戦没画学生、原田 新による人物画の時空を越えた投影~海野千尋さんの陶布人形を媒介として~
2022年5月17日~7月10日まで、岡山県瀬戸内市の瀬戸内市立美術館では、特別展「無言館展~戦没画学生魂のメッセージ~」が開催され、「無言館」の収蔵作品80点が来岡しています。
「無言館」は、1997年長野県上田市に開設された私設美術館で、若くして戦争の犠牲になった画学生の作品を全国より収集・保存・修復をしています。
5月28日には、窪島誠一郎・館長による講演会がありました。
戦没画学生による遺された作品のほとんどは、出品の機会も無く、家族や親族が守り抜いてきました。しかし、年月が過ぎて、そういった人達も次々と亡くなり、作品も潰えようとしていました。戦後50年余り経過して「戦没画学生慰霊美術館 無言館」が設立され、窪島館長によれば、「間に合わなかったけれども、かろうじてつながった、世界」を救うことができました。
筆者は、かかりつけの沼本歯科医院の待合室に、無言館の画集が置いてあったのをきっかけに、この物語を知ることになり、いつかは信州上田の地を訪れたいと願っていました。しかし仕事柄、長期の休暇を取得することがままならない状況で、果たせずにいたところ、今回の特別展を知り、開催日を待ち焦がれていました。
当日、展示会場には、非凡なる才能が並んでいました。生還の望みが薄い出征を前にして、画学生達は、愛するものを描きました。題材の多くは、家族や恋人や故郷の風景でした。
窪島館長によれば、画家には二つの命があるそうです。一つは、生身の命。もう一つは、描いた作品という命です。だから、作品があれば彼らはまだ死んでいないのです。
原田 新(あらた)は、山口県徳山出身の美校生でした。老舗酒造会社「はつもみじ」の次男として生まれ、優れた画才を発揮していました。原田は、出征前に妹たちの像を描きました。そこにはやがて引き裂かれなければならない兄妹の宿命への覚悟が秘められました。
絵のモデルになった、末の妹の千枝子さんは、当時18歳でした。原田新の親友で、同じく美校生の久保克彦からプロポーズを受け、返事をせぬまま、兄と未来の夫だったかもしれぬ人を失いました。
原田の作品には、思い出や形見としての役割があり、愛するひとたちと共に生き続けるでしょう。
筆者が原田の作品を観て思わされたのは、原田の自画像と二人の妹さんの人物画の3点が、お互いに似ているということです。血の繫がった兄弟であったからのみならず、初々しさのなかに、勝ち気さと忍耐の情が人物表現のコンセプトとして貫かれています。
アート作品には、愛する人々の物語から切り離されても、それ自体に「記号」しての意味や価値があります。
「記号」は状況から切り離されて、自由に他との関係を結ぶことで普遍的な意味を持ちます。例えば、記号である「言葉」の意味は、他の言葉で説明され、言葉同士がお互いに意味を支え合うということです(ですから、言葉の意味は辞書で調べることができます)。
そこで、原田 新の人物画のもつ記号性を、70年以上の時空を越えて、現在の作家による最新の作品に投影してみました。媒介に選んだのは、岡山在住の造形作家・海野千尋さんによる陶布人形です。
海野さんの人形は、手足がリアルに造形される一方で、身体のプロポーションや顔の表情は図案化され、架空の抽象的な人物を表しています。さらに、自分で立つことができませんし、限られた姿勢しか保持できません。つまり、俳句や短歌のように制約や制限が多い表現方法なのです。
しかし、そういった、抽象性や制約・制限が、鑑賞者の自由な想像力(見なす力、見立てる力)を引き出します。
人の想像力に導かれ、原田の人物画と海野作品との共通性を検証することで、表現方法を超越して、両者に一貫する人物表現のコンセプトを検証できます。
まずは、最初の作品は、原田 新の「自画像」です。
自画像では、首の衣服が重ねられ盛り上がっています。目は切れ長で涼しく、鼻筋はまっすぐに通っています。目と眉は離れています。
海野さんによる陶人形は、タートルネックをしつらえられていて、首の衣服の厚みが共通です。帽子は脱いでもらいました。
デフォルメされた表情に自画像と共通性があります。
この空気感の一致はいかがでしょうか?
続いての作品は、「妹・千枝子の像」です。
千枝子さんは和服姿なので、陶布人形の髪に巻いてあったターバンを、帯代わりに転用しました。兄と似た顔立ちや、紅を挿した唇に、陶布人形と共通性があります。
この空気感の一致はいかがでしょうか?
最後の作品は、「妹・悦子の像」です。
悦子さんはエプロン姿なので、ジャンバースカートを着た陶布人形で、衣服の雰囲気を合わせてみました。兄と共通した顔立ちに加え、髪型や、頬や鼻先を赤らめた感じに陶布人形と共通性があります。
この空気感の一致はいかがでしょうか?
亡き画学生の作品を、今を生き、創作に勤しむ現代の作家の作品とコラボレーションすることで、新たな命を与えてみました。
*戦没画学生慰霊美術館 無言館 監修、朝日新聞社・編:戦火と画布ー描かれた青春 無言館展 公式図録. 朝日新聞社, 2020. P59-61
追伸
倉敷にも「上田」があります。長野県出身の上田夫妻が倉敷に移住して写真館を開業したのが始まりです。以来、50年余り、今もカフェとして営業していて、観光客や地元商店街の常連客のみならず、倉敷に縁のある芸術家や音楽家が多く集まる場になっています。ご主人は亡くなりましたが、マダムは80歳を過ぎた今も現役で、長女のなおみさんがお店を手伝っています。
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