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倉沢の短編シリーズ「よりぬき倉沢トモエ」⑧そうしたら、跳べる。

そうしたら、跳べる。


 陸上部顧問のサトヤマ先生は体育でダンスを指導する時でも、たとえば右腕をまっすぐ伸ばすというこの動作ひとつに、

『脇の下を伸ばすつもりで』

 と指導する。
 なんだろう、と最初は戸惑うのだが言われた通りにすると、脇の下を意識しなかった時よりも伸ばす動きが格段に綺麗に見えるのだ。

「これね、正確には上腕三頭筋のあたりなんだけどね、」

 筋肉解説は、誰も聞いてないんだけど。

 そんな先生なので、イワナガがあと少し跳べれば中総体を目指せるらしい、という話も、あまり意外にも思わず私たちは聞いていた。

 彼女の種目は走り高跳び。
 しかしまだ部員ではない。こないだの体育のとき、初めての走り高跳びでなぜか1.5を跳び、先生にスカウトされての体験入部中。
 私とトミ先輩は、ストレッチしながら練習を見守っている。今日は調子がよくなく、何度もバーを落としている。

「だって、運動キライなんだって? 帰宅部?」
「ですです」

 彼女は走るのが苦手で、人はとかく速さにこだわるから、だんだん体育も避けるようになったんだろう。

「ありがちだねえ」
「そう。マット運動とかできても、速さに比べてかすむように思うみたい」

 と言いながら、私は思い出した。

「でもイワナガ、走る以外はわりとできる。マラソンもいやがる割に、最後まで走れる」

 飛び込み前転ができたとき、嬉しそうな不思議そうな、へんな顔してた。

「どうして自分にできたのか、わからないってかんじ?
 あ、見て見て」

 イワナガはサトヤマ先生となんか話してる。
 踏みきり、脚を上げ、跳ぶ。ひとつひとつをきちんと。多分そんなはなし。
 そうだ。あの子、1.5を跳べたときにも、嬉しいのか不思議なのか、へんな顔してた。

「不思議じゃないのに」

 イワナガが走り込む。思い切り踏みこむ。
 ほら、できてるじゃん。
 背中がきれいに弧を描く。

「跳べた」

 イワナガも先生と嬉しそうにして、私たちの方に走ってきた。 

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