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吉村和美さんのミルクピッチャー

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画像は、トルコ・ブルーのミルク・ピッチャーです。高さが43mmの小さなものです。倉敷本通り商店街の倉敷意匠で開催されていた、陶芸作家、吉村和美さんの個展で購入した作品です。なぜ魅せられたかというと、容器の肌をずっと見ていると、薄紅色〜赤紫色が浮かび上がってきたからです。今、執務室の棚に飾っていますが、パソコンの液晶画面に向かって作業をしていて、ふとミルク・ピッチャーを見ると、容器の肌全体が薄紅色〜赤紫色に染まっています。

私たちは、色彩とは、物体とそれが反射する光の性質だと思い込んでいます。私たちが青色を見るのは、ある一定の周波数の光が眼に届いているからに違いないと信じていますが、装置を使って計測すると、必ずしもそうなってはいません。実は、網膜にある赤、緑、青の3種類の視細胞の活動状態によって、光の周波数とは独立に、色彩の経験が生まれます。身近な例では、液晶テレビの表面は、赤、緑、青の3種類のLEDが整然と並んでいて、それらのオン・オフの組み合わせで、私たちはテレビを視聴しながら様々な色彩を経験しています。ですから色彩の経験は、光の物理的特性ではなくて、神経システムによって規定される、生物学的なものです。

ミルク・ピッチャーのトルコ・ブルーをじっと見ていると、薄紅色〜赤紫色が浮かび上がるのは、青の視細胞が疲労して、相対的に赤の視細胞の活動が優位になるからだと説明されます。パソコン作業は、ずいぶんと青の視細胞を疲労させるのでしょう。そういったことは、私たちの経験というものが、いかに私たちの体と強く結びついているかを示しています。「私」は、世界を客観的に見ているわけではなくて、自分自身の体から生まれる視野をまさに体験」しているのです。五感の他の感覚もしかりです。愛情も幸福も苦悩も体に色づけられた体験です。

 「汝、己を知れ」。世界を知るとは、己を知ることなのでした。

吉村和美さんのミルクピッチャーは、それを知らせてくれる神秘的な魅力があります。

参考文献

ウンベルト・マトゥラーナ+フランシスコ・バレーラ著(管 啓次郎=訳 序文=浅田 彰):知恵の樹 生きている世界はどのようにして生まれるのか. 朝日出版社, 1987.

(ちくま学芸文庫より文庫版が出ていて、現在でも入手可能です)


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