心の違和感って何?

僕、身体は“ 女性 ”なんですよ。

というふうに書き出すと「心は男性です」って続きそうなものですが、そうではないんです。

そもそも皆さん、心の性別って意識した事ありますか?僕は無いです。

だって、「心の性別」ってどうやって決めるんですか?誰が決めるんですか?

ピンクが好きだから「女」ですか?青が好きだから「男」ですか?
違いますよね。

お姫様が好きだから「女」ですか?ヒーローが好きだから「男」ですか?
違いますよね。

もう少しお伺いします。

片付けが得意だから「女」ですか?仕事が出来るから「男」ですか?
違いますよね。

子供が好きだから「女」ですか?スポーツが好きだから「男」ですか?
違いますよね。

じゃあ、「心の性別」ってなんだよってなりませんか?
そんなものは最初からないんですよ。

身体に違和感があることは今は「トランスセクシュアル」と呼ばれています。
心に違和感があるのは「トランスジェンダー」だそうです。
うーん心に違和感ってなんだろう?

僕自身、自分の心を「女である」と認識したことはありません。しかし、「男である」と思ったこともありません。
いえ、正確に言うと過去にはありました。思春期には、「女でない自分=男なのではないか」と考えたこともありました。
でも、なぜそう考えたのか突き詰めていくと、「女と男の二通りしか性別を知らなかったから」なんです。どんな人間も「どちらか」に分類されるものだと思い込んでいたからなんです。

「“ 女 ”に馴染めない自分は、逆説的に“ 男 ”である 」
そう思い込んでいたのです。

でも、今となってはわかります。僕は「女」に馴染めなかったのではなく、社会が押し付ける「女という偶像」に馴染めなかったのだと。
変わらなければいけないのは、「僕」ではなく「社会」だったのです。

「女らしさ」とか「男らしさ」とかいう幻想に縛られる必要はもうないんです。人間の自認なんて「人間であること」だけで十分なんですから。
まあ、それを貫いていくのは、社会が成熟するまでは多少風当たりは強いですが。

自分の身体に違和感があるのは、ままあるでしょう。身体は物理ですから。
でも、心に違和感があるのはどうでしょう。その違和感、何をもってして「違和感」と呼ぶのでしょうか?
心に違和感があると思っているのは、実は社会が決めた役割に対する違和感なのではないでしょうか?
僕はそう思います。

なんでこんなことを書いたかというと、「身体違和はないが、心に違和がある」という旨のお話を聞いたからです。そんなことってあるのかなぁ。
皆さんはどうお考えですか?是非、今一度追考してみてください。

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