかずに、諦めてる人が多い。我慢しているって気づいていないけど、我慢しているのかもしれない。文化・風土・家族が理由で、やりたいことを諦めてしまうこともあるかもしれないなと思っています。みなさんにとって、家族という存在はどうですか?

:みなさんの母親ってどうだったのかなと思った。今、0歳の娘がいるんですが、女の子を自分が産むことに少し抵抗があった。なぜかというと、自分の母親はすごく仕事をするタイプで4人子供がいて私は末っ子なんですが、なかなか向き合ってくれなかった時もあった。私は、母親からすごく影響を受けていて、良い影響だったり反面教師だったりとか色々な気持ちが入り混じっていて。母親が心の苦労をしていたのも見ていたので、働きたくても働けないとか、「こんなにしんどいんだ、子供産むのめっちゃ大変そう」と思っていた。

自分が経験するようになり辿っていくと、常に母親がこういう時どうしていたか、どう思っていたのかを考えている。でも自分は、時代も環境も仕事も家族も違うので、そのなかで自分なりの育児、働き方、生活をしていくことが一番だなと感じています。

もう一つ、娘を産むことに抵抗があったのは、彼女が育っていく過程で不都合があったり選択肢をなくしてしまうのはいやだなと感じていて、のびのびと人生を生きていってほしい。ある映画をみて、主人公が働いていて母親だったんですが、その娘をみて希望を感じた。その時に思ったのが、娘を産むことで自分はもっと強くなれるかも、頑張れるかもしれないと思うことがありました。今は、一緒になって頑張っていきたい気持ちが強いです。

北山:強い母親でした。父親が転勤族だったので、転妻でした。母親はずっと働きたいという思いを持ちながら、転勤していく父親に付いていって、キャリアを諦めた。私も母親から影響を受けてきましたが、母親はどんな環境にいっても、どこに引っ越しても、今自分にできる働き方を考え、働き方を変えてきた。子育てが忙しい時はパートタイムで働いたりして、働きたい強い思いを貫き通した。その母親の影響を十分に受けて、今ばりばり働き続けている自分があるのかなと思います。

上野:私の母は、第一次ベビーブームの世代でパワフル世代です。私は、4人兄弟で上3人がお兄ちゃんの末っ子です。うちは水道関係の仕事を自営していて、父が代表。母はサポートをしていて、私は母の傍らでその姿を見てきました。自分の身を自分で立てていくことを、小さいながらに学ばせていただきました。「一生懸命だと知恵がでる、いい加減だと愚痴がでる」と言われ育ちました。働く女性が隣にいて育ったので、私の娘も同じような感じで見てるのかなと思っています。

渡邊:私は父母ともに学校の先生でした。ほとんど私の学校行事に来てもらったことがなかったので、私は学校の先生にならないと思っていたのに、今学校の先生になっています(笑)母親が60歳の退職まで働いてきた姿を見た時に、その背中を見れてよかった。私も働くことを辞めないでいこうと思っています。


働くことは楽しい!自分の可能性を信じて


渡邊:その地域の慣習や考え方が(住民に)影響を与えるというデータが出ています。「女性は結婚・出産したら仕事を辞めるべきだ」という考え方の割合は、都会より地方で生まれ育った人の方が高い。そういう親に育てられると、そういう考え方の子供が育つ。次の世代の人たちにも、その考え方や環境を無意識に与えていると思います。今回暮らすroom’sで、「
女性が働くこと」についてアンケートを取られています。文化・慣習・家族だけでなく、健康が理由で自分の働き方がつくりづらかったという結果もでているとお聞きしました。

成澤:まだ集計は途中なのですが、そのなかでいうと、20〜30代では月経やPMSを理由に働きづらかったという意見が多く見られました。40〜50代になると、更年期障害や閉経後の不調が多かったです。キャリア形成をして子供も大きくなっているので、昇進して責任がある職に就くか迷った時に、身体の辛さに対する悩みを持っている人も多い。

今私が、カラダと心をサポートする仕事をしていて思うのが、情報がまったくないことで、諦めている女性が多い。月経や更年期障害に関しても、解決できる方法やテクノロジーがある。長野県に限らず、ヘルスリテラシーの情報が少ない。そういう情報を暮らすroom’sのなかでも発信していきたいと思います。

渡邊:最後に、特に若い世代に向けてこのセッションのテーマでもある「自分で自分の働き方をつくる」についてメッセージいただけますか。

北山:社会人って楽しいです。働くってすごく楽しいです。そのことを一番最初に伝えたいです。社会に出るにあたっては、「やっていけるのかな」とか「こんな自由な生活はできない」と思っている人もいるかもしれない。好きなこと・やりたいことを見つけて発信していけば、叶えられる土壌ができてきたなと感じています。諦めずにやりたいことを強く発信してほしいし、発信してもいいと思える環境を私たちが作っていきたい。こういう人がいるなら私もできるかもしれないと思ってもらえるような働き方をこの先もしていきたいと思いました。

:大人になると大変なことは多いといいますが、できなかったこともできるようになります。今年、私は40歳になるのですが、「どうなるんだろう。歳取っちゃうなぁ」と思っていたのですが、なったらなったで、また自分のなかでリセットされる気もしています。男性とか女性とか色々関係なく、一個人として世界をみて、広く世の中をみて、自分のなかの気づき、違和感、矛盾を大事にして、自分のなかの物差しをつくってほしいと思います。


上野:娘と話す中で、私も伸び代だらけだと思う。自分の可能性を信じて、自分の可能性に蓋をせず挑戦を続けていきたいと思います。

渡邊:今日の話をいい刺激として受けていただいて、みなさんそれぞれ自分の働き方を作っていってもらえればと思います。


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