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「秘密の部屋」その3

 翌日から、あたしはなるべく早く仕事を切り上げて、事務所を出るようにしました。もちろん、盗聴器の音をチェックするためです。都合の良いことに、事務所から何十メートルと離れてない斜め向かいのビルに小さな喫茶店があるので、あたしはそこで受信機の音に耳を傾けることにしました。あたしが買った盗聴器は電池式だから1週間か10日しかもちません。電池を替えるためにわざわざあの部屋に入るチャンスを待つなんて面倒です。電池が切れるまでに何か起こってくれないかなあ、とあたしは祈りました。

 それはまさに電池切れが近づいた1週間めの夜のことでした。喫茶店の一番奥の道路から見えない席に座ってそろそろ1時間になろうとした頃、とうとう盗聴器があの秘密の部屋の変化を伝えてくれたんです。思ったより、音ははっきり聞こえました。電気屋のオジさんが言っていた通り、けっこう性能が良かったのと、取り付けた場所が、発見されやすそうなとこではあったけど、部屋の真ん中に近かったからでしょうね。
 初めに聞こえたのはカツカツっていう靴音でした。間違いなく、ヒールが堅いコンクリートの上を歩き回る音でした。

「女の人? 冴子先生?」
 あたしは、冴子先生がその日履いていたかねまつの黒いパンプスを思い浮かべました。9センチはありそうなヒール。冴子先生は170センチ近い長身なのに、わりと平気でハイヒールを履くんですよね。だから、あたしも163センチで、背が低い方ではないんですけど、冴子先生と面と向かうと見上げるような感じになってしまいます。
 しばらくして聞こえてきた声は男の人の声でした。少し声の感じが違うけど、しゃべり方で高野先生だっていうことがわかりました。

「今日はそのままでいいよ。」
それからベッドだかテーブルだかをしきりに動かしているような音が2分くらい続いたでしょうか。しばらく妙に静かになっちゃったので、少しあわてました。
「まさかもう見つかっちゃったわけじゃ....」
またごそごそという何かしているらしい音が聞こえた時は、正直言って、ホッとしました。

「じゃあ、始めようか。」
高野先生が促すと、しばらく止んでいたあのヒールの音が聞こえました。
コツッ、コツッ、コツッ、コツッ。数歩で止まりました。
「何が始まるんだろう?」
あたしは、ぐっと息を飲みました。そして、ヘッドフォンを通して聞こえる音に全神経を集中しました。

ミシッ、ミシッ、 ....グチャッ!
「???」
バキッ ....メシャメシャッ!

「何、これ? 何の音?」
何かが潰れるような湿った感じの音が聞こえてきました。そして、ヒールがコンクリートに打ち付けられる音でしょうか、その音に、カツッ! とか、ガツッ!というような堅い乾いた響きが時折混じります。それに何か物をすり潰すような音も。

「何かが潰れてる! いったい何が?」
あたしには、盗聴器の向こう側で何が起こっているのか、ぜんぜん想像できませんでした。

ブシャッ! ブキブキッ! ガツッ! バキンッ!
いつ果てるともなく、不気味な音が続きます。その音に混じって、時折、含み笑いが聞こえてきます。やっぱり女の人のようです。でも、まだ誰なのかはわかりません。

「OK。じゃあ、今度はこっちで。」
場所を変えるようです。ベッドかテーブルを引きずるような音が聞こえて、またビクッとしてしまいました。
「どうか、見つかりませんように....」
あたしは祈るような気持ちでした。

「今度は台詞を入れてみよう。」
という高野先生の指示する声が聞こえました。
「声が聞ける! これでわかる。」
あたしは固唾をのみました。

「よく見てなさい。お前の姿よ。これはお前なの。」
「やっぱり冴子先生だったんだ! でも、何なのあのしゃべり方は?」
確かに、冴子先生です。いつもと違う、ちょっと怖い、まるで“女王様”みたいなしゃべり方です。けど、間違いありません。高野先生と冴子先生が秘密の部屋で密会しているんです。ただ、音の様子では、とても普通の男女が忍び逢っているよう感じではありません。

「やだあ。もしかしてSMプレー? でも、なんか違う。あの音がわからないわ....」

また始まりました。
バキッ....バキッ!

