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67についてのお話

こんにちは。身近な数字のアドバイザーのナカナカです。
今回の身近な数字は67、第67代横綱「武蔵丸」そして、大相撲についてのお話です。

間もなく大相撲春場所が始まります。興行初日の前日、すなわち明日は触れ太鼓の音が大阪に春を告げることでしょう。

日本相撲協会によると、相撲は古事記や日本書紀の中にある力くらべの神話までさかのぼることができるそうです。実際には、農作物の収穫を占う祭りの儀式として毎年行われてきたものが後に宮廷の行事となり、さらに鎌倉時代から戦国時代にかけては、武士の戦闘の訓練として相撲が盛んに行われたそうです。戦国時代が終わると、浪人や力自慢の者の中から、相撲を職業とする人たちが現れ、江戸時代中期には定期的に相撲興行が開かれるようになり、歌舞伎と共に庶民の娯楽となりました。土俵入り、番付表、化粧廻し、髷(まげ)、行事の装束など、大相撲は今も江戸時代の面影を残しています。

1500年以上とされる長い相撲の歴史の中で、横綱として記録されているのは江戸時代以前の3人を加えた73人、今年の1月場所で優勝した照ノ富士が第73代横綱です。

今回取り上げる第67代横綱武蔵丸はハワイオアフ島の出身で、幕内優勝回数12回、横綱在位期間は、1999年7月~2003年11月でした。日本国籍を取得し、力士引退後は武蔵川部屋の親方として後進の指導にあたっています。太い眉毛の西郷隆盛にも似ていると言われた愛嬌あふれる風貌で、52歳の今はバラエティ番組にも出演するお茶の間の人気者です。

ハワイ州と大相撲の関係は深く、この当時、外国人力士といえばハワイ州出身の力士のことだったと思います。高見山が1964年、小錦は1982年にそれぞれ初土俵を踏み、1988年に初土俵を踏んだ曙は、1993年外国出身力士として初めて横綱(第64代)に昇進しました。いずれも体重200kgを超える大型力士です。1989年に初土俵を踏み1999年に第67代横綱に昇進した武蔵丸も体重235kgと記録されています。

実はこの時期、ハワイ出身の二人の横綱に挟まれるように日本生まれの兄弟横綱が誕生し、大相撲が若い女性ファンを獲得するきっかけを生みました。第65代は父の名を継いだ貴乃花(父は大関貴ノ花)、1993年若干21歳の横綱誕生です。第66代は兄の若乃花、祖父の名を継いで1998年に横綱になりました(祖父は第45代横綱若乃花)。1995年には若貴兄弟対決(横綱貴乃花対大関若乃花)が実現し、日本中が興奮して土俵の行方を見守っていたように記憶しています。

曙、若貴兄弟、そして武蔵丸という4人の人気力士の横綱土俵入りが見られた1999年7月場所から2000年3月場所までの5場所では、武蔵丸が2回優勝しています。しかし、若乃花引退後は4横綱時代がしばらく途切れてしまうことになります。

2003年から2010年まで第68代横綱として君臨したのはモンゴル・ウランバートル出身の朝青龍でした。2003年11月場所限りで第67代横綱の武蔵丸が引退した後、翌2004年1月場所からは史上8人目のひとり横綱となって2010年まで大相撲をけん引しました。その後、第69代は白鵬、第70代は日馬富士(はるまふじ)、第71代は鶴竜(かくりゅう)と、4代続いてモンゴル人の横綱が続きます。筋肉質の引き締まった体から技を繰り出す姿は、相撲界にハワイ出身の大型力士とは異なる旋風を巻き起こし、それは今も続いています。

その後第72代になって、待ちに待った日本出身の横綱稀勢の里が誕生し、2017年3月場所は17年ぶりに4横綱時代を迎えることができました。私は、たまたま新聞社を通じてこの春場所のチケットを購入していたので、待望の日本人横綱を含む4人の横綱を目の前で見ることができました。白鵬、日馬富士、鶴竜の土俵入りも美しかったのですが、稀勢の里の土俵入りには会場(大阪府立体育会館)がどよめいたことを覚えています。この日は解説の貴乃花親方とも遭遇し、初めての相撲観戦は思い出深いものになりました。

今年の春場所は、霧島と豊昇龍というモンゴル出身の大関に加えて、日本出身の琴ノ若が大関として土俵に上がります。それぞれ横綱を目指し、照ノ富士が健在の間に再び4横綱時代を実現してもらいたいと願っています。そのためにも、一度は両国国技館に足を運んで応援するつもりです。

■参考サイト
日本相撲協会 https://www.sumo.or.jp/

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