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柴田病院の謎

2018年の秋の彼岸のころのことである。倉敷市玉島の柴田病院に病院長就任のご挨拶にうかがった。当院在宅支援部の小野ナースと岡本ナースと共に、訪問車のトヨタ・アリオン(通称ウミガメ)で玉島方面に向かった。高梁川の堤防の上をしばらく走行すると、山の上には倉敷芸術科学大学の校舎群が見えてきた。カーナビの指示に従い、堤防の道から脇道へ降下すると、モロッコのカサブランカ旧市街のような、込み入った街路に入った。

本当にこの道で正しいのだろうかと、一瞬不安になったが、すぐに坂の上に柴田病院の5階建ての建物が見えてきた。病院玄関前の小さな駐車場の降り立ったときには、やや放心状態で、夢を見ていたのかもしれない、と思えた。短時間の急激な降下と上昇は、時空の揺らぎと相同な体験であったのだ。

病院最上階の院長室に通されると、柴田豊文理事長、大橋千代美看護部長、池野聖司地域連携室長の三人が出迎えてくれた。お三人は、慈愛に満ちた優しい姿で、厚さ7cmほどの濃い空気に包まれている様に見えた。挨拶と名刺交換を済ませると、さっそくおはぎと温かいお茶が供された。

おはぎは、この日のために用意した、玉島の老舗和菓子店「やまと」のものだとのことで、ボリューム感のある、きなことあんこのペアであった。「ゆっくりとしていって下さい」とのお言葉に甘え、勧められるままにしっかりとおはぎをいただき、そのまま1時間半、談笑してくつろいで過ごすことができた。

帰りの院内の道筋には、季節の行事の痕跡が多く見受けられた。一階のデイケア・ルームの前を通ったときのことだった。部屋の奥まった空間に、巨大な観音菩薩像が安置されているのが一瞬見えたのが視覚印象に残った。

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病院の体内にある観音像

アリオンに乗り、お三人と職員に見送られながら、柴田病院を後にした。手みやげには、柴田病院の年間行事を記録したアルバムをいただいた。再び谷底へ向かって降下し、すぐに急激に上昇すると、そこは堤防の上で、対岸の山上には倉敷芸術科学大学の校舎が見えていた。

後日、川崎医科大学の医療連携の会で柴田豊文理事長に会う機会があり、観音菩薩像のことをお伺いした。理事長によれば、先代の柴田高志理事長が観音菩薩を信仰をしており、自らが設立した病院の体内に観音菩薩像を安置したとのことであった。

この話を聞いて、瞬間にある記憶がよみがえった。NHKの教養バラエティ番組「ブラタモリ」の清水寺編である。番組の解説によれば、観音菩薩は崖に現れるという言い伝えから、京都東山の、清水山の崖が観音霊場とされ、小さな御堂が建てられたのが清水寺の始まりであるという。参拝客が増えるにつれ、御堂は拡張され、今の広大な舞台を備えた本堂の姿になったという。清水の舞台は、崖に広大な平面を確保するための建築技術で、有名な外観は、地理的な必然であったのである。

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急斜面に建つ柴田病院

柴田病院はあえて敷地の確保が難しい崖を選び建設されていたのは、清水寺と同じ理由であったのである。観音菩薩は慈愛の菩薩であり、弱き者を救うのに相応しい施設として、先代の思いが具現されていたのであった。

柴田病院のアルバムは執務室のメインの書棚に収めてある。

(2019年1月19日)

観音像の撮影と掲載のご許可いただきました医療法人髙志会・柴田病院、柴田 豊文理事長に深謝致します。


追記

きょう、柴田病院を退院した脳卒中後遺症の方を診察する機会がありました。年齢も若く、発症から1年近く経過していますが、麻痺側の筋緊張亢進がありません。その方は、時間制限がある課題にゆったりと取り組みます。間違いは少ないのですが、得点が伸びません。でも練習を続けたら、上達してクリアできそうです。しばらく通ってもらってゴール達成を目指すことになりました。

この焦りや力みが無く、ゆっくり、落ち着いて生きる姿が柴田病院の空気感だなあ、と思いました。もともとこの方のキャラクターがそうだったからかもしれませんが、もしそうなら、柴田病院の空気感と、とてもよく共鳴したはずです。その方の背景に、すばらしい柴田病院のスタッフの姿が見えました。

(2021年5月)

追伸

その方は、外来でドライビング・シミュレーターによる練習を積み重ねて、次第に運転操作が上達されました。そして自動車教習所での実車教習へと進み、無事に運転再開を達成されました。

その方は、多くのことに通じる、素晴らしい生き方を見せて下さいました。じっくりと待つことで、それを生かし育んだ、柴田病院は、凄いな〜!!


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