「フフフッ、いい音。さあ、とどめよ。息の根を止めてやるわ、ほらっ!」
グシャッ!

「“息の根”って? 生き物なの? 生き物を潰してる!? まさか、そんな....」

バリバリバリッ!

「フフフッ。いい音。ねえ、いい音よね。お前の骨が砕ける音は....痛い? 怖い? それとも、うれしいかしら、こんなことされて?」

 冴子先生の言葉を聞いてるうちに、あたしはなんだか少しずつ熱っぽくなってきてしまいました。顔が火照って、目が潤でいるのがわかります。きっと、すごく変に見えたでしょうね、その時のあたし。夜の喫茶店で、いつまでも1人で座って、ヘッドフォンで何か聴きながら、独り言をつぶやいたかと思うと、顔を真っ赤にしたり。

 夢中になって聴き入ってたら、急にノイズが入りだしました。
「あら? 何? せっかく良いトコなのに。」
と思う間もなく、音切れです。
「電池切れ!! もう、何なのよ、これ。役立たず!」
しかたありません。電池を替えるために、日を改めてまた忍び込まなくちゃ。

 その夜は眠れませんでした。ヒールの音、何かが潰れるような音、そして冴子先生の声。つい数時間前に聴いた音や声が繰り返し、頭の中に鳴り響いて止みません。あたしがようやく眠りに落ちたのは夜が白み始める頃のことでした。

 運良く、次の日の午後はずっとあたし1人で留守番することになりました。実は、運が良かったわけじゃないって後でわかることになるんですが....

 もちろん、あたしはすぐ秘密の部屋に入りました。前の晩の痕跡があるかもしれないと思うと、身体がカーッと熱くなりました。確かに、人の気配が濃厚に漂っていました。狭い密閉された空間ですから、普通の部屋以上に、前の夜の空気をそのままに保っているのでしょう。最初にあたしの目についたのは、床のシミでした。コンクリートの床のちょうど真ん中辺りのところに、何か液体をこぼしたようなシミが無数に残っているのです。

 この前と同じに、プロジェクターがベッドの上にセットされていました。その横にビデオカメラが2台置いてあるのに気づいた時は、自分でもわかるくらいに胸がドキドキ鳴りだしました。盗聴器のことなんかそっちのけで、プロジェクターのスイッチをON。そして片方のカメラのスイッチを入れました。再生ボタンを押そうとしたら、手が震えて押せません。

「落ち着け! 落ち着くのよ!」
声を出さずに叫んで、大きく一息深呼吸。手の震えは治まらなかったけど、それで再生ボタンを押せました。

 スクリーン代わりの壁麺に映し出された映像を一目見て、すべてがわかりました。超大型の、幅2メートルをゆうに超える画面いっぱいに巨大なザリガニの姿が映し出されたのです。1匹、2匹....全部で5匹のザリガニがコンクリートの床の上をもぞもぞと這いずり回っています。

「ザリガニだったんだ。あの音の正体は。冴子先生がザリガニを!」
カメラが引くと、ザリガニの横に黒いハイヒールを履いた女性の足が画面に入ってきました。冴子先生のハイヒールです。昨日先生が履いていたかねまつです。

 ハイヒールの靴底がおもむろに1匹のザリガニの上に降ろされました。超大型画面のためにとてつもなく大きなハイヒールです。ザリガニは何本もある脚を必死に動かして逃げようとします。でも、上からしっかりと押さえつけられているので、ぜんぜん動けません。大きなハサミを振り上げても何の役にも立ちません。

ミシッ、ミシッ....
ハイヒールの靴底が少しずつ踏み降ろされると、ザリガニの堅い骨格がきしみ始めました。
 重低音を強調したスピーカーだと、盗聴器のか細い音とはぜんぜん違って、ものすごい迫力です。まるで、巨大な圧力でこのコンクリートの部屋自体が押し潰され、きしみ音を立てているかのようです。

グチャッ!!
瞬間的に、ザリガニを押し潰していた圧力が一気に高まり、激しい破壊音とともに、ついに靴底が床に接してしまいました。ザリガニの体液がしぶきとなって飛び散ります。靴底からはみ出した片方のハサミが、まるで人の腕みたいに、空しく宙をつかもうとするかのような動きを見せましたが、ギリギリと力をこめてにじりまわされるつま先の下に巻き込まれ、バキバキと踏み砕かれてしまいました。

 ビデオを見始めて、まだ3分と経っていないのに、あたしは、息苦しさを感じ出しました。画面のザリガニは1メートル半から2メートルぐらい。ちょうど普通の人間の大きさぐらいです。それが奇妙なリアリズムを醸し出すんです。まるで生身の人間がハイヒールを履いた巨人女性に踏み潰されているかのような、そんな迫真さが感じられて、なんだか怖くなってきました。

 その一方で、あたしはハイヒールを履いた巨人の方に感情移入をしている自分に気づきました。

「もし、あたしだったら.... いや、何を考えてるの、あたしったら。」
 脳裏に浮かびかかった情景を否定するように、あたしは首を振りました。気持ちを切り替えようと、映像を早送りしてみました。

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 冴子先生が、今度は、ガラスのテーブルに乗っています。その足元には、雄のカブト虫が!
「よく見てなさい。これはお前なの....」
バキッ、バキッ!

 虫の世界では王者でも、巨大なハイヒールの下では、哀れなほど小さな存在でしかありません。堅い角が、冴子先生の圧倒的な重みに耐えきれずに、あっけなくへし折られてしまいました。
グチャッ!

 カブト虫特有の丸いお腹が裂けて、ブワッと白っぽい体液がにじみ出ます。カメラはガラス・テーブルの下からその様子を克明に写し出しています。
メシャメシャッ!

 冴子先生は、次の犠牲者を、太めのヒールの下で捕えておいて、一気に体重を乗せて潰しました。さらにつま先を上げて、ヒールで立つような感じで、グリグリと踏みにじります。

 大迫力の殺戮場面をずっと見つめてると、疲れを感じてきました。興奮のあまり、全身の筋肉が緊張してこわばってしまっていたようです。あたしは、また深呼吸して身体の力を抜き、もう一度ビデオを早送りしました。

 次に映し出された映像には、目を見張りました。全裸の男性がいかにもSMチックな拘束具で縛られて、コンクリートの床にころがっているのです。俯せなので顔は見えないのですが、小太りの短躯で、頭がかなり禿上がっているところを見ると、きっと小山さんに違いありません。

 床に横たわる小山さんの横に、シルキーな光沢のあるグレーのスーツを着た冴子先生が立って見下ろしています。
 冴子先生の右足が上がりました。小山さんの背中をなでさするように、黒いハイヒールで触っています。そして、贅肉が醜くダブついている腰の裏に足を据えると、体重をグッと乗せて、左足を浮かせました。上からの圧力で押し潰された贅肉がお腹の横からはみ出します。
「グフッ!」

 小山さんの口から、呻き声がもれました。冴子先生は、長身だし、けっして太っているわけではないけど、スポーツ・ウーマン系のしっかりした体つきをしています。身長は170センチ。体重はどう見積もっても55キロ以下とは思えません。60キロぐらいあるかもしれません。そんな大柄な女性にハイヒールを履いたまま乗られたら、ザリガニやカブト虫でなくても、耐えられないはずです。

「どう? どんな気持ち、私に踏まれてる気分は? うれしいんじゃないの?」
「……クゥッ」 
「“ク”じゃわからないでしょ。どうなの? “うれしいです”って言ってごらんなさい。」
「う....うれしい....で....す。」
「そう。それならもっと踏んであげるわ。」

 冴子先生は、一旦、小山さんの背中を降りると、つま先で蹴って仰向けにし、今度は、お腹の上に両足を揃えて乗ってしまいました。9センチはありそうなヒールが根本まで柔らかな肉に食い込んでいます。冴子先生は、さらに、ヒールがもっと突き刺さるようにと、身体を揺すったり、ヒールをこねるようにしたりと、まったく容赦無く哀れな小山さんを責めつけます。小山さんの手足が、冴子先生の残虐な動きに応じて、痙攣しているかのように動きます。
「グワッ、アウッ!」

 小山さんの呻き声が一段と大きくなりました。ちょうどその時です。
「アッ!」
あたしは思わず叫び声をあげてしまいました。
「小山さんの位置からは、盗聴器が丸見えだっ!」


続く


